ペルーでの生活の話4(放浪記022)

放浪記 #22 約4分 1,766字
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姉の新婚旅行

結婚式が無事終わり、姉たちは新婚旅行に行くのだが、僕や母や叔母の観光旅行もそこに含まれていた。

当時は何も考えていなかったが、今思うと、新婚旅行くらい姉と旦那を二人きりにさせてあげたかった。

この時の姉の負担は、相当大きかったと思う。

ペルー旅行の選択肢は、ナスカの地上絵とマチュピチュの二つがあったのだが、時間や予算の関係からマチュピチュに行くことになった。

今思えば、本当に勿体無い話だが、僕たちは誰一人としてマチュピチュに興味を持っていなかった。

なんの知識もなく、知ってるのは

”昔、山の上に人が住んでて、突然消えたらしいよ”

ってことだけ。

マチュピチュに行く理由は、そこが有名だからってだけ。

むしろ、母や叔母が本気でマチュピチュに興味を持っていたら、異教徒の文化だということで、マチュピチュには行けなかったかも知れない。

マチュピチュ

僕たちは、近くの街から小さなセスナ飛行機に乗り、マチュピチュの近くの町クスコに向かった。

かなり大きな観光地の街で、世界中の旅行者や、現地の人、出稼ぎに来ているペルー人などでごった返していた。

クリスマスの時期だったので、街はケーキを売り歩く子供達で賑わっている。

異国の観光地で、家族親戚が揃ってレストランで食事をするなどという異次元イベントに、僕たちは皆気分が浮ついていた。

その日は早くに就寝し、次の日の朝早くのマチュピチュへの電車に備える。

マチュピチュ行きの電車は、山間の曲がりくねった谷間を走って行くもので、揺れが激しく、またその揺れが名物になっていた。

マチュピチュの山の麓まで電車でいき、そこからはさらにバスで1時間ほど揺られて頂上へ向かう。

頂上までたどり着くと、あの有名なマチュピチュの絶景が広がっている。

残念ながら当時の僕の心は、景色に感動する事ができるほどの感情を持ち合わせていなかったが、なんとなく気持ちよかったのは覚えている。

今になって考えるのは、エネルギー的に、魂的にあのタイミングであの場所に行く事が重要だったんだろうなって事。

なんらかのフラグであり、イニシエーションでもあった。

マチュピチュの遺跡を周りながら、隣を歩いているツアーガイドの話す解説を姉が逐一説明してくれる。

だが、理解していない人が興味を持っていない人に、断片的な説明をしても大した意味はなかった。

マチュピチュに行っておきながら、興味も持たず、対して感動もしなかったなんて、なんとももったいない事だが、人生とは度々そう言ったトリックを仕掛けてくる。

時間が過ぎ去ってから、その時間の素晴らしさを後で再確認するなどよくある話だ。

僕たちは観光を終えて、バスでジグザグに曲がりくねったS字道を麓まで降りて行く。

バスが発車すると、現地の浮浪児たちがバイバーイと追いかけてくる。

観光客は嬉しそうに写真を撮る。

次の曲がり角を曲がると、また子供たちが現れてバイバーイと手を振ってくる。

また、観光客は写真を撮る。

そしてまた曲がると、また子供たちがいる。

よく見ると同じ子供達が、追いかけて来て手を振っているようだ。

バスがS字を時間をかけて降りる間に、子供達は直線で突っ切り、バスを待って手を振っていたようだ。

合計で10回くらい、同じ動作を繰り返しただろうか。

最終的にたどり着いた麓の駅で、同じ子供達は待っていた。

彼らはニコニコしながら、観光客からチップをねだっている。

これが彼らの仕事だった。

バスを追いかけてニコニコする。

それで生活が成り立っているんだから幸せなもんである。

つづく。。。

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