放浪記
20年以上の世界放浪を綴った自伝的連載。各地での出会いと別れ、日々の断片を残しています。
521件の記事

石垣島でキャンプする話10(放浪記520)
サトウキビを刈る仕事は2月ころから始まる。 一月の半ばにはB君が隣島の島でのキビ刈りの仕事を見つけてきた。 明るい性格で人懐っこいB君は石垣島で出会ったあらゆる人たちと会話をして、情報を聞きつけたらしい。 B君のコネを通して僕もキビ刈りの仕事にありつくことができた。 勤務地は隣の

石垣島でキャンプする話9(放浪記519)
年が明けて1週間ほどした頃に、インドのゴアで知り合った友人のB君がやってきた。 僕はB君のことはほんの少ししか出会っていないので良く知らなかったのだが、僕がインドで一緒に遊んでいたYさんが、その後のアフリカの旅でB君と出会っていて、B君も沖縄にいくというので紹介してくれたのだ。

石垣島でキャンプする話8(放浪記518)
ものすごいタイミングで見ることができた初日の出に僕たちは意気揚々としていた。 この感じだと、これから始まる2002年は素晴らしい年になるに違いない。 一見すると難しいような状況でも、肝心のところで解決して全てがうまくいく、、、そんな妄想を掻き立てられるような日の出だった。 初日の

石垣島でキャンプする話7(放浪記517)
完全に眠ってしまっては、初日の出を見逃してしまうので、H君と僕はお互いに寝過ごさないように注意して眠りについた。 だがその心配は全くの無用だった。 風の吹く山頂の明け方の寒さは半端ないもので、僕たちは二人とも夜が明ける前に目が覚めた。 山頂から見下ろす海の果ての向こうにある空から

石垣島でキャンプする話6(放浪記516)
僕たちがキャンプ場について1週間ほどした頃に年末がやってきた。 恋人のいない僕たちにとっては、世俗で騒がれるクリスマスなど、どうでも良い話題だったが、年越しは特別な日にしたかった。 だが、僕たちが自分で特別な日にするまでもなく、強制的に特別な日になってしまった。 全く予期していな

石垣島でキャンプする話5(放浪記515)
H君との話は面白く、話に夢中になっているとあっという間に石垣島に到着した。 僕は沖縄に向かうという今回の自転車旅の目的を達成したので、その後にどうするかと言うアイデアは特になかった。 出来たらサトウキビ畑での仕事でも出来たら良いなとなんとなく考えていた。 このサトウキビ畑でのキビ

石垣島でキャンプする話4(放浪記514)
洞窟のグル H君はこの洞窟のグルの元で4ヶ月ほど修行をしたらしい。 その修行は中途半端なヨガクラスなんて話ではなくて、洞窟に住み込んで朝から晩まで休みなく修行すると言った類のものだったらしい。 その時にH君は呼吸法も習ったので、その成果を見せてくれた。 彼は激しい呼吸を数分行った

石垣島でキャンプする話3(放浪記513)
H君は、レインボーギャザリングを大いに楽しんだのだが、そこでの文化である「何でもシェアする」というスタイルが居心地が悪くなって離れることにしたらしい。 レインボーギャザリングでは、お互いのことをブラザー、シスター、などと呼び合って疑似家族のように暮らし、食べ物や道具などなんでも共

石垣島でキャンプする話2(放浪記512)
そのイベントは、反資本主義的な思想を持っていて、全てが寄付とボランティアによって運営されていると言う。 イベントはインドだけではなく、世界中で開かれているらしいのだが、運営母体と言ったものはなく、有志たちが個人個人で集まってイベントを開催しているらしい。 なので、特定の団体が行う

石垣島でキャンプする話1(放浪記511)
朝目が覚めると、気温はさらに暖かくなっていた。 もう完全に僕の知っている日本の雰囲気ではない。 フェリーの中を散策していると、向こうから長髪で髭面の男が歩いてくる。 ちなみに僕も長髪で髭面だ。 二人とも一目で旅人だとわかる風貌。 当たり前のように僕たちは近づいて、声を掛け合う。

自転車で沖縄へ向かう話16(放浪記510)
桜島から鹿児島市へフェリーで渡り、フェリーを乗り換えて沖縄の那覇へと向かう。 フェリーは、寝台付きで、一晩過ごせば那覇へと到着するという予定だ。 フェリーに乗ると、当然の如く沖縄県人が多く、雰囲気が異なっていた。 乗客たちは、全体的に肌の色が濃く、顔の作りも濃い。 沖縄県人たちに

自転車で沖縄へ向かう話15(放浪記509)
これから宮崎から鹿児島へと向かうのだが、そのためには峠を越える必要がある。 低い丘のようなものだが、自転車の旅では低い丘でも多くの体力を消費する。 疲れる道中になることが予想されるので、朝早くに出発することにした。 山道を登り始めると、そこにはミカン畑が広がっていた。 そして嬉し

自転車で沖縄へ向かう話14(放浪記508)
朝日と共に目を覚まし、テントを畳む。 パチンコ屋の駐車場でキャンプしているところなど、近所の人に見られたくはないし、警官に質問されたりするのも面倒臭い。 ラーメン屋が開店するまで、しばらく時間があったので、近くのコンビニで朝食を買い、公園で休む。 こっちは朝の6時に起きているのに

自転車で沖縄へ向かう話13(放浪記507)
食べ終えて近くにある銀行まで自転車で向かう。 だが、残念なことにその日は日曜日で、ATM稼働していない。 こっちは曜日に関係なく自転車旅をしているので、日曜日だとは思いもしなかった。 こうなっては明日の朝まで待つしかない。 その日のうちに街を出て、森の中で気持ちよくキャンプしたか

自転車で沖縄へ向かう話12(放浪記506)
フェリーがたどり着いたのは大分県だ。 僕の人生で大分県と関わることはなかったし、大分県出身の人と出会ったこともなかったので、一切の接点はなく、全くもって未知の土地だった。 九州自体も初めてなので、新しい大陸へとやってきた感じで、期待に満ちていた。 四国の田舎具合からすると、大分の

自転車で沖縄へ向かう話11(放浪記505)
ここまで来て引き返したくはないというヤケクソの思いで覚悟を決めた。 僕は右利きなので、体の右側に自転車を持つと、自分の体が崖に面することになる。 なので、左手で自転車を推し、万が一に何かが落ちるとしたら、自転車が先に落ちるようにして、幅40センチの排水溝の上を進むことにした。 距

自転車で沖縄へ向かう話10(放浪記504)
さらに先へ進むと、看板が警告していた通りに、上から崖が崩れてきて、道路が塞がれていた。 アスファルトの道路の上に、5メートルほどの土砂の山が出来ている。 なるほど確かに、崖崩れで通行止めだ。 だが、車にとっては通行不可能だが、自転車にとっては不可能というほどではない。 ここまでき

自転車で沖縄へ向かう話9(放浪記503)
高知県にたどり着くと、また雰囲気が少し変わった。 どことなく垢抜けているのである。 空気感が明るいと言うか、雰囲気が軽いと言うか。 南に面した湾の県なので、暖かく穏やかな自然環境なのかもしれない。 高知市は小さなもので、市街地を抜けるとすぐに自然に溢れた漁村になった。 海は穏やか

自転車で沖縄へ向かう話8(放浪記502)
僕は四国の南側の海岸沿いを走り続け、右下のとんがった部分にある室戸岬を通過した。 。。。はずだが、残念ながら今の執筆時の僕には室戸岬の記憶は何も残っていない。 かまぼこやお遍路さんや温泉の記憶はあっても、景勝地の記憶とは長年残るものではないのかもしれない。 少なくとも僕の記憶に残

自転車で沖縄へ向かう話7(放浪記501)
僕は、沖縄へ向かう旅の途上で四国を自転車で走っているのだが、四国だけを目的として旅をしている人たちがいることに気がついた。 それは、お遍路という四国にある88箇所のお寺を回る巡礼のための旅人たちなのだ。 お遍路の名前を聞いたことがあっても、現代においても実際にそのような行為をして

自転車で沖縄へ向かう話6(放浪記500)
新鮮なみかんを頬張った後に、美味しいうどんを食べることが出来たのは幸せなことだったが、僕を真に驚かせたのはかまぼこだった。 まさか、かまぼこを食べて驚くことがあるということ自体が驚きの事実だが、僕は実際に驚いた。 子供の時はかまぼこやちくわといった練製品があまり好きではなかった。

自転車で沖縄へ向かう話5(放浪記499)
普通の旅なら、近くのバス停に行ってバスの時間を確認したり、タクシーに乗り込んだりするのだろうが、僕の移動手段は自転車だ。 バスの待ち時間もなければ、タクシーにお金を払う必要もない。 地図を見て方向を確認し、おもむろに自転車を漕ぎ始める。 12月の道程ははっきり言って結構寒いのだが

自転車で沖縄へ向かう話4(放浪記498)
生まれて初めての道路沿いの野宿だったが、緊張や恐怖よりも開放感が圧倒した。 僕は、そそくさと寝袋をしまい、キャンプマットを畳んで自転車の鞄へと詰め込んだ。 夜明け直後の朝靄の中、自転車に跨り、山道を流れ下る。 12月の早朝に自転車で山道を降りるのはかなり寒いが、爽快感は半端ない。

自転車で沖縄へ向かう話3(放浪記497)
僕は、完璧に旅の準備を整えて、自信満々に旅立つことができた。 自転車旅を始めるにあたって、最もかっこいいと感じたのは、実家の玄関から出た時である。 空港から旅が始まるのではなく、家の玄関から旅が始まるのだ。 僕は旅の荷物を自転車用バッグに詰めて、家を出た。 団地の自転車置き場に置

自転車で沖縄へ向かう話2(放浪記496)
次の日、朝早くに友人宅を出た。 姫路から大阪の母の家まで8時間かけて自転車で向かうのだ。 もちろん、再び電車に乗って実家へと帰るという選択肢もあったが、これから沖縄まで自転車で向かおうとしている人間が、この程度の距離で怖気付いていては話にならない。 将来的にはアフリカ大陸すら視野

自転車で沖縄へ向かう話1(放浪記495)
大きな山小屋での同僚の一人に、アウトドアスポーツマニアの男の子がいた。 彼は色々なスポーツをこなすが、その趣味の一つは自転車旅行だった。 山小屋で働いてお金をためては、新しい自転車を買い足していた。 もちろん毎回アップグレードするのである。 その中での一番古い型は、もう乗ることが

祖父の死の話5(放浪記494)
僕は、この旅行記ブログは、人記事あたり大体800文字を目安に書いている。 前回の記事で、何文字くらい書いたかな?とみてみると、ちょうど777文字だった。 まるで、ギャンブル好きの祖父の霊が見守ってくれているようである。 僕と祖父とは何らかの霊的な繋がりが強いようで、そのような話は

祖父の死の話4(放浪記493)
葬式の後は、近所の火葬場へ運ばれて荼毘にふす。 数時間かけて焼いた後は、祖父の亡骸は両手で救えるほどの遺灰のみとなった。 人の一生とは儚いものである。 僕がインドへ行って帰ってくるたびに、生前の祖父は自分もインドへ行ってみたいと言っていた。 僕は、この遺灰をみて、祖父の亡骸をイン

祖父の死の話3(放浪記492)
叔父の自殺の知らせと祖父の死とIちゃんとの別れは同じ時期にやってきた。 全てが一ヶ月以内に起こったのだ。 僕の頭の中にはIちゃんとのことが巡っていたが、それ以外の頭の中は、祖父の死と叔父の自殺だった。 別々にやってきていれば、まだ堪えることも簡単だっただろう。 だが、その全てが一

祖父の死の話2(放浪記491)
叔父は借金取りのヤクザから追われる身となり、近畿各地を逃げ回っていた。 母の家にも借金取りからの電話がかかってきていたようだ。 昔の奥さんともしばらく前に離婚しており、頼れる友人などもいなかったようだ。 逃げ回り続けた末に、どこにも行くところがなくなり、母の姉とその旦那の家へと居

祖父の死の話1(放浪記490)
大阪の実家へ帰ってきて、しばらくの間は山小屋での疲れを癒すことに費やした。 僕が帰ってきてしばらくすると、祖父の容体が一気に悪化し始めた。 そもそも僕がイギリスを離れて日本に帰ってきたのは、祖父の最後を看取るためだったが、ついにその時がやってきた。 僕にも覚悟はできていたし、祖父

北アルプスの山小屋で働く話48(放浪記489)
山小屋で何年も働く山男や山女たちの飲みっぷりは半端なものじゃない。 空気の薄い山頂ではお酒が回りやすい。 そんなところで毎晩晩酌をしている人たちにとっては、空気の濃い低地ではお酒は水みたいなものだった。 屈強で体力に溢れ、気合いに満ちた山人たちが最後の宴会をしているのである。 な

北アルプスの山小屋で働く話47(放浪記488)
僕は一人一人順番にお酒を注ぎつつ、会話をこなしていく。 それは社交辞令的な部分も大いにあるが、それでもそれぞれの個性と一対一で向き合って会話をするというのは、一歩踏み込んだ繋がりを持たされる。 お世話になった人や、よく見知った同僚とは気軽にお酒を交わし会えるが、お互いにストレスを

北アルプスの山小屋で働く話46(放浪記487)
Iちゃんは話すことを話して、スッキリしたかのように離れていった。 彼女としても僕を傷つけたくないという思いと嘘をつきたくないという思いとK君に好かれたいといいう思いの間でせめぎ合っていたようだ。 僕たちは距離を置いて歩きながら宴会場へと向かう。 色々な思いが頭をよぎり、混乱し、地

北アルプスの山小屋で働く話45(放浪記486)
とりあえず会話を続けなければ話にならない。 Iちゃんが好きになったのは誰なのか尋ねる。 だが、聞いても言葉を濁して伝えてくれない。 仕方がないので、候補になりそうな男性を一人づつあげていく。 結果的にわかったのはこの記事で紹介した5つ年下のK君だった。 K君とは僕も仲良くしていた

北アルプスの山小屋で働く話45(放浪記485)
僕はその話を聞いて納得することができた。 旅をしている最中にも常々彼女の独立心や自立心に疑問を感じていて、何度か彼女の精神的自立について話し合ったこともあった。 別れることは残念だが、彼女が自立し成長した結果として別れるのならば、辛いけれど受け入れることができる。 なぜこんなにも

北アルプスの山小屋で働く話44(放浪記484)
Iちゃんと会話をすることすら難しかったが、何とか機会を見つけて何が彼女の中で起こっているのか問いただすことができた。 その回答は、”時が来れば話す”というものだった。 僕としては全く納得がいかないが、待てと言われれば待たざるを得ない。 不満を感じたまま山小屋バイトの残りの日々を過

北アルプスの山小屋で働く話43(放浪記483)
寮では数日の間、他の小屋の従業員たちと和気藹々と過ごし、体の疲れをほぐした。 その後は一ヶ月ほどの間、以前働いていた大きな小屋で働いて山小屋バイトが終了する。 僕にとっては、ガールフレンドのIちゃんとの再会が最重要事項だ。 僕が別々に行動している間に大きく成長したように、この期間

北アルプスの山小屋で働く話42(放浪記482)
車酔いの苦しさに追い討ちをかけたのが、酸素の問題だ。 低地で暮らしていて急に標高2800メートルもの高地に上がると高山病にかかる。 酸素が薄いので呼吸がしづらく、脳内への酸素供給量も限定される。 それゆえに頭痛がし、吐き気を催し、ひどい場合には痙攣などが起こることがある。 この症

北アルプスの山小屋で働く話41(放浪記481)
もう一つ教えられてのは、下山時の歩き方だった。 山を降りるのは重力に任せて歩を進めるだけなので、簡単だと思われがちだが実は正反対で、ほとんどの事故は下山時に起こっている。 その理由は、足を下方へ踏み出したときに自身の全重量とバックパックの重さが、重力によって加速されて片足のみに負

北アルプスの山小屋で働く話40(放浪記480)
山小屋での日々は小屋閉めへと向けて進んでいく。 「小屋閉めノート」に書かれたチェックリストを一つづつこなしていく。 このノートは、毎年入れ替わる山小屋バイトの誰にでも理解できるように工夫を凝らして書かれている。 こう言った山小屋の仕事のオーガナイズのうまさは、経営理念を信奉する社

北アルプスの山小屋で働く話38(放浪記478)
この日はいつもよりもさらに早起きだ。 なんせ目的は朝日に焼ける山頂をみることなので、日が上ってからでは遅いのだ。 夜空は既に白んでいて、夜明けが近いことを示している。 テントの中で微睡んでいるうちに、朝日が昇り出した。 朝日の真っ赤な光が、山頂の天辺を照らし出す。 その光は徐々に

北アルプスの山小屋で働く話37(放浪記477)
昨日は8時間ほどぶっ続けで歩いたので足腰が疲れていたが、それ以上に山歩きの喜びが大きく、気分は高揚していた。 気分の高揚に任せてどんどんと突き進む。 何よりも気分がいいのは、人の姿も人工物の姿も一切見えないことだ。 周囲何キロ、何十キロにも続く山並みの大自然と自分だけ。 まさに外

北アルプスの山小屋で働く話39(放浪記479)
下界では残暑に苦しみ、蝉が泣き喚いているころだが、山では既に夏が終わり秋が近づいていた。 標高が1000メートル上がるごとに気温は6度づつ下がっていく。 さしづめ、2800メートルのうちの小屋では、地上と比べて17度ほど気温が低いことになる。 下界が32度の残暑ならば、山頂は15

北アルプスの山小屋で働く話36(放浪記476)
小屋から20分ほど歩いたところに温泉があった。 温泉の色は白く濁った水色で、奇妙な神秘さがあった。 あまり自然の中で見る色ではない。 僕は雰囲気のあるボロボロの山小屋に泊まる代わりに、温泉のそばでのテント泊を敢行した。 僕はテントを設営し、食事をとって温泉に入る準備を整えた。 温

北アルプスの山小屋で働く話35(放浪記475)
生きるか死ぬかの状況に研ぎ澄まされた意識は、自然の真の姿を浮かび上がらせる。 もちろん、人間社会の埃をかぶっていない山は文字通り生命に満ちていただろう。 そこに研ぎ澄まされた精神が合わさることで、緑が輝きを増すのである。 おそらく僕の目はギラギラと輝いていたことだろう。 初めての

北アルプスの山小屋で働く話34(放浪記474)
とんでもない超労働の夏の盛りを過ぎて、8月後半に入ると一気に登山客が減る。 その人数の増加具合と現象具合は、一種のバブル経済のような趣もある。 このタイミングが、僕たちバイトが休暇を取るタイミングになる。 お客さんが減るものの、夏バイトの人たちもまだ働いており、仕事もしっかりと覚

北アルプスの山小屋で働く話32(放浪記473)
支配人は常々、海の日がくるぞと言っていた。 小屋明けから海の日までの一ヶ月間は、繁忙期の準備のために費やされた。 山小屋の利益の7割ほどが、この3週間の繁忙期に集中する。 忙しい時などは、小屋の定員を超えることもある。 山小屋では定員を越えたからといって、追い返すことは法律で禁止

北アルプスの山小屋で働く話31(放浪記472)
夏バイトの二人は非常に優秀で、真面目でよく働き、人当たりも良く明るい人たちだった。 この小さな小屋に来る前にいた大きな小屋では、毎年バイト同士のいざこざが起こって、過度のストレスを持った上で繁忙期をくぐり抜けなければいけないと脅されていた。 だが、僕のいる小さな小屋では、そのよう

北アルプスの山小屋で働く話30(放浪記471)
日々の仕事は順調に行った。 毎日覚えることはたくさんあり、新しいことだらけだったが、Jさんは新人に指導するのが上手かったので、無理なく仕事に慣れることができた。 一ヶ月もする頃には山小屋のほぼ全ての仕事をこなせるようになっていた。 平日のお客さんの少ない時は僕一人が朝一に起きて全

北アルプスの山小屋で働く話29(放浪記470)
Sさんは蝶々の話に度肝を抜かれ鳥肌の立っていた僕たちに、立て続けに体験談を話してくれる。 ある時、山で猛吹雪が発生し、女性登山客が遭難した。 猛吹雪ゆえに二次遭難の恐れがあるため捜索出来ず、吹雪が止んだ後に捜索が行われた。 女性登山客は登山道の真ん中で、死体となって見つかった。

北アルプスの山小屋で働く話28(放浪記469)
Sさんは、山小屋の通常業務である、食事を作ったり布団を畳んだりなどということには関わらない。 山の専門家として、登山道の整備の他に緊急時のレスキューなどの素人では事足り無い山作業の専門家だ。 彼はこの40年の間に数多くのレスキューをこなし、数多くの登山家の死を目にしてきた。 Sさ

北アルプスの山小屋で働く話27(放浪記468)
山小屋で働いていると、山小屋関係の人脈が増えていく。 特に近隣の山小屋との関係は密接だ。 お互いに必要な時に助け合ったりもするし、必要に応じて寝床や食事も提供する。 その中でも登山道の整備は一つの山小屋の問題ではなくて、近隣の山小屋全ての問題なので、その点に関しての協力関係は密に

北アルプスの山小屋で働く話26(放浪記467)
パイプが小屋にまで繋がるのには時間がかかる。 なんせ700メートルの距離を山を登りながら繋いでいくのだから簡単な作業ではない。 2時間ほどかかるというので、持ってきていたおにぎりを食べて、昼寝をして過ごすことにした。 おすすめの昼寝場所はJさんに教えてもらっている。 谷の真ん中に

北アルプスの山小屋で働く話25(放浪記466)
僕たちはパイプの一部とパイプ接続のための道具を担いで崖を登っていく。 登りながらパイプを足元に垂らして行き、谷間へと水を届ける水路を確保する。 山から谷に降りるときは登山道を通って降りてきたが、水の湧き出る斜面へは登山道などはなく、急勾配の瓦礫の山を乗り越えていく。 はっきり言っ

北アルプスの山小屋で働く話24(放浪記465)
水あげという言葉には色々な意味があり、船から荷物を下ろすことや、漁業の収穫高、生花の用語、芸妓の用語でもあるらしい。 山小屋では文字通り水を上げることを意味する。 昔は人力で水を担いで水を提供していたらしいが、今ではエンジンとポンプを使って麓の沢から水を押し上げる。 押し上げるの

北アルプスの山小屋で働く話23(放浪記464)
小屋開けから1週間ほどは僕と支配人のJさんの二人だけだったが、1週間ほど経ってついに三人目のKちゃんがやってくることになった。 Kちゃんは以前は山の麓にある同じ系列の温泉宿で働いていたらしいが、ついに念願かなってこの小屋で働く機会を得た。 僕は20代前半、Kちゃんは30代前半、J

北アルプスの山小屋で働く話22(放浪記463)
Jさんのプロ意識は徹底していた。 それは料理人として本気で修行してきたことも関わっているし、彼本人の美意識からも来ていたようだ。 その美意識は山小屋の運営にも活かされていた。 一般的には山小屋というと厳しい自然環境にあり、粗野で質素な宿泊施設を想像されるが、うちの山小屋は違ってい

北アルプスの山小屋で働く話21(放浪記462)
料理の基礎となる包丁の話はまだ続く。 まな板の下には必ず布巾を挟むように教えられた。 そうすることで、余分な衝撃を吸い取り歯を痛めず、滑らずに安定して切り続けることが出来るのだそう。 次に教わったのは、包丁の持ち運び方だった。 大きなキッチンでは、包丁を持ったままテーブルを移動す

北アルプスの山小屋で働く話20(放浪記461)
Jさんは本当に基礎の基礎から教えてくれた。 役に立つ知識なのでいくつか紹介したい。 まず最初に教えてくれたのは、包丁の研ぎ方だった。 僕は、包丁を研ぐなどという考えすらなかったので、非常に役に立つ知識だった。 まずは研ぎ石をしっかりと水で濡らし、砥石の下には濡れた布巾をおいて滑ら

北アルプスの山小屋で働く話19(放浪記460)
彼はその経歴を生かし、最初から料理長として山小屋に就職した。 彼は料理家として優れていただけではなく、頭が良くてセンスがあったので、仕事をうまくこなし、社長の信頼を得て一つの山小屋を任されるまでになった。 そこへ至るまでには、社長との交渉が色々とあった。 Jさんは彼の才能を最大限

北アルプスの山小屋で働く話18(放浪記459)
これから僕の直属の上司になる、小さな山小屋の支配人Jさんは、かなり素敵なおじさんだった。 大きな小屋にいる時に少しづつ仲良くなっていったが、小さな山小屋に移って24時間一緒に時間を過ごすことで、その人隣が理解できるようになっていった。 彼はユーモラスで暖かい心を持ち、中継小屋のM

北アルプスの山小屋で働く話17(放浪記458)
山小屋の不潔さや不便さは歴史的なところから来ていて、この辺りの事情は一般的なホテルとは事情が大きく異なる。 歴史的に山小屋とは、山頂近くで雨露をしのぎ、飢えないために食料と水を確保できる場所だ。 命を繋いで登山を続けるための非常用の施設だ。 山頂近くにあるので、谷の湧き水などはな

北アルプスの山小屋で働く話16(放浪記457)
この小さな山小屋はまだ稼働していない。 小屋開きの準備中だ。 全ては小屋中の大掃除から始まる。 八ヶ月もの間、手付かずに置かれた小屋には埃が積もっている。 それを隅から隅まで箒で掃いて綺麗にした後に、全てを水拭きする。 掃除機などの電気を使う道具はここにはない。 ほとんどの作業が

北アルプスの山小屋で働く話15(放浪記456)
小屋へとやってきたのは、僕と支配人の二人だけである。 3人目は数日後に徒歩でやってくる予定だ。 ここからは歩いて1時間ほどの距離に2件の山小屋があるが、それ以外は何もない。 あるのは山だけだ。 木や森すらない。 とうに森林限界を超えていて、50センチ以上の大きさの植物は育つことが

北アルプスの山小屋で働く話14(放浪記455)
僕たちの乗ったヘリコプターは、山の上空へと急上昇していき、またもやとんぼ返りのような操縦の元に山を離れていく。 今回のとんぼ返りは必要なかったようだが、どうやら新参者の僕を歓迎するために、おまけとして驚かせてくれたようだ。 90度傾けたアクロバティックな操縦をしているときには、扉

北アルプスの山小屋で働く話13(放浪記454)
ヘリコプターは、荷物をヘリポートにおろして、次の荷物を取りに向かう。 次のヘリが戻ってくるまでは、時間にして10分から15分と言ったところ。 その空き時間内に、数百キロに及ぶ全ての荷物をヘリポートから片付けないといけないのである。 従業員の皆が荷物運びに集中するとはいえ、それでも

北アルプスの山小屋で働く話12(放浪記453)
大きな山小屋での仕事に慣れ始めた頃に、次の山小屋への移動の日がやってきた。 恋人のIちゃんと一緒に時間を過ごしながら働けるというのが目的で山小屋に働きにきたが、結果的にはあまり一緒に時間を過ごすことはなく、このまま次の小屋へと移動になった。 次に働きに行く山小屋は、今働いている小

北アルプスの山小屋で働く話11(放浪記452)
登山道が整備されたことと、初心者向けで登りやすいという宣伝効果が合わさったことで、登山慣れしていない年配の登山客が大勢やってくるようになった。 だが、それと同時に登山中の事故も増えていくようになった。 そして不思議なことに、その事故の多くはある一定の場所で頻発していた。 ある人は

北アルプスの山小屋で働く話10(放浪記451)
その山人の個性の代表格とも言えるのが、山小屋の代表でもある社長だった。 以前の記事では、この3代目社長が経営の神様の信奉者になってしまい極端な経営理念を従業員に押し付けている、と言う話を書いた。 この経営理念は従業員からするとたまったものではないか、いろいろな方向へ良い効果をもた

北アルプスの山小屋で働く話9(放浪記450)
僕が仲良くなりやすかったのは、K君だった。 ほとんどのアルバイトは全国各地から来ていたが、彼は地元の長野出身だった。 彼の両親は元ヒッピーの旅人で、世界や日本を旅したのちに、長野の山奥のヒッピー村に落ち着いたらしい。 今では比較的社会に適応した暮らしをしているらしいが、それでも自

北アルプスの山小屋で働く話8(放浪記449)
目つきが悪く無口なR君(二十歳)は徐々に仕事に慣れて行っていた。 慣れていくにつれて、彼のキャラクターが大きく変わっていく。 彼は無口なのではなく、実は物凄く極端に人見知りする正確だったらしい。 しかも、地元の栃木ではとんでもない不良だったらしく、銀色のスーツを着て通りを練り歩い

北アルプスの山小屋で働く話7(放浪記448)
山小屋での日々がすぎるにつれて、他のバイトの人たちと仲良くなり、色々な話が漏れ聞こえてくる。 特に社長に関する噂話は奇妙なものが多かった。 この社長の祖父は、趣味の人だった。 自然を愛し、山を愛し抜いた。 その思いが高じて小さな山小屋を建てて、山小屋の運営が始まった。 その初代社

北アルプスの山小屋で働く話6(放浪記447)
日本社会の中で働くと、色々な法律の規制がある。 それは、労働者を守るための規制でもあり、労働者を閉じ込めるための規制でもある。 守るための法律としては労働基準法や、労働時間の規制、最低賃金などがある。 だが恐ろしいことに、山小屋の仕事においてはそれらの法律は適用されなかった。 山

北アルプスの山小屋で働く話5(放浪記446)
不気味な朝礼での唱和や、仏教修行のような環境整備が終わった後に、まともな仕事が始まった。 僕もIちゃんもR君も初日なので、仕事を始める前に仕事全体を知ることから始まった。 小屋の仕組みはどうなっていて、どう言った流れで仕事が進んでいくのか。 階段の歩き方から靴の脱ぎ方まで、事細か

北アルプスの山小屋で働く話4(放浪記445)
朝8時に起きて従業員の食堂へ向かう。 朝食の時間だ。 朝ごはんもしっかりとした物が出されて、一日中働くだけのエネルギーを与えられる。 食事は常に満足できるという話は本当のようだ。 驚いたのは、食事が終わり休憩を挟んだ後だった。 皆が再び食堂に集まり朝礼が始まる。 それぞれの部署の

北アルプスの山小屋で働く話3(放浪記444)
山小屋について直ぐにバイト部屋をあてがわれた。 僕たちはカップルとして到着したが、カップルに対する優遇はなく、別々の部屋になった。 とりあえず一休みできることに感謝した。 体は完全に疲労の限界を超えていた。 休む以外には何もできない。 バイト部屋は二畳ほどの大きさの屋根裏部屋だ。

北アルプスの山小屋で働く話2(放浪記443)
中継小屋へ着くと、Mさんという口髭を蓄えた陽気なお兄さん/おじさんが出迎えてくれた。 満面に笑みを浮かべて、暖かく話しかけてくれる。 こんな感じの人なら一緒に働いてみたいと思わせるような気持ちのいい人間だ。 Mさんは、もう何年も中継小屋の支配人を続けているらしい。 彼はすでに僕と

北アルプスの山小屋で働く話1(放浪記442)
5月の後半になり、待ちに待った山小屋バイトの日がやってきた。 僕はモロッコでの大自然の体験の後に大阪に住むことになったので、近代化されたコンクリートでの暮らしに辟易していた。 ガンドルフさんに教わった自然と調和した生き方を実践したかったが、大阪で実現することは難しかった。 都会か

日本へ向かう話6(放浪記441)
ロンドンでアルバイトをしていた時に革ジャンをもらった話は、以前にこちらの記事で紹介した。 なんかものすごく高そうな革ジャンだったので、日本のオークションで売るつもりで日本に送ることにしたものだ。 さらに調べてみて、このクロムハーツというブランドの革ジャンはかなりの値打ちものだと分

日本へ向かう話5(放浪記440)
僕がチェーンレストランでうだつの上がらない日々を過ごしている間、恋人のIちゃんは日々劇団の練習に励み、輝きを増していた。 特に公演まえの1週間は、練習の激しさを増し、忙しく日々を過ごしていた。 僕は今までにそういった集団行動や、練習に励むなどといった経験がなかったので、何となく羨

日本へ向かう話4(放浪記439)
ガストのバイトで驚いたことは他にもある。 ある日、たまたま店長が管理している商品原価の書類を目にすることがあった。 店長は毎日、原価と睨めっこして売り上げを増やそうと努力している。 その書類を覗き見たところ、あまりにもの原価の安さに度肝を抜かれた。 千円以上で売っているステーキの

日本へ向かう話3(放浪記438)
山小屋の仕事が決まったのはいいが、仕事が始まるまでまだ二ヶ月ほど期間がある。 Iちゃんは劇団の練習で忙しいが、僕は特にすることもなくぶらついている。 どちらにしろお金がなかったので、時間潰しがてらにバイトをすることにした。 以前、快適にピザ屋で配達のバイトができたので、また配達の

日本へ向かう話2(放浪記437)
モロッコを最後にして別れたIちゃんに再会する。 Iちゃんの実家は僕の実家からそう遠くはないので、気軽に会える。 僕としては、大きな別れの後に大きな流れの変化があってまた再会できることは、何となく運命づけられているような気がして気分が良かった。 だが、久しぶりに再会したIちゃんはそ

日本へ向かう話1(放浪記436)
帰国の飛行機は何の問題もなく、関空へと辿り着いた。 1年7ヶ月ぶりに帰ってきた日本はどことなく違和感があった。 見慣れた感覚と懐かしい感じがすると同時に、自分はもうそこには属していないという部外者の疎外感を感じていた。 自分が旅を通して体験したことはあまりにも異次元すぎていて、感

イギリスへ向かう話2(放浪記435)
僕がロンドンについて1週間もしない頃に、大転換が訪れた。 日本からパソコンが届き、部屋と仕事を探し始めようかという頃だ。 祖父が緊急入院したというメールが母から届いたのだ。 母の父であり、僕が実家を出るまでは一緒に暮らしていた祖父だ。 体調を崩して入院しており、そう長くはないとい

イギリスへ向かう話1(放浪記434)
Iちゃんのフライトは僕よりも先だったので、日本へ旅立つお見送りをした。 お互いに納得ずみの別れなので、悲しみなどはない。 納得しあい、笑顔でお互いを見送ることができた。 今後どうなるかは全くわからないが、またいつか会う日が来ることを分かっている。 強い感情に圧倒されるが、ネガティ

モロッコを周遊する話5(放浪記433)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 空港内という状況で、Cさんはとっておきの秘密を暴露してくれた。 Cさんが履いているサンダルの中には、2キロものハシシ(大麻樹脂)が隠されているというのだ。 片方のサンダルに1キロずつ。 分厚いゴムのサンダルの内側を掘って、密封加工したハシシを仕

モロッコを周遊する話4(放浪記432)
僕たちは、ガンドルフさんやFさんに別れを告げて、モロッコを出る心構えをしていた。 この後は、僕はロンドンへ住み、Iちゃんは大阪で演劇の道に進む予定だ。 モロッコともお別れだし、僕たちの関係も無期延期になろうとしていた。 楽しかったモロッコの旅が終わろうとしている。 しつこく引っ張
モロッコを周遊する話3(放浪記431)
僕たちは、街を出て田舎へ向かう。 田舎といっても街から車で40分くらいの距離だが、たったの40分で雰囲気はガラリと変わる。 モロッコの街の都市生活から、地中海沿岸の乾燥した港町へ。 最初に着いたのが、近隣に住むモロッコ人ヒッピーカップルの家だった。 今度はFさんの家とは打って変わ

モロッコを周遊する話2(放浪記430)
ガンドルフさんは田舎の方に住んでいるので、まずは街に住むFさんと再会してから、一緒にガンドルフさんに会いにいくことにした。 Fさんはオアシスにいた時から都会的な雰囲気を醸し出していたが、家に遊びに行ってみると、やはりその雰囲気は当たっていた。 久しぶりに体験する都会ぶりと、Fさん

サハラ砂漠の滝でキャンプする話6(放浪記427)
向こうには湖が見えている。 満月の下で泳ぎたいところだが、街の住民の飲み水になるものなので、ガンドルフさんから泳ぐことは禁止されている。 満月の明かりに照らし出された湖は、暗闇の中に浮かび上がり、高貴な姿を光らせていた。 僕たちは光る湖を見ながら語り合った。 過去の暮らしの話や、

モロッコを周遊する話1(放浪記429)
ついに別れの時が来た。 Yくんとの別れであり、結果的に二ヶ月半ほど滞在することになった砂漠の街ワルザザードとの別れであり、フェスティバルからみの色々な思い出との別れである。 そしてガールフレンドのIちゃんとの別れへと向けた旅立ちである。 僕たちは、北にあるモロッコ文化の古都マラケ

サハラ砂漠の滝でキャンプする話7(放浪記428)
満月の日の次の日は、タープの下の木陰でゆったりと過ごした。 その日は日が暮れてすぐに眠りにつき、朝日が昇るまでの時間をしっかりと眠り、疲れをとった。 これからしばらくは移動の旅が続く、体調を整えておくことが優先事項だった。 次の日には僕たちはテントをたたみ、キャンプ道具をしまい、

サハラ砂漠の滝でキャンプする話5(放浪記426)
僕たちは、滝の上側にある少し盛り上がった岩場に座り、夕陽を見ていた。 夕陽が沈むと、満月が地平線から昇ってくる。 砂漠においては、家の天井もなければ、高層ビルもない。 山も森もなければ、雲ひとつとしてなく、月が昇ればその全容が目の前に現れる。 周囲はまだ明るいので、満月の姿はうっ

サハラ砂漠の滝でキャンプする話4(放浪記425)
Yくんは英語がペラペラだし、Iちゃんもモロッコに来て以来、英語がどんどんと上達して行っていて、みんなと会話を楽しんでいた。 僕も、モロッコに来て以来、ものすごい英語の上達があったが、元来は中学の英語のテストで1点をとった身である。 十倍に上達しても10点程度のものなので、そこまで

サハラ砂漠の滝でキャンプする話3(放浪記424)
まず最初に驚いたのが、Yくんが来ていた服だ。 ただのトレーナーのようなものかと思いきや、特殊素材でできており、薄くて軽くて頑丈で、何よりも相当に暖かい。 僕はそんな知識など何もないから、Tシャツを12枚重ね着して寒さを凌いでいたが、Yくんの装備を知ってからは無性に上質の山道具が欲

サハラ砂漠の滝でキャンプする話2(放浪記423)
Yくんは日本で暮らしていたときに、カナダ時代の親友と共同生活していた。 その時の同居人が登山道具関係の会社で働いていたことから、登山関係者と深い繋がりがある。 年末の忙しい時期には、バーゲンセールの手伝いをすることも多いらしく、その伝手を通して登山道具を安く手にいれることができる

サハラ砂漠の滝でキャンプする話1(放浪記422)
トラックを見送った後は、自分たちの旅をする番だ。 僕たちは、それぞれのバックパックと共同生活の残り物の食材を背負い、湖のそばにある滝へと歩き始めた。 30分ほど歩いた後に、滝のある場所へと辿り着いた。 滝といっても色々あるが、この滝は高さが3メートルほどの岩壁から小川が垂れ流れて

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話33(放浪記421)
小屋を借りている期限の最終日にトラックがやってきた。 今まで使っていた日用品をガンドルフさんの住居のあるタンジェへと運ぶためだ。 僕たちは皆、最初から最後までガンドルフさんの世話になっている。 お釈迦様の手のひらの上で遊ばせてもらっているような感じか。 小屋の中をきれいに掃除し、

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話32(放浪記420)
僕たちの共同生活に終わりの時が近づこうとしていた。 そもそもこの共同生活がどのような意味を持っているのかは、誰もまともに理解できていなかったが、それと同時に誰もこの共同生活が無限に続くとは考えていなかった。 その限界は、ガンドルフさんによってもたらされた。 お金が尽きたのである。

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話31(放浪記419)
(この記事は、下記の日付にnote.comへと投稿したものをこのサイトで再投稿したものです。) 前回の記事でガンドルフさんへの感謝を散々述べたことには理由がある。 実は、今日ものすごく久しぶりにガンドルフさんのFacebookを開いたのだ。 ガンドルフさんのことを毎日のように書い

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話30(放浪記418)
僕の反骨精神は半端なく強かった。 それは抑圧された子供時代の反発でもあっただろうし、その後に進んだヒッピー旅人文化の影響も大きいだろう。 だから僕に対して物事を教えるというのは、なかなか骨の折れる作業なのではないかと思う。 特にそれをする相手が経験豊かなおじさんとかだと、なお一層

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話29(放浪記417)
彼のエコロジーに対する考え方は、少し過剰なところもあり、原理主義のように捉えられるかもしれない。 そこには共産主義的な思想の罠や地球温暖化詐欺などが潜んでいるが、この放浪記ではあえて触れないでおく。 気になる方は、僕の情報記事などを調べてください。 僕がガンドルフさんから学んだの

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話28(放浪記416)
僕はこの共同生活で、非常に多くのことを学んだ。 まず、一番大きく影響を受けたのは、エコロジーに対する意識だ。 これは2001年の話で、エコロジーと言う話題は、日本では殆ど誰も話していなかった頃の話だ。 僕はエコロジーという言葉や概念は知っていたが、気にしたことは一度もなかった。

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話27(放浪記415)
僕たちはすやすやと心地よく眠っていたが、その安眠は夜中に妨げられることになった。 風が吹き出してテントを揺さぶり始めたのだ。 だが、日本の台風の恐ろしさを知っていたことが自信になり、砂漠の暴風を舐めてかかっていた僕たちはそのままテントの中で眠り続ける。 風はその速度を増していき、

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話26(放浪記414)
日本に育った人間は台風の凄さをよく知っている。 特に沖縄ではその脅威は人を殺すほどであり、舐めてかかるものなど誰もいない。 僕は大阪の団地に育ったので、沖縄人ほど台風を経験しているわけではないが、それでも強風の恐ろしさはよく知っているつもりだ。 だがそんな強風に対する常識を覆すよ

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話25(放浪記413)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) モロッコ人のおじさん(49)Fさんは、優しい目をした優しいおじさんで、僕とIちゃんに対しては特に優しかった。 もしかしたら自分の子供のように感じてくれていたのかもしれない。 実際に年齢も僕たちの親の世代である。 彼はガンドルフさんの古くからの友

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話24(放浪記412)
Mくんのヒッチハイクは無事に進み、1週間もした頃には無事にドイツに着いたと言う連絡がメールを通して伝わってきた。 ビザの期限を超過したことは国境で問題になったらしいが、罰金を取ろうにもお金を持っていないので、相手にするだけ時間の無駄だと思われて、そのまま国境を越えることができたら

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話23(放浪記411)
Rさんの文無しの厄介さとOちゃんの文無しの力強さの両方を目の当たりにしたMくんには思うところがあったのだろう。 あるとき突然に、ドイツへ帰ろうと考えていると言い出した。 お金は底を尽きていたが、友人に旅費を借りて、自国へ帰って働いて返すつもりだという。 Oちゃんの影響で自由を知っ
サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話22(放浪記410)
RさんとCさんの関係が発展しようとしていた。 だが、恋心が成長するよりも先に、Rさんの共同生活においての厄介さがCさんの頭をもたげていたようだ。 既に色々と煙たがられている上に、一文なしで行く宛のないRさんを受け入れることに抵抗があったのだろう。 数日の間は仲良くなりつつあった二

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話21(放浪記409)
皆で一緒に暮らすにあたって、それぞれがそれぞれの枠割を務める。 僕は重たい水瓶を毎日運んでいたし、人によっては料理したり、買い出しに行ったり、お金を出したり、地元の人との掛橋になったりなどだ。 だが、その中で自分の役割を見つけられず苦しんでいる人が一人いた。 イギリス人女性のRさ

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話20(放浪記408)
10人の共同生活において、僕とIちゃん以外は全員が独り身だった。 ガンドルフさんに至っては、つい先日に離婚したばかりだ。 それぞれが潜在意識的に恋愛関係への希望を持っていたのではないかと思う。 10人のうちの男女比率は7対3と圧倒的に男性が多い。 女性に有利な環境だ。 そんな中で

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話19(放浪記407)
最高に楽しかったマジカル・フルムーン・エクリプス・パーティーは終わりに近づいていた。 夜が白み始め、朝日が登る時間が近づいてくる。 東の空が明るくなり始め、満月は西の空に沈みかけている。 だが、満月は地平線へと沈む前に、明け方の光の中へと消えてしまった。 その直後に地平線から朝日

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話18(放浪記406)
色々な話があったが、一番衝撃的だったのはガンドルフさんの話だ。 彼はなんと、フェスティバルが始まる直前に離婚することになったんだという。 奥さんや娘がいるという話はしていたが、あまり詳しく話さなかったのは、ややこしい裏事情があったからのようだ。 彼は詳しい事情は話さないが、僕とI

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話17(放浪記405)
旅人が集まる場では、旅の話が一番盛り上がる。 誰もが興味があり、誰もが何らかの話を持っている。 僕が興味を持ったのは、DさんとEさんがこの後に向かう旅の話だ。 彼らはこの後に元いた場所に帰るわけではなく、続けてモロッコを旅するわけでもない。 彼らが向かうのはインドだ。 12年に一

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話16(放浪記404)
月にかかった雲だと思っていたものは、実は皆既月蝕だった。 種明かしされても、驚きも感動も美しさも変わらない。 月は赤黒く光り、さっきまで満月の光のせいで見えなかった星たちが一斉に力を取り戻している。 暖かかった月光も今では消え去り、急に砂漠の夜の冷えを取り戻している。 僕たちは焚

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話15(放浪記403)
僕とIちゃんは焚き火から少し離れ、暗闇から美しい満月を眺めていた。 鋭くも暖かい月の光が何とも言えず心地よい。 心なしか通常の夜よりも暖かく感じる。 本で読んだ情報によると、満月の日は半月の日の五十倍の光の強さがあるという。 そんな話を納得できるほどの光の強さだった。 雲ひとつな

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話14(放浪記402)
DさんもEさんも相当に旅慣れているようだが、彼らが持って来ている装備は、旅人のそれではなかった。 Dさんは巨大で10キロくらいはありそうなジャンベ(アフリカ太鼓)を持ち、Eさんは同じく10キロくらいありそうな巨大なディジェリドゥー(オーストラリアの原住民の楽器)を持って来ていた。

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話13(放浪記401)
Mくんの勢いは”いまここ”という瞬間に集約しており、日々を最大に生きることに注がれていた。 それは、逆にいうと長期的な予定を無視しているということにもつながる。 彼の場合は、それがビザ切れという形で現れて来ていた。 モロッコのビザは三ヶ月あり、ほとんどの旅人にとっては十分な期間な

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話12(放浪記400)
ドイツ人の若者Mくんは、変化の時を過ごしていた。 彼は思うところがあり、ドイツを飛び出してモロッコへとやって来た。 旅人には準備万端に貯金をして、装備をしっかりと整えた上で、満を辞して旅に出るYくんのような人が一般的だ。 だがMくんは全く逆で、ただ思いのままに旅に飛び出して、流れ
サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話11(放浪記399)
今回のモロッコ旅行では色々と強力な個性を持つ人たちと出会ったが、Cさんもなかなかのものである。 一般的に田舎人のイメージというと野生的であったり、粗野、素朴、優しい、人が良い、朴訥、人情が豊か、感情が豊かなどと言ったところだろうか。 Cさんはそういったイメージを”朴訥”の部分を除

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話10(放浪記398)
みんなが起き出してきた頃に誰かが朝食を作る。 当番制とかではなく、お腹がすいた頃に誰かが作るといった感じだ。 だから誰も気が向かないと朝食の代わりに昼食になったりもするが、誰も時間に追われているわけではないので、大した問題ではなかったりもする。 基本的には全員が必要な仕事に対して

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話9(放浪記397)
水瓶で水汲みをしたことのある人はそうは居ないとは思うが、はっきり言ってかなり重い。 水瓶一つで10キロくらいあり、そこに15リットルくらいの水を入れて運ぶのである。 そして、不幸なことに両手で運ぶには不自然な形なので、片手づつに水瓶を持って運ぶことになる。 合わせて50キロのもの

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話8(放浪記396)
ひたすらシンプルな砂漠の生活のゆえに、自然と日々の生活のリズムができてくる。 まず、朝になり日が上り始めると、瞬く間に暑くなる。 特に直射日光を浴びたテントというのは、サウナ並みの暑さになる。 これを僕たちは夏が来たと呼んでいた。 夏が来ればテントから這い出して、着込んでいる服を

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話7(放浪記395)
日々の生活は単純だが充実したものだった。 僕とIちゃんは外に張ったテントで寝ていたので、プライバシーや個人の時間を確保できたので、その点に関しては他よりも楽だったようだ。 テントでの生活には良い点と悪い点があり、プライバシーや自由さは素晴らしかったし、自然と密着した暮らしも気持ち

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話6(放浪記394)
キリのいい10人という人数での共同生活が始まった。 その中で最多の30%を誇るのが、我らが日本人チーム、僕とIちゃんとYくん。 そして、2番目に人数が多いのが、モロッコ人のFさんとA君の二人、そしてイギリス人のガンドルフさんとRさんの二人だ。 残りは、フランス人とドイツ人とオース

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話5(放浪記393)
オーストラリア人のOちゃんの旅の武勇伝は、聞いていて驚かされることが多い。 だが彼女のその見た目は、厳つい武勇伝とは反比例して、若くて美人の白人女性だ。 ジャニスさんのようなド派手な厳つさはなく、家庭的な雰囲気すら併せ持つ。 そんな彼女は、ロンドンからモロッコまで無一文でヒッチハ

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話4(放浪記392)
誰一人として実際に何が起こっているのか分からないまま共同生活が始まった。 おそらく誰一人としてこれと言った目標はなかっただろう。 だが、今になって思うとガンドルフさんには思うところがあったようだ。 彼はこの機会を利用して、自然発生的にコミュニティのようなものを作りたかったのかもし

サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話3(放浪記391)
ガンドルフさんが運んできたのは、人だけでなく、数多くの道具類も一緒だった。 米や小麦や野菜類などの食料、フェスティバルで使われたカーペットやクッション類、調理器具や大工道具などだ。 その中で一番大きく、一番目を引いたのは、巨大な金属の物体だった。 1メートル以上ある大きさのパラボ

サハラ砂漠のオアシスで暮らす話2(放浪記390)
現在集まっているのは、僕とIちゃんのカップルと、日本人の友人のY君。 そしてガンドルフさんと、付き人のAくんだ。 明日になると残りのメンバーが集まってくるという。 このメンバーはガンドルフさんが今回フェスティバルをオーガナイズした中で、気に入ったメンツの中から時間に余裕のある旅人

サハラ砂漠のオアシスで暮らす話1(放浪記389)
僕たちはホテルで待ち合わせをして、皆で乗合タクシーに乗り、オアシスにある小屋へと向かう。 とりあえず、僕たちが一番乗りで、後から何人かが参加してきて、最終的には10人ほどで共同生活することになるらしい。 これからどんな生活が待っているのか、全く想像がつかない。 みんなで暮らす拠点

モロッコで21世紀を迎える話45(放浪記388)
最高に面白いアフターパーティーが終わり、日本人の友人のY君と如何にこのパーティーがスゴかったかについて熱弁を交わしているところへ、ガンドルフさんがやってきた。 いつもよりもさらに改まった表情をしている。 このフェスティバルが終わった後に、友人達を集めてオアシスで暮らすつもりなんだ

モロッコで21世紀を迎える話44(放浪記387)
実はジャニスさんの10トントラックにはお供がいて、キャンピングカーで旅するカップルが連れ添っていた。 彼らはジャニスさんとワイルドな彼氏のような野生的な個性ではなく、どちらかというと知的な風貌をしたヒッピートラベラーだった。 その彼氏がこのアフターパーティーでDJを始めた。 どう

モロッコで21世紀を迎える話43(放浪記386)
最高に気分の良い状態で新世紀を迎えることができた。 それは僕にとっては最高にご機嫌な100年が待っているという兆しだったし、そのためにはるばるサハラ砂漠までやってきたのだ。 朝日は過ぎ、日が昇ってきて暑すぎてまともに陽の下には居れないので、友人たちの集まるテントへと向かった。 昨

モロッコで21世紀を迎える話42(放浪記385)
僕たちは暗闇の中を光と音のする方向へ向かって歩いた。 ダンスフロアが近づいてくると、ステージの後ろにある遺跡/廃墟のようなものがスポットライトで照らされているのが見えてくる。 フェスティバルという特殊な状況も合わさって、神秘的な雰囲気がそこはかとなく漂ってくる。 あと数時間もすれ

モロッコで21世紀を迎える話41(放浪記384)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕もIちゃんもインドで何度もLSDを取っていたので、A君のようなドラマは何度か見たことがあった。 それなりに慣れてはいたが、やはり全裸で放浪している友人を目の当たりにすると、何とかしなければと焦ってしまう。 だが、ガンドルフさんや、DさんEさん

モロッコで21世紀を迎える話40(放浪記383)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕もIちゃんもA君に対して親しみを感じていて、友人だと認識している。 だが、僕たちが話すことができるのは、日本語とカタコトに近い英語、Aくんが話すのはモロッコ語とフランス語(モロッコはフランスの植民地だった)だけだ。 要するに共通する言語を持た

モロッコで21世紀を迎える話39(放浪記382)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) LSDを摂取してフリップアウトするというのは、よくある話で、慣れている人からすると、いつもの話である。 99.9%の場合において、LSDの薬理作用が収まるとともに日常へと帰ってくる。 ごく稀に戻ってこないのは、何種類ものドラッグを合わせてやった

モロッコで21世紀を迎える話38(放浪記381)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 夕日を見終わって、友人たちが集まっているサハラ砂漠仕様の大きなテントに向かう途中で、ある噂を聞いた。 ガンドルフさんのお手伝いをしているA君が、LSDをとりすぎてフリップアウトしたというのだ。 フリップアウトとは、強烈な体験により通常の意識を失

モロッコで21世紀を迎える話37(放浪記380)
昼間に砂漠の日差しの下で半裸で踊るが、日差しのない夜は一気に冷え込む。 それは砂漠特有の気候なのだが、実際に経験してみると驚くほどのものだ。 街中や森の中では、建物や湿気や木々が気温や空気を保存するので、昼夜の寒暖差はあまり大きくならないのだが、ここサハラのど真ん中では話が変わっ

モロッコで21世紀を迎える話36(放浪記379)
そんな彼女たちは、黒塗りの巨大な10トントラックを運転して、ヨーロッパ中とアフリカ中を旅して暮らしている。 トラックがそのまま家になっていると同時に、フェスティバルを開催する機能も備えている。 巨大な発電機もスピーカーもあるし、フェスティバル中にレストランを開くだけの設備も兼ね備

モロッコで21世紀を迎える話35(放浪記378)
僕がジャニス・ジョプリンを超えると評するその女性は、4人の子供たちを引き連れていた。 年は3歳から11歳の女子たちである。 嘘か本当かは知らないが、強いエネルギーを持つ女性は、その強女遺伝子を後世に伝えるために女児を産むことが多いという。 彼女をみる限りでは完全に納得できる話だっ

モロッコで21世紀を迎える話34(放浪記377)
砂漠に降り注ぐ熱い日差しの下ではテントの中で寝続けることはできなかった。 テントの外に出ると、自分たちのいる島と周りを取り囲む湖が見渡せる。 僕たちはとにかく美しい絶景のど真ん中にいた。 そんな美しい景色の中から、張り裂けるような怒声が飛んできた。 トラックで旅しているカップルが

モロッコで21世紀を迎える話33(放浪記376)
フェスティバル会場についてキャンプを始めたものの、フェスティバルの開始は遅れていて待てども待てども何も始まらない。 たった数日前に全ての建築物が全壊したことを知っている身としては、文句を言わずに待つだけだ。 ヨーロッパの質の高いフェスティバルを経験している客からは不満の声が聞こえ

モロッコで21世紀を迎える話32(放浪記375)
とうとう待ちに待ったフェスティバル開催の日がやってきた。 20世紀の2000年12月30日に始まり、21世紀の2001年1月2日に終わる世紀超えフェスティバルだ。 世紀をまたぐチャンスなど一生に一度あるかないかだ。 この特別なタイミングを祝うために世界中から旅人がやってくる。 そ

モロッコで21世紀を迎える話31(放浪記374)
砂漠へ降る4年ぶりの雨に人々は歓喜していたが、この天候の軌跡がもたらしたものは喜びだけではなかった。 雨の量は大したものではなかったが、それでも真冬の砂漠の気温を下げることには成功した。 一部で気温が下がり、一部では同じ気温のままだとどうなるかというと、風が吹くのである。 そして

モロッコで21世紀を迎える話30(放浪記373)
つい先日にクリスマスを超えたところだが、イスラム教徒の国であるモロッコでは、クリスマスには何の意味もない。 彼らにとって重要なのは、一ヶ月ほど前から始まった長期断食の儀式だ。 国によって断食の厳しさ具合は違うらしいが、ここモロッコでは比較的緩く、断食といっても全く食べないわけでは

モロッコで21世紀を迎える話29(放浪記372)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) クリスマスの夜はDさんにもらった魔法のLSDのおかげで最高に楽しい時間を過ごした。 DさんやEさんや、その他のメンツはおもしろカッコよく、面白い旅の話を色々としてくれた。 その場にいたスイス人女性のMさんは日本の六本木でホステスの仕事をして旅を

モロッコで21世紀を迎える話28(放浪記371)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) だが、僕がそれまでに経験していたLSDは偽物の経験だったようだ。 通常、LSDには色々な混ぜ物が入っているが、その混ぜ物がLSDの本来の経験を阻害していたようだ。 DさんがくれたLSDは、スイスの研究所から直接手に入れたものだという。 LSDは

モロッコで21世紀を迎える話27(放浪記370)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Dさんが持ってきたマラナ・クリームにはそれを吸うに値するチロムが必要だったが、Dさんは税関で捕まるリスクを避けるためにチロムは持ってきていなかった。 だから、僕がインドから持ってきたチロムを共有した時には大いに喜んでくれた。 僕としても、Dさん

モロッコで21世紀を迎える話26(放浪記369)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 年の瀬が迫り、クリスマスの日がやってきた。 僕たちは、DさんやEさんや彼らの友人たちのスイス旅人チームに誘われて、クリスマスパーティーに参加していた。 彼らの持つ音楽的才能や旅の経験はものすごく面白いものだが、彼らの凄さをさらに際立たせていたの

モロッコで21世紀を迎える話25(放浪記368)
フェスティバルの開催日が近づくにつれて、オーガナイザーチームの混乱が増して行っていた。 順調に進んでいる部分もあれば、滞っている部分もある。 通常では大きなフェスティバルは経験豊かなスタッフ陣がサポートしあって作り上げていくものだが、このフェスティバルはモロッコ史上初の電子音楽フ

モロッコで21世紀を迎える話24(放浪記367)
フェスティバルが始まる前の1週間ほどは、目まぐるしく過ぎていった。 ホテルに集まってくる旅人はどんどんと増えていき、全ての部屋は満室になり、ホテル側は臨時の部屋や臨時の布団などを出して来て対応している。 宿泊料金も大幅に値上げしているようだ。 僕たちは超破格の一日三百円をまとめて

モロッコで21世紀を迎える話23(放浪記366)
フェスティバルの日が近づくにつれて、僕たちの滞在しているホテルも旅人たちで賑わい始めた。 もちろん、このようなイベントがこの砂漠の街で行われることなど初めてのことだし、モロッコ史上においても初の電子音楽フェスティバルになるようだった。 旅人たちは主にヨーロッパ各地からやって来てい

モロッコで21世紀を迎える話22(放浪記365)
ある日突然に、砂漠のオアシスに浮かぶ島の真ん中に日本庭園を作ることになった。 今の時代なら、スマホで日本庭園を検索してなんらかのイメージやアイデアを得られるのだろうが、20年以上前のサハラ砂漠には、メールのやりとりをするのがやっとのインターネットカフェしか無かった。 僕たちの持っ

モロッコで21世紀を迎える話21(放浪記364)
Y君はほんの数日前までは東京にいたらしく、都会っぽさと清潔さと緊張感が漂っていた。 その反面、僕たちは完全に砂漠の街に馴染んでくつろいでいたので、その対比が面白くもあった。 僕たちにとっては、彼の都会っぽさは懐かしくもあったが、少し鼻につく部分もあった。 それは旅に出て砂漠に触れ

モロッコで21世紀を迎える話20(放浪記363)
フェスティバルの開催日が近づくにつれて、ホテル内にも街にも少しづつ外国人旅行者の姿が見え始めた。 通常、この街を通り抜けるのはサハラ砂漠へとツアーに行く旅行者がほとんどだが、今はフェスティバルを目的にしているであろう旅人が目に付く。 年齢層も見た目も雰囲気も大きく違うので間違えよ

モロッコで21世紀を迎える話19(放浪記362)
豪邸に着き中へ入ると、数日前と比べても明らかに人数が増えている。 話によると、フェスティバルの日付が近づいているので、これからどんどんと手伝いの人数が増えていくのだという。 フェスティバルまで2週間ほどなので、これから忙しくなるのだろう。 前回パーティーに来たときは、それぞれのメ

モロッコで21世紀を迎える話18(放浪記361)
この日は、食事が終わった後に車で宿まで送ってもらった。 僕たちは部屋へ帰っても、今日の予想外の出来事に興奮して、なかなか寝付けなかった。 今朝まで思いっきりサハラの民の生活をしていたところに、魔法使いのおじいさんに出会ったことで、とんとん拍子に西洋風の豪邸へと連れて行かれ、色々な

モロッコで21世紀を迎える話17(放浪記360)
しばらくすると食事の準備ができて、皆で食堂に集まる。 テーブルの上に並べられた料理から好きなものをとって食べるバイキング方式だ。 僕たちはここ最近はずっとモロッコの砂漠の現実の中に生活していたので、このヨーロッパ風の生活にびっくりしている。 砂漠の街の生活から西欧風豪邸での生活。

モロッコで21世紀を迎える話16(放浪記359)
ガンドルフ爺さんの印象が強すぎて、オアシスにまで意識がいかなかったが、乾燥して赤くて硬い砂漠の真ん中に、水色に光り輝くオアシスがあるのいうのは余りにも美しく、奇跡を感じさせるような光景だ。 フェスティバルが行われる予定の島は見当たらない。 ガンドルフさんに聞いてみると、雨が降るこ

モロッコで21世紀を迎える話15(放浪記358)
こんな何もない砂漠で、”何か”があることにそもそも驚いたし、その物体が”動く”ことにさらに驚き、それが”人間”だと分かった時にはさらに驚いた。 極め付けはその人物はガンドルフそのものだったことだ。 だが、驚いたのは向こうも同じだっただろう。 まさか、フェスティバルが始まる何週間も

モロッコで21世紀を迎える話14(放浪記357)
僕たちには時間がたっぷりとあったので、フェスティバルをやる予定の場所へ行ってみようと言うことになった。 街から乗合タクシーに乗って20分ほど行ったところで、運転手の指示通りにバスを降りた。 ここがフェスティバルが行われる予定の場所らしい。 少なくともフェスティバルのフライヤーに書

モロッコで21世紀を迎える話13(放浪記356)
僕たちは、基本的になんの意図もなく日々を楽しく過ごした。 全く違う文化圏の全く見知らぬ街に暮らすと言うだけで、何をせずとも最高に楽しい。 もちろん楽しいのは、この何もない砂漠の街が、意外にも結構いい街だったからだ。 人々は素朴で暖かく、僕たちのことを笑顔で迎えてくれる。 後で聞い

モロッコで21世紀を迎える話12(放浪記355)
僕たちにはまともに払うお金がないと言うことを説明し、一泊当たり約300円ならまとめて払うことができると伝えた。 僕たちは宿を必要としていたわけではなかったから、強気の交渉である。 マネージャーは僕たちを気に入ってくれていたと言うこともあるのだろうが、渋々約300円の案を飲んでくれ

モロッコで21世紀を迎える話11(放浪記354)
本当にお金が切羽詰まっていたので、宿に長期滞在することは考えていない。 この日のためにテントを買っているので、どこか郊外に行ってキャンプでもしようと考えている。 キャンプをしたのは、小学生の時に家族親戚と夏休みに出かけた時以来だが、やってやれないような物でもないはずだ。 モロッコ

モロッコで21世紀を迎える話10(放浪記353)
シャウエンで旅の疲れを癒やし、美味しい物をたくさん食べて、目的を果たした僕たちは、今回の旅の目的の本拠地であるワルザザードへ向かうことにした。 ワルザザードはサハラ砂漠の入り口の街だ。 そこから少し離れたところにあるオアシスでフェスティバルが開催されるらしい。 Iちゃんがお金がな

モロッコで21世紀を迎える話9(放浪記352)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 手に入れたハシシの塊は美しく、芳しい香りを放っていた。 興味のない人にとってはただのドラッグだが、大麻好きにとっては大麻草の花粉は魔法の粉で、それを固めたハシシはマジック・ポーションのような物だった。 僕たちは早速宿へと戻り、僕がインドから持っ

モロッコで21世紀を迎える話8(放浪記351)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 値段を聞くと、200グラムの塊が約32000円だという。 用意していた金額ともほぼ合うし、1グラムあたり160円とは予想以上に安い。 ロンドンにいたときは、1グラムあたり1500円ほど払っていたし、日本だと8000円とかするらしいから、1グラム

モロッコで21世紀を迎える話7(放浪記350)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 翌日、街に行って30000円分ほどの現金をATMから引き下ろし、ホテル内に隠した上で、手ぶらでウエイターに会いに行った。 万が一のことを考えて、襲われても何も取られないようにするためである。 レストランには別の若者が来ており、彼について行けとい

モロッコで21世紀を迎える話6(放浪記349)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ここシャウエンにきた本当の目的は、旅の疲れを癒すことだけではなくて、ハシシ(大麻樹脂)を買うことが主目的だった。 シャウエンは通称モロキャン・ハッシュと呼ばれるモロッコ産の大麻樹脂の産地で、旅人やヒッピーたちの間ではよく知られている。 インドの

モロッコで21世紀を迎える話5(放浪記348)
ウエイターのおすすめのアンチョビ・タジンがやって来た。 タジン専用の土鍋を開けた瞬間に漂う、野菜と魚とオリーブオイルの合わさった匂いが何とも食欲をそそる。 言わずもがな、驚くほどの美味しさだ。 ここに来て確信したが、モロッコの食事はどこで食べてもかなり美味しい。 美味しいか、すご

モロッコで21世紀を迎える話4(放浪記347)
ローカルバスを乗り継いで、シャウエンの村までやって来た。 やはりここでも案の定、客引きのラッシュが始まる。 長距離バス乗り場というのは、なぜか世界共通でガラの悪い空気が漂うのだが、ここでも同じだった。 見た目のいかつい、ヤクザ風のマッチョマンが幅と睨みを利かせている。 バス乗り場

モロッコで21世紀を迎える話3(放浪記346)
タンジェはヨーロッパと接する港町で、風光明媚な観光地でもあるので、魅力的なレストランなどが多い分、自然と物価も高くなっている。 パートナーのIちゃんの旅の資金がギリギリだったので、僕たちは物価の高い街でゆっくりと観光をしている余裕はあまりなかった。 タンジェについた次の日には手っ

モロッコで21世紀を迎える話2(放浪記345)
フェリーは夕暮れ時にモロッコの最北端の街タンジェへと到着した。 タンジェの街は海沿いの港町だが、それと同時にかなりの標高のある丘の町でもある。 その斜面に立ち並ぶ街並みに西日が当たっていて、なんとも美しい金色に輝いている。 僕たちはアフリカ大陸について早々に見る美しい街並みに、ま

モロッコで21世紀を迎える話1(放浪記344)
夜行バスは、スペイン最南端の街アルヘシラスへと到着した。 まだヨーロッパだが、ロンドンと比べるとはるかに暖かい。 朝の早い時間だが、光の具合は強く、強い生命力を感じる。 スペイン国内の様子をみてからモロッコに行きたかったが、旅の資金があまりなかったので、ヨーロッパ内では大人しくし

ロンドンに住む話39(放浪記343)
いよいよ旅立ちの日がやって来た。 飛行機は一般的なヒースロー空港から出発するのではなく、マイナーなルートン空港からの出発になる。 出発時間は明け方の5時なので、前日から空港に泊まり込みで離陸に備える。 空港についてみると、受付カウンターは一番端っこの最も不便なところに存在していた

ロンドンに住む話38(放浪記342)
モロッコ行きへの準備は着々と進んでいた。 今回初めてヨーロッパ国内を移動することになるので、旅費の高さを恐れていたが、チケットを調べてみてその安さに驚いた。 僕が普段使うインターネットカフェのイージーインターネットが、イージージェットという格安航空会社を運営しており、イージージェ

ロンドンに住む話37(放浪記341)
冬が近づいた寒空の下を自転車でバイト先まで通っていた時のこと。 バイト先のオーナーの奥さんが、僕の貧しさと寒さを心配してくれて、革ジャンをくれることになった。 革ジャンなどは、全く僕のスタイルではないのだが、くれると言うものを断るほど無粋でもない。 奥さんが言うには、元々はオーナ

ロンドンに住む話36(放浪記340)
僕たちのモロッコ行きが決まってからは、生活がさらに輝きを増しはじめた。 いつまでもあると思うと、雑に扱ってしまうが、もう終わりだと思うと急に惜しくなる。 それまでの当たり前のロンドンの日常も、残りわずかな日々だと考えると貴重に思えてくる。 いつもの週末のフリーマーケットなども、い

ロンドンに住む話35(放浪記339)
知能指数が異常に高い友人のJくんの家に遊びに行った時に、素敵なイベントのフライヤー(宣伝チラシ)をもらった。 それは、今年2000年の年越し、引いては21世紀の夜明けを祝うモロッコでの年越しサイトランス・パーティーのフライヤーだった。 こんな感じ。 サハラ砂漠のオアシスに浮かぶ島

ロンドンに住む話34(放浪記338)
脳科学の最新情報 僕が買った本の内容は2000年の脳科学の最新情報を網羅しつつ、哲学的な話や精神医学や宗教的な意識の話にまで及ぶようなものだった。 21年前の最新情報なので、今では古い情報になっているだろうし、間違えている情報も数多いとは思うが、立花氏の知に対する姿勢や態度には大

ロンドンに住む話33(放浪記337)
これは2000年当時の話。 インターネットが今ほど発達していないので、情報に関しては今ほどの自由さは無かった。 情報源は誰かが書いた本や雑誌、あるいは口コミなどの直接的な情報が主なもの。 日本を離れて旅する者にとって、日本語の文字情報を手に入れる方法は、インターネットカフェに行き

ロンドンに住む話32(放浪記336)
ダブのイベントに出かけると必ずと言っていいほど見かける日本人男性がいた。 アフロヘアーの髪型につぶらな瞳の男性だ。 なんども見かけるので、自然と話すようになる。 彼はディジェリドゥ奏者で、自身でも音楽活動を繰り広げつつ、CDを出したりもしているという。 アーティスト名はゴマ・ダ・

ロンドンに住む話31(放浪記335)
何故かはわからないが、イギリス、特にロンドンには世界中からミュージシャンが集まってくる。 良いミュージシャンが多く集まる環境ゆえに、普通のミュージシャンが良いミュージシャンに成長したりする。 なぜイギリスの音楽は面白いのか、色々な人が議論しているが、特にこれといった理由があるわけ

ロンドンに住む話30(放浪記334)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちは、インドを旅するものならみんなが大好きなチロムを用意してTくんを迎え入れた。 インド産の大麻樹脂である、チャラスもしっかりと用意している。 万全の体制で迎え入れ、おもてなしをした。 だが、どうやらそれは万全すぎたようであった。 大量の夕

ロンドンに住む話29(放浪記333)
僕はIちゃんと二人で8畳ほどの部屋をシェアしていた。 キッチンやバスルームは大家さん家族と共有である。 その8畳の部屋にDくんが居候していた。 一人当たり2.5畳ほどの生活スペースで、かなり密着した生活様式だった。 僕たちはインドを旅してゴアでヒッピー的な遊びをして暮らしていた仲

ロンドンに住む話28(放浪記332)
Dくんがグラントンベリー・フェスティバルを見逃したことで、Dくんと一緒に楽しむはずだったTくんは一人でフェスティバルを楽しむことになった。 Dくんが準備を担当したものは、ダッカに据え置きになったので、イギリスにすでに来ていたTくんは手に入れることができない。 色々と不都合があった

ロンドンに住む話27(放浪記331)
Dくんはこのパーティーは僕たちが目指していたものでは無いと確信していたが、それと同時に既に手遅れだと言うことも十分に理解していた。 彼は、皆が自分たちが目指していたパーティーだと思って楽しんでいると言う前提で、全てを流すことに決めて、楽しみ抜くことにした。 これはかなりの吹っ切れ

ロンドンに住む話26(放浪記330)
このパーティーでは皆がそれぞれ向き合っていた。 Iちゃんは、自分の夢である女優業を一旦横に置いてロンドンに来ていた。 日々をしっかりと楽しく過ごしてはいるが、夢を横に置いたことで、自分が世界から置いていかれているような気分になり、悶々とした鬱屈を抱えていた。 それが、この楽しくあ

ロンドンに住む話25(放浪記329)
皆それぞれが音楽を楽しんで踊ると共に、クラブという閉ざされた空間のなかで自身の内側と向き合っていた。 僕の内面世界の旅は、音楽家としての夢だった。 僕は日本にいた時は、ずっと真剣に音楽を作っていた。 いずれはテクノアーティストとして活躍したいと思っていたし、最初の旅が終わったら、

ロンドンに住む話24(放浪記328)
僕たちは皆いい感じに楽しんで踊っていた。 心地の良いダンスミュージックが流れる。 だが、サイトランスのイベントに来ているのにサイトランスが流れてこない。 客層もなんとなく雰囲気が違う。 まあ、まだ早い時間だし、いずれDJが変わってサイトランスが流れ始めるのだろう。 僕たちはあまり

ロンドンに住む話23(放浪記327)
夢にまで見たグラントンベリー・フェスティバルに参加するために、しっかりと計画を立てて、お金と労力を割いてイギリスへと向かっていたが、しょうもない失敗のために夢のフェスティバルではなく、湿地帯の養殖場にいたD君は自分の間抜けさに落ち込んでいた。 まあ、当然だろう。 D君はなんとかし

ロンドンに住む話22(放浪記326)
D君がロンドンへ来ることを今か今かと待っていたが、なかなか続報はなかった。 まあ、流石にフェスティバルが始まるまでには来るだろうと思っていたが、結局フェスティバルの当日になっても来ることはなく、メールで今はまだバングラディッシュの首都のダッカにいるとの連絡が来る。 結局、ロンドン

ロンドンに住む話21(放浪記325)
D君はイギリスへ来る前はタイにいた。 南の島やらバンコクやらでくつろいでいたらしい。 それが、T君とグラストンベリー・フェスティバルに行くことが決定したので、そのための準備を始めた。 飛行機やフェスティバルのチケットの手配もそうだが、数日間にわたって行われるフェスティバルをサバイ

ロンドンに住む話20(放浪記324)
今年のゴアで一緒に遊んでいたDくんが、僕たちの家に遊びに来ることになった。 Yさんが来た時は僕たちもロンドンに着いたばかりで、いまいちよくわかっていなかったが、すでにロンドンで暮らし始めた数ヶ月が経っているので、生活の勝手が分かっていて、ロンドンの街に馴染み始めていた。 友人をも

ロンドンに住む話19(放浪記323)
ステージでの演奏を見ていると、待ち合わせしていたNちゃんがやって来た。 Nちゃんも別の友人たちと相当楽しんでいたらしい。 彼女は、このイベントのためにこの街にいるんだと豪語している。 夢は、ボブ・マーリーのような黒人と白人のハーフのラスタマンに出会って結婚する事だという。 三つの

ロンドンに住む話18(放浪記322)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ステージ上では、ミュージシャンたちが楽器類をセットアップしている。 そこへおもむろに現れた、マネージャーのようなスタッフのような人がズカズカとステージに上がり、ミュージシャンたちに何かを手渡している。 何をやってるんだろうとよく見ると、それは透

ロンドンに住む話17(放浪記321)
玄関を出た瞬間からすでにカーニバルは始まっていた。 いつもの通り道で、人々が音楽に合わせて踊っているのを見るのは、何とも気分がいい。 それは、踊っている人たちも同じなようで、皆が皆満面の笑みを浮かべている。 全くもってイギリス人らしくない光景だ。 イギリス人たるもの、曇り空の下で

ロンドンに住む話16(放浪記320)
レゲエ好きのNちゃんが毎年心待ちにしているイベントがあって、何度となくそのイベントの話をしてくれた。 それは、ノッティングヒル・カーニバルと呼ばれるもので、僕たちの住むロンドン西部の街全体がお祭り状態になって、爆音でレゲエを鳴り響かせるというのだ。 元々は、ジャマイカ移民の多く住

ロンドンに住む話15(放浪記319)
僕とIちゃんの暮らしは概ねうまくいっていた。 僕たちの恋愛関係はゴアにいた時とは打って変わって順調で、愛と調和に満ちていた。 ゴアの時は、僕に心のゆとりがなく、遊ぶことに必死になっていたがゆえに恋人の存在を受け入れることができずにいたが、ロンドンで落ち着いた日々を過ごすことで、愛

ロンドンに住む話14(放浪記318)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) TくんはこのパーティーでLSDのオーバードーズをしていた。 通常量の3倍の量を取って、トビにトビまくっていたのだ。 そして運のいいことに、それは強烈なグッドトリップとなってTくんに訪れていた。 このパーティーでは、彼はシヴァ神のようなコスプレを

ロンドンに住む話13(放浪記317)
ロンドンで出会う人には個性的な人が多かったが、中でも最も奇抜だったのがTくんだ。 彼は、ロンドンでサイトランスのパーティーに行く人たちの間では顔を知られており、2000年当時にロンドンでサイトランスのイベントにいっていた人で知らない人は少ないだろう。 なぜそうも有名なのかというと

ロンドンに住む話12(放浪記316)
ドイツでの治験アルバイトから帰ってきたJ君が連れて帰ってきたのは、ベルリンのトランスジェンダー・ショービジネスの世界で活躍するE君だった。 ゲイやトランスジェンダーの世界には色々あって、"くん"と呼べばいいのか"ちゃん"と呼べばいいのか、境目が曖昧だが、Eくんの場合は"くん"だっ

ロンドンに住む話11(放浪記315)
A君とはまた直ぐに出会うかと思っていたら、結局その後何年も出会うことはなかった。 だが、風の噂に流れて来たのは、サウスアフリカでファイヤーパフォーマーとして活躍しているという話や、日本の古武術の武器を使ったジャグリング(サーカスパフォーマンス)に取り入れて、その道具が世界中のパフ

ロンドンに住む話10(放浪記314)
ロンドンでファイヤーショーをして暮らしているA君に出会ったことで、以前出会った一人の友人を思い出した。 一年ほど前にインドのカルカッタであったDくんは、以前ロンドンでファイヤーショーをしてお金を稼いでいた。 そしてそのままの勢いでファイアーショーを続けてお金を稼ぎながら陸路で東へ

ロンドンに住む話9(放浪記313)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Tくんの伝手でLSDを手に入れた週末に早速サイトランスのパーティーに向かった。 この旅行記の有料記事を読んでくださっている方たちは、ただひたすらドラッグとパーティーの話ばっかりやん、と思うかもしれないが、本当にその通りなのである。 当時の僕は心

ロンドンに住む話8(放浪記312)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Tくんに会いたかったもう一つの理由は、Tくんがインドから大麻樹脂を運んできて、友人たちに売っていたからだ。 僕は、レゲエ好きのNちゃんの繋がりで、ジャマイカ産の乾燥大麻などを手に入れることができていたが、インドを1年近く旅して、チロムをロンドン

ロンドンに住む話7(放浪記311)
Tくんは、このスクワット・ハウスに住む旅人に出会ったことで、ここへ招待された。 招待がないと滞在することはできないので、ラッキーな話だ。 家賃無料の滞在は誰にとっても魅力的なもので、その権利を巡って水面下の競争が行われていた。 Tくんは2週間のみという条件の元に招待されたのだった

ロンドンに住む話6(放浪記310)
僕は、インドで出会った友人のT君に会いに彼の住処を訪ねた。 そこは、スクワット・ハウスと呼ばれるスタイルの共同生活所になっていて、大勢の人たちが共同で住んでいる。 話によると、この建物は元々は軍服を作っていた工場らしい。 それが、政策の変更に伴い使用されなくなって、しばらくの間放

ロンドンに住む話5(放浪記309)
ロンドンに新居を構えてから、1ヶ月ほど経った頃に親友のYさんが遊びに来てくれた。 計画をしっかりと立てて遊びに来たのではなくて、アムステルダムに遊びに来たついでに、何気なく突然とやって来たのだ。 連絡が来たのも1週間ほど前で、嬉しい驚きだった。 だが、僕たちは新しい生活が始まった

ロンドンに住む話4(放浪記308)
Nちゃんの家には2週間ほどお世話になってから、新居へと引っ越しをした。 引越しといっても、バックパッカーのスタイルなので、荷物をバックパックに詰め込んで移動するだけだが。 ありがたいことに、引っ越した先には必要な家財道具が全て揃っている。 食器も鍋もベッドも布団も何もかもがあった

ロンドンに住む3(放浪記307)
仕事の手順は、オーナーの奥さんでタイ人のトゥクさんが、日本語で説明してくれた。 説明といっても、お皿を洗うだけなので、大した説明では無かったが、全体を通して日本語で説明してくれるのは本当にありがたかった。 説明が終わるか終わらないかの頃には、洗うべきお皿がやって来た。 みんなが注

ロンドンに住む話2(放浪記306)
Nちゃんがバイト先のオーナーに、僕が皿洗いのバイトをできるか聞いていてくれていたものに、早速返事が来た。 驚いたことに、オーナーはNちゃんを信頼しているので、面接もなく採用が決まった。 なんと、3日後から働きに来いと言う。 新しい住処が決まるよりも先に仕事が決まるとは、なんとも幸

北へ向かう話2(放浪記303)
次の日の夜行バスで、ヒマラヤ山脈の街マナリへと向かう事にした。 暑すぎる南インドから早く脱出したい。 ゴアでは気温が40度から45度近かったが、デリーでも似たようなもので、自然が身近にない分、暑さが身にしみる。 バスに乗り込み、暑さから脱出できることを祝う。 バスで一晩過ごすと、

ロンドンに住む話1(放浪記305)
ロンドンのヒースロー空港に着くと親友のNちゃんが出口まで迎えに来てくれていた。 初ヨーロッパで英語もろくに話せない僕には大助かりだ。 僕はあまりにも英語が話せないので、英語が必要な状況では、片言英語を話せるIちゃんに頼ることが多かった。 このイギリス滞在中に変われば良いのだが。

北へ向かう話3(放浪記304)
ロンドンへ向かうために酷暑のデリーを素早くぐり抜けて、飛行機へと向かった。 ロンドン行きのチケットはずいぶん前にとっていて、トルクメニスタンという全く訳のわからない国を通っていく。 一番安い航路だったからとったのだが、トルクメニスタンの訳の分からなさが気に入っていた。 イランとア

北へ向かう話1(放浪記302)
僕とガールフレンドのIちゃんは、ゴアの友人たちに別れを告げて、デリーへ向かう列車に乗り込んだ。 これから丸1日半の列車の旅だ。 これまでは殆どの列車の旅が一人旅だったので、常に気を張っていなければいけなかった。 駅構内では、荷物は常に足の間に挟んで盗まれないようにしていたし、列車

2期目のゴアの話49(放浪記301)
今回のゴアの日々は一筋縄では行かず、かなりの心理ドラマを経験する事になったが、最終的には仲の良い友人達の誰も怪我をする事なく、大きなトラブルを起こすこともなく無事にシーズンを終える事が出来た。 Yさんの映画もDJも、Iちゃんの女優の夢も果たされる事なく、Aさんに至っては映画の夢が

2期目のゴアの話48(放浪記300)
僕が興味のあったヨーロッパのもう一つはイギリスだった。 旅人として必須のスキルである英語は、英語圏の国で生活するのが一番の上達方法だということは、多くの英語上手の日本人旅人たちが声を揃えて言う事だ。 世界中の人たちが集う旅人の世界では、英語が話せなくては話にならなかった。 僕は、

2期目のゴアの話47(放浪記299)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 結局、YさんはDJを再開することなく時間は過ぎて行き、ナイン・バーでの晴れ舞台は終焉した。 彼は自分でも”やっちまった”と理解しているようだが、どうしようもない。 結局、落胆した雰囲気のまま終了し家路につくことになった。 本人も如何に大失敗した

2期目のゴアの話46(放浪記298)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) YさんがDJブースの真ん中で難しい顔をして座り込み始めた。 最初は何をしているのか分からなかったが、曲が終わるまでには次の曲に繋げてくれるだろうと疑いはない。 だが、いつまでたっても次の曲に繋がることはなく、とうとう曲が終わってしまった。 Yさ

2期目のゴアの話45(放浪記297)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) YさんのDJの日程は5月の中旬に決まった。 ゴアのハイシーズンは12月の終わりから3月の終わりまでで、4月になるとほとんどの旅人は北のヒマラヤ山地へと移動する。 しつこくゴアに残るゴア好きの旅人たちも、4月の終わりになると気温が暑すぎて我慢でき

2期目のゴアの話44(放浪記296)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕の親友のYさんは、元々は映画関係者で、助監督として働いていた。 一年半前にインドを旅しにやってきてゴアに出会い、人生が根本から変わった彼は、ゴアの奇跡をドキュメンタリー映画にしたいと思い、全ての準備を完璧に整えてゴアへと帰ってきた。 だが、今

2期目のゴアの話43(放浪記295)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 大量のLSDによる、予期せぬ1週間の生まれ変わりの儀式が終わった後は、出来る限り静かに過ごすようにした。 時期は4月の終わり、雨季の直前で気温は40度近く、蒸すような暑さが漂っている。 殆どの日本人の友人たちは次の土地へと移動して、ゴアに残って

2期目のゴアの話42(放浪記294)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 通常の24倍ものLSDを摂取した時から、一睡もせずに時間が経ち続ける。 その間中もずっとトビっぱなしだ。 だが、パーティー中には0歳だった赤ちゃんの自意識が、眠りにつく頃には1歳半くらいの自意識へと成長していた。 その日は結局40時間ほど起き続
2期目のゴアの話41(放浪記293)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) パーティーが終わっても、LSDは全開でキマっていて、僕はまだ赤ちゃん状態のままだった。 時間は真夜中ごろだろうが、誰もが時間という概念の外側にいた。 僕はとてもじゃないが、バイクの運転などできるような状況でもないし、ガールフレンドのIちゃんも僕

2期目のゴアの話40(放浪記292)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Yさんは、警官とDJたちに話しかけ、何とかパーティーを続ける事は出来ないか模索していた。 1年前のゴアでは警察はゆるゆるで、小さいパーティーだと3000円くらいの賄賂を見回りに来た警官に支払う事で一晩中パーティーを続けることができた。 だが、今

2期目のゴアの話39(放浪記291)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕は、ガールフレンドのIちゃんの膝枕に横になりながら、周りの状況を見回していた。 周りの状況が全て見えて、会話の内容も聞こえて理解できるのだが、それに対する判断が完全に欠けていた。 自分の意見はないし、批判も賞賛もない。 全てをただあるがままに

2期目のゴアの話38(放浪記290)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 絶対的な時間から解放されて、相対的な時間軸に入ったことで、音楽のスピードが変わった。 そして、その変化の幅は加速度的に増していった。 単純にぶっ飛んでいて幻覚を見ているだけだということもできるが、その幻覚は無からランダムに発生したものではなくて

2期目のゴアの話37(放浪記289)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) おそらくこの体験は、単にLSDを大量摂取しただけでは起こらなかったのではないかと思う。 前日にDMTを摂取してからの、翌日に通常量の24倍ものLSDの摂取という危険度全開の界王拳によってのみ体験できた特殊体験と言っても良いかもしれない。 (よい

2期目のゴアの話36(放浪記288)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Uくんとの間にあった無意識の領域の壁が取り払われた事で、僕の意識が未知の領域へと解放された。 意識は時空の枠組みから解放されて、新たな次元へと探求を進める。 LSDでブッとんでいるのは、僕だけではなく、一緒にいた友人たちもそれぞれが過去最大のレ

2期目のゴアの話35(放浪記287)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕は、ダンスフロアの真ん中で呆然とした意識とともに棒立ちになっていた。 そんな時に誰かが突然に体当たりしてきて、軽く横に飛ばされた。 元いた場所を、何かがものすごいスピードで流れ去っていく。 この瞬間の僕には何が起こっているのか、全く理解できて

2期目のゴアの話34(放浪記286)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 通常の16倍のLSDを取った後に、またダンスフロアへと戻り、音楽に身を揺らすが、いまいちパッとしない。 通常はLSDを取りすぎると身体が固まってしまうのだが、そう言ったわけでもなく、ましてやLSDが効いていないわけでもない。 視界は歪み、音は曲

2期目のゴアの話33(放浪記285)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) パーティー会場は、バンブーフォレストという竹林の中で行われていた。 会場に着くと、シーズンが終わりに近づいているにも関わらず、多くの人が集まりごった返していた。 集まっているのはかなり濃いゴアの住人ばかりで、通りがかりのツーリストやゴア慣れして

2期目のゴアの話32(放浪記284)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) バイクの上で僕が取ったのは、ホフマン2000という種類のLSDだ。 その名前は、LSDの開発者のアルバート・ホフマン博士から来ており、彼のLSD初体験の話から取った自転車に乗って月へと飛んで行くというモチーフが描かれている。 以前はホフマン19

2期目のゴアの話31(放浪記283)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 2度目のDMTセッションの次の日に、運命の日がやってきた。 ゴアでは皆がそれぞれ人生が大きく変わる体験をしていて、僕も去年のゴアで人生観が大きく変わる経験をしていたが、今回は更なる巨大な変容の日がやってきた。 この日は朝からずっと怪しい空模様だ

2期目のゴアの話30(放浪記282)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕のセッションの後にIちゃんも続いた。 彼女も深い体験をしたらしいが、どうにも言葉にできるものでもなく、すごかったと嘆息を漏らすだけだった。 他の何人かの友人たちとDMTについて話を交わしたが、お互いに昨夜の夢の話をしているようで、まったく要領

2期目のゴアの話29(放浪記281)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕が体験したDMTの異次元世界は、何とも表現のしようのない世界だったが、あえて3次元世界の日本語に翻訳してみようと思う。 異次元に入っていくに従って、目の前に眩くて美しい幾何学模様が広がっていった。 だがそれは、自分が客観的に見ていると言うより

2期目のゴアの話28(放浪記280)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 約束した日時にSさんは我が家へやって来た。 午前中の気分がまだすっきりしている時間帯だ。 数日前から肉食をやめるように言われていて、昨日からは大麻を吸っていない。 肉体と意識のデトックスが必要なプロセスらしい。 Sさんが言うには、DMTを吸うと

2期目のゴアの話26(放浪記279)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) DMTと言うドラッグの噂が広がっていた。 僕はDMTの噂を半年ほど前に聞いていたが、あくまでも噂の域を出ず、実在するのかどうかも怪しいし、実際に摂取する機会がやってくるとは思っていなかった。 噂では、LSDの10倍くらい強い幻覚剤で、とんでもな

2期目のゴアの話26(放浪記278)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) このシーズンのゴアは、警察の締め付けが厳しくなり、夜の22時以降は大音量で音楽をかける事が規制されるようになっていた。 野外でのパーティーも厳しく規制され、滅多なことではパーティーが開かれなくなっていた。 後で知った話だが、ゴアのパーティーシー

2期目のゴアの話25(放浪記277)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) そういった突き詰めの結果は、ドラッグでの遊びにも現れていて、通常の旅人たちは、大麻の他には「サイケデリック」と呼ばれるLSDやMDMAなどの幻覚剤にしか手を出さないのだが、軍団は「粉物」と呼ばれるコカインやヘロインにも手を出していた。 そして勢

2期目のゴアの話24(放浪記276)
ゴアに潜む危険は何も交通事故だけではなく、家に泥棒に入られることも起こりうる危機だった。 RさんとTちゃんのカップルは、ゴアへやって来て、旅人の中心地から遠く離れた、マプサの町に近い森の中に居を構えていた。 多くの人々で賑わうビーチライフよりも、静かな森の中で食生活に重点をおいた

2期目のゴアの話23(放浪記275)
変わり者で金銭感覚が自由なNくんは、楽しすぎるゴアから出ることができずに、次第に旅の資金が尽きていった。 ある日、とうとう帰りの飛行機代以外は一切お金がないところまで行き着いてしまい、家賃を払うことができなくなってしまった。 そこで、うちの居間へ居候させてあげることにした。 僕も

2期目のゴアの話22(放浪記274)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Nくんの変わり者具合は、ゴアという自由な大地と、ゴアトランスのパーティー、そして大量のLSDによる意識増幅効果により勢いを増していた。 ゴアトランスのパーティーでは、タンゴやサルサ、バレエやエアロビクスなどとは違い特定の踊り方はなく、誰もが自由

2期目のゴアの話21(放浪記273)
基本的にゴアにいる人は変わり者ばかりなのだが、その代わり具合には色々な個性があって、明るいものや暗いもの、優しい感じや怖い感じや、田舎的なものや都会的なものなど、あらゆる種類があった。 色々ある中でも、僕がオタク的な個性を持った旅人だからか、オタク的な個性を持った変わり者の友人が

2期目のゴアの話20(放浪記272)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ゴアには色々な日本人の旅人が来ていた。 僕たちがいたエリアの5%くらいは日本人だったんじゃないかと思う。 色々なタイプの日本人がいたが、友人になるのは波長の合う人達だけで、全体からするとごく一部だ。 僕はインドを旅して、インド国内でゴアトランス

2期目のゴアの話19(放浪記271)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ゴアの持つ自由さは、人々の持つ才能を最大限に活性化するのに役立ち、多くの旅人たちはゴアを経験することで、飛躍的な人間的成長を経験する。 それと同時に、その自由さは諸刃の剣で、悪い面も最大限に増幅する。 元々から精神に不調を持っているものは、異常

2期目のゴアの話18(放浪記270)
ゴアでの生活は南国のパラダイスで、美味しい食材が山ほどあり、値段も驚くほど安い。 市場に行けば、とれたての新鮮な魚介類が溢れ、街に行けばインドでは相当珍しい牛肉や豚肉まで手に入る。 僕たちはここぞとばかりに美食の日々を楽しんだ。 街では牛肉が1キロ百円ほどで手に入る。 身が締まっ

2期目のゴアの話17(放浪記269)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) とにかく全てが負のスパイラルで回っていた。 恐らく最大の原因は、僕とYさんのミレニアムを最高のパーティーで年越ししたいという執着にあったのではないかと思う。 そこに去年のゴアと今年のゴアを比較する思考回路が物事を捩れさせて、幼稚な人間性が自分の

2期目のゴアの話16(放浪記268)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Aさんのあさっての方向への努力は加速して行き、ますます捩れた方向へと進んでいく。 ゴアでの経験値を上げたいAさんはDMTという超強力な幻覚剤を使用するようになって行った。 DMTというのはアヤワスカという南米のアマゾンのシャーマンが使う、強力な

2期目のゴアの話15(放浪記267)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちはYさんの家に行き、チロムを吸いながらくつろぐ。 しばらくするとお腹が空いてきたので、Yさんがこの日の為にわざわざ日本から持ってきた餅をみんなで食べることにした。 インドで日本の食材を手に入れることはなかなか難しく、正月に餅を焼いて海苔を

2期目のゴアの話14(放浪記266)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Yさんはチャイ屋に座り込み、意識の深みを放浪していた。 それは夜中じゅう続いており、僕はダンスフロアからチャイ屋に戻ってくるたびに、Yさんが真剣な顔をしているのを横目で見ていた。 こういう状態の時はそっとしておくのが一番だと、経験から知っていた

2期目のゴアの話13(放浪記265)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 基本的には、LSDをとると知覚が加速して、感覚が増幅し、肉体の動きも素早くなる。 だが、ある線を越えると、その極度の活性化に知覚も感覚も肉体もついていくことができずに、シャットダウンしてしまう。 その状態になると、脳みそとしての知覚ではなく、神

2期目のゴアの話12(放浪記264)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 本来のパーティー会場であるパライソが警察によって潰されたことによって、今年のパーティーは新しく作られたヒルトップと呼ばれる場所で開催されることになった。 噂では、ヒルトップのオーナーは警察の幹部とつながりがあるので、パーティーが潰されることは無

2期目のゴアの話11(放浪記263)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) クリスマスの後は、ニューイヤー・パーティーがやって来る。 僕は、いまいち絶好調になりきれなかったが、精一杯楽しもうとしていた。 去年のパーティーでは18時間ぶっ続けで踊って、最高の年越しを迎えたが、今年の自分の乗り切らない気分では、そこまでハイ

2期目のゴアの話10(放浪記262)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ゴアの文化に執心の僕とYさんは、このタイミングで大きな買い物をする。 それはチロムだ。 ゴアの世界で生きる者たちにとっては、チロムは身だしなみの一つのようなもので、一人前のゴア人ならチロムの一つくらいは持っていないといけない。 もちろん、持って

2期目のゴアの話9(放浪記261)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕は恋人と付き合うのは初めてだったし、そもそも人付き合いをした事がほとんど無かった。 幼少時は大人しくて内気ないじめられっ子だったし、大阪で一人暮らしをしていた時は、オタク街道まっしぐらだったので、人との接し方をろくに知らずに今まで来ていた。

2期目のゴアの話8(放浪記260)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕とIちゃんとYさんにとって、このクリスマスパーティーは不発に終わった。 その反面、AさんとDくんは大いに楽しんでいた。 パーティーの環境自体は巨大なスピーカーと上手なDJで、文句のつけようが無いような素晴らしいものだったが、僕が求めていた異次

2期目のゴアの話7(放浪記259)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ゴアのパーティーでお金を取ることは、社会システムに対する反骨精神にもとる行為だが、僕たちは反骨精神を失ってはいなかった。 パーティー会場の裏側のジャングルに潜り込み、裏側から潜入したのだ。 パーティー・オーガナイザーからすれば、良い迷惑だが、僕

2期目のゴアの話6(放浪記258)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちはセットした目覚ましに合わせて3時に起床した。 睡眠薬のおかげで深い眠りにつくことが出来て、すっきりと目を覚ますことが出来た。 作戦は成功したようだった。 起きて最初に目についたのが、半分ほどが燃え尽きて、焦げた上にびしょ濡れの枕だった。

2期目のゴアの話5(放浪記257)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ゴアのクリスマス・パーティーは世間一般でいうクリスマスとは大きく違う。 クリスマスツリーもなければ、緑と赤のデコレーションや、サンタのモチーフなどもない。 ゴアに集うサイトランス好きの旅人たちにとっては、クリスマスとは単にパーティーをするための

2期目のゴアの話4(放浪記256)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) さらには、去年のゴアの盛り上がりによって、金の匂いを嗅ぎつけたインド人商売人たちがゴアの開発に勤しみ、それと同時にインド人観光客が多く来るようになっていた。 その観光客の多くは、ボンベイの金持ちのボンボンたちで、お金を使って派手に遊ぶのだが、旅

2期目のゴアの話3(放浪記255)
完璧な家を見つけて喜んだ僕たちは、今後数ヶ月の滞在をより良いものにするために、色々と家財道具を買い揃えることにした。 その家にはほとんど何も無かったので、自分たちで準備しなければならなかった。 その不便さゆえに誰も借りなかったのだろうし、だからこそ長期滞在目的の僕たちにとっては都

2期目のゴアの話2(放浪記254)
僕のガールフレンドが数日後にやって来ることに対して、本来なら喜ぶべきことなのだが、正直なところあまり嬉しくはなかった。 それは、彼女のことが嫌いとかいう事ではなくて、自分一人で旅を追求する自由さを失う事を恐れていたのだ。 特に、彼女はYさんの撮影するドキュメンタリーに出演する事を

2期目のゴアの話1(放浪記253)
アンジュナまでたどり着くと、Yさんが迎えてくれた。 前回、バシシトで会って以来の数ヶ月ぶりの再開だ。 あの後、彼は日本に帰り全ての準備を完璧に整えて、インドへと戻って来た。 彼のいう準備とは、映画の撮影のことである。 映画の助監督の仕事を生業としている彼は、将来は自身で映画を撮り

南へ向かう話3(放浪記252)
36時間の列車移動は無事に終わり、ゴアまでたどり着いた。 ヒマラヤでの雪山とは打って変わって、完全に南国の日差しになっている。 目が痛くなるような日差しと真っ青な空、そしてむき出しの赤い大地が独特のゴアの景色を作り出している。 僕はゴアへ戻って来たという感慨に身を震わせた。 それ

南へ向かう話2(放浪記251)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕は、インド人からのいつもの質問ぜめを避けるために、2等寝台車の最上段のベッドを取っていた。 ここだと、面倒臭くなるとベッドで寝転んでイヤホンで音楽を聴いていれば、放っておいてくれる。 僕は、この長時間の移動の退屈さをしのぐために、裏技を用意し

南へ向かう話1(放浪記250)
デリーへ戻ってきた僕は、すぐにゴアへの列車を予約した。 距離にして1000キロ以上、時間にして36時間ほどかかる長距離列車だ。 インドの長距離列車には慣れているが、それでも36時間というとそれなりに気合いが必要になる。 僕にとっての挑戦は、36時間もの退屈と向き合う事だった。 イ

再びヒマラヤへ向かう話1(放浪記249)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕がバシシトへと戻った理由は、温泉でゆっくりするのも一つの理由だが、もう一つの理由は、自分用に高級大麻樹脂を仕入れることだった。 前回バシシトからデリーに移動する際に、上手く隠しきったことで、全く見つかる気配すらなかったし、タイへ移動した時も余

タイでインドビザを更新する話7(放浪記248)
パスポートが更新可能になったので、このタイミングで更新することにした。 自分の持っているパスポートは17歳の時に作ったもので、高校を辞めた直後のあどけなさの残る写真だったが、自分の目指す旅人像とのギャップが激しくて、早く変えたいと考えていた。 また、今後も旅していくつもりなので、

タイでインドビザを更新する話6(放浪記247)
みんなそれぞれの目的地に向けて準備をしている中でも、特にサウスアフリカが最大の注目を集めていた。 その理由は、ケープタウンのパーティー・オーガナイザー・グループが世界最大のミレニアム・パーティーを開催する予定で、世界中のトップアーティストが2000年の年越しにケープタウンでDJす

タイでインドビザを更新する話5(放浪記246)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちはチャーン島につくと、ビーチ沿いのバンガローに宿を決めた。 そんなに長居するつもりは無かったので、適当にいい感じの場所を見つけて滞在する。 ビーチを楽しみ、自然を楽しみ、夕焼けを楽しんだが、数日もすると飽きてきた。 ここはお金を持ったカッ

タイでインドビザを更新する話4(放浪記245)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕が警官に賄賂をぼったくられた翌日に、ゴアとバシシトでの親友であるカップルのRさんとTちゃんがインドからタイへやって来た。 彼らの目的も僕と同じで、タイでインドビザを更新して冬をゴアで過ごす算段だ。 だが、Rさんの目的はそれだけでは無く、バシシ

タイでインドビザを更新する話3(放浪記244)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕のポケットには日本円にして六千円ほどが入っていた。 当時のタイの物価からすると平均的な日給数日分に相当するほどの額だ。 だが欲張りな警官たちはそんな額では満足しない。 3万円相当の金額を渡さないと、お前を釈放しないと脅してくる。 幸か不幸か、

タイでインドビザを更新する話2(放浪記243)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕の真横でバイクを停めた警官がバイクから降りて話しかけてきた。 最初の瞬間から、全開で威圧感を出してきている。 僕を壁際に立たせ、道の真ん中にはバイクを置いて動けないようにされた。 バイクの前と後ろには警官が立ち、逃げ道も塞がれる。 完全に詰ん

タイでインドビザを更新する話1(放浪記242)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) リスクを背負って飛行機に乗り国境を越えるなど、あまりにも馬鹿げた行為だったが、当時の僕にとってそれは通らなければいけない関門だった。 リスクを背負うことで心が鍛えられて、本物の漢になると言ったような幻想を抱いてもいた。 僕もUくんも21歳と若く

デリーでの出会いの話5(放浪記241)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Jさんは東京にアジトがあるから、日本へ帰ってきたときはいつでも気軽に寄ってくれと言ってくれた。 そこでは、常に旅人たちが集まってきて楽しい時間を過ごしているという。 大麻も常に切らさずにあるから、日本へ帰ってきても安心だと言ってくれる。 僕たち

デリーでの出会いの話4(放浪記240)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちは、丁寧に時間をかけて粉々に砕いた、極上のヘロインを鼻から吸い込む。 僕もUくんもヘロインは初めてで、何の経験もなかったが、今吸ったものが良質なものだと言うのはすぐに分かった。 デリーの喧騒に満ちた空気がスゥッと静まり返り、そよ風ひとつ立

デリーでの出会いの話3(放浪記239)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちが泊まっていたゲストハウスは年季の入った旅人が多く出入りするのだが、その一番の理由は、一切何の問題もなく宿内で大麻を吸うことが出来ると言うことだ。 Jさん情報によると、宿のオーナーが警察の上層部と繋がりがあり、定期的に賄賂を払うことで、警

デリーでの出会いの話2(放浪記238)
カリスマ旅人のJさんと一緒に時間を過ごすのは刺激的で楽しかった。 Jさん曰く、インドという土地は旅人を気軽には寄せ付けない厳しいところが多分にあるものの、一旦懐に入ってしまうとその暖かさに病みつきになり、なんども戻ってきてしまう場所だという。 それは数年とかいう単位の話ではなくて

デリーでの出会いの話1(放浪記237)
旅人の間で噂になる旅人の宿だけあって、面白い人が色々と居たが、その中でも僕たちにとって衝撃的だったのは、日本人のおじさんの旅人に出会ったことだ。 Jさんと名乗る小柄なおじさんは、飾らない気取らない何気ない風でありながら、全身からオーラのようなものがビンビンに出ていて、長年激しい旅

ヒマラヤの秋の話31(放浪記236)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 検問所でバスが止まり、警官がバスへと乗り込んでくる。 前の席から順番に外国人旅行者をチェックしている。 外国人の態度を見ながらチェックするかどうか決めているようだ。 警官はゆっくりと威圧的な態度で、僕たちが座っている後部座席までやってくる。 友

ヒマラヤの秋の話30(放浪記235)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちは、初めての運び屋稼業に緊張していたが、既に覚悟は出来ていた。 また、それぐらいの覚悟がなくては、命がけのサイトランス旅人の世界を楽しみきることが出来ないと考えていた。 なぜなら、サイトランスのパーティーではLSDでぶっ飛んで遊ぶが、そこ

ヒマラヤの秋の話29(放浪記234)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 長かったバシシトでの滞在を終える時が来ていた。 僕は既に4ヶ月近く滞在していて、とことんインドのヒマラヤの暮らしを楽しみきっていた。 この後は、タイへ行って新たにインドビザを取得し直し、またゴアへ戻るつもりだ。 僕にとってはゴアへ行く以外の選択

ヒマラヤの秋の話28(放浪記233)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ルームメイトのO君は、バシシトへくるのは2度目で、地元の質の高い大麻農家と知り合いだった。 O君の紹介で農家へ遊びに行き、品定めをする。 さすが大麻が名産品の地方だけあって、素晴らしい品質のものが安い価格であり、大量に買いつけるには絶好の機会だ

ヒマラヤの秋の話27(放浪記232)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 村の中心地から少し離れた山小屋での暮らしは、なかなか心地よかった。 朝起きて、火を起こしてチャイを作る。 その待ち時間にジョイントを巻き、朝の一服をするところから1日が始まる。 お茶を飲みながら朝ごはんを作り、食べ終われば温泉で朝風呂を浴びる。

ヒマラヤの秋の話26(放浪記231)
案の定、インドの歯医者はやはりインドだった。 治療というような概念はそもそも存在しないのかも知れない。 Rさんの歯を見た医師は、即座に歯を抜くことを決めた。 歯を抜く以外の選択肢が存在したのかどうかも怪しいところだ。 医師はぶっとい麻酔注射をRさんに刺して、麻酔が効いてくるのを待

ヒマラヤの秋の話25(放浪記230)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕がバシシトにやってきて以来、3ヶ月ほどが経とうとしていたが、この期間中に僕のゴア以来の親友のRさんはずっとブラウンシュガーにハマり続けていた。 他の旅人たちは皆遊びで阿片を嗜んでいるが、Rさんに限っては本気の中毒者だ。 相変わらず昼夜逆転した

ヒマラヤの秋の話24(放浪記229)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) バシシトでは、雨季が終わり、晴れた日が続くと同時に冬が近づいてきていた。 段々と冷え込むようになりだすと同時に、旅人たちの間でブラウンシュガーと言う阿片の一種が流行りだした。 流行っていると言っても中毒のような感じではなく、あくまでも友人同士の

ヒマラヤの秋の話23(放浪記228)
僕たちはパールヴァティ・バレーを十分に楽しんだ後に、またバシシトへ帰ってきた。 住み慣れた部屋と長い付き合いの友人たち、熱々の露天風呂が熱気を持って迎えてくれた。 宿へ戻ると、ゴアにいた時に一時期、隣の部屋に滞在していたUくんが日本からやって来ていた。 彼はドレッドロックスの髪型

ヒマラヤの秋の話22(放浪記227)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 本人自らが山に登り、最高級のクリームを練り上げて、お金を取らずに無料で提供し、一連の儀式を通したあとに皆で吸う。 これ以上ない程の究極のインド大麻体験だった。 最初に火を灯す人は肺へと吸い込む前に空ぶかしをしてチロムのネタ全体に火を回す。 そう

ヒマラヤの秋の話21(放浪記226)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 彼は各地の村々から集めてきたクリームのコレクションを披露してくれる。 それぞれの村では、太古の昔からそれぞれの伝統的な方法で大麻樹脂を作っており、それぞれの個性があるようだ。 彼が、ご馳走してくれたのは、トッシュという村で彼自身が練り上げたもの

ヒマラヤの秋の話20(放浪記225)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちはマナリからパールバティバレーまでバスを6時間ほど乗り継ぎはるばるやってきたが、残念ながら目的としたパーティーは無さそうだった。 雨が多すぎて、オーガナイズできないらしい。 まあ、雨季にパーティーを開催しようというのがそもそも間違えている

ヒマラヤの秋の話19(放浪記224)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) この村には優しい顔の他に危険な顔もあった。 実質的にこの谷に存在する村の殆どが大麻農家で、殆どの人が大麻関連のことで収入を得ていた。 作物を育て、樹脂を取り出し、扱いやすいように加工し、山奥の村から谷沿いの村へ運び、販売し、さらにインド各地へと

ヒマラヤの秋の話18(放浪記223)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちはパールバティバレーの中にあるカソールと言う村へとやって来た。 この村が、この辺り一帯の旅人の中心地となっていて、面白い変人たちが世界中から集まって来ている。 得てしてアジアを旅する人は変わり者が多く、中でもインドにやって来る旅人は変わり

ヒマラヤの秋の話17(放浪記222)
パールバティ・バレーは旅の初心者には知られていないので、ここへくる旅人はマナリよりももう一段年季の入った旅人が集まって来ている。 例えるなら、一桁年の旅人はマナリへ集まり、二桁年の旅人はパールバティへ集まる。 このブログを読んでいる人は旅の世界を知らない人が殆どだと思うので、「二

ヒマラヤの秋の話16(放浪記221)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕の滞在していたマナリは大麻の名産地だが、インド最大の名産地はパールバティ・バレーに譲らなければならない。 そこは、マナリの街からバスで南へ数時間下ったところにある谷で、数多くの村々が点在している。 この谷の名前のパールバティはシヴァ神の奥さん

ヒマラヤの秋の話15(放浪記220)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Bくんの話によると、僕が脱出した後も皆はダラダラと待ち続けていた。 無為に待ち続ける時間に業を煮やしたHくんが警官と話をつけに行く。 Hくんは2度目のマナリで、事情をよく分かっているし、英語も堪能なので交渉役としては最適だった。 だが、元プロボ

ヒマラヤの秋の話14(放浪記219)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Yさんは、警察が来るかもと察知した時点で、自分の持っていた大麻樹脂をベンチの裏側に貼り付けた。 上質な大麻樹脂は油分を含んでいて、練り消しのようにネットリと物にひっつく。 彼は、パーティーが警察に囲まれて、身分証を持つものと持たぬものに分けてい

ヒマラヤの秋の話13(放浪記218)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 警察署に着くと、それぞれが書類にサインさせられる。 氏名とパスポートナンバーを紙に書いて終了だ。 それで、全部終わるはずだったが、無為に待たされ続ける。 気がつくとイスラエル人のカップルも逃げ出していて、とうとう残っているのは日本人だけになって

ヒマラヤの秋の話12(放浪記217)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) チベット人のオーガナイザーたちは森の中へ飛び込んで、振り向きもせずに一目散に森の中を駆け下りる。 すると案の定、後ろから警官の集団が出て来てパーティーの中止を告げた。 この時に僕もチベット人たちと一緒に森を駆け下りると良かったのだが、大した危機

ヒマラヤの秋の話11(放浪記216)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 今回のパーティーはチベット人の若者たちによる主催だった。 いつもの行きつけのレストランの息子や彼のヤンチャな悪友たちが、ホテルと話をつけてパーティーを開催した。 僕たちはオートリクシャーで、谷の反対側のオールドマナリの村まで行き、ホテルで入場料

ヒマラヤの秋の話10(放浪記215)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) この時期の僕の旅行記の話は、どうしても自主規制しなければいけない話ばかりになってしまう。 無料記事の読者や、ドラッグ話に興味がない方には申し訳ないが、自分が体験したことを出来るだけありのままに共有したいので、まだしばらくお付き合い頂きたい。 こ

ヒマラヤの秋の話9(放浪記214)
前回のインドで、ゴアに滞在していた時に、3ヶ月ほどの間に毎日一緒に遊んでいたYさんがバシシトへとやって来た。 彼は日本で映画関係の仕事をしながら、次の年のゴアへ向けて着々と準備を続けていた。 彼はその才能を使って、次のゴアシーズンでドキュメンタリー映画を撮りたいと考えているのだ。

ヒマラヤの秋の話8(放浪記213)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕はパーティーで踊って汗だくになっていたし、パーティー後の温泉は格別に気持ちいいので、LSDが少しキマった状態で一人で温泉へと向かった。 バッドトリップの二人にはまだ温泉に行く余裕はない。 気持ちよく汗を流し、温泉を楽しむ。 だが、二人のことが

ヒマラヤの秋の話7(放浪記212)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Bくんにとっても初めてのLSDだったが、彼はLSDとの相性が良かったらしく、スピーカー前でガン踊りして楽しみまくっていた。 そこへ、焦燥して真っ青のFくんが助けを求めてやってくる。 何かやばいことになっているのを察知したFくんは、スピーカーから

ヒマラヤの秋の話6(放浪記211)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 強めのLSDを取ったFくんは体育会系のパーティー乗りではしゃぎ続ける。 勢いに乗って弾けた彼は、スピーカー前で激しく踊り、例の厄介なパーティー・ババとぶつかってしまう。 通常はパーティーで踊っていてぶつかっても、よくある話なので、お互いににこや

ヒマラヤの秋の話5(放浪記210)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) インドではおじさんの事をババと言い、それは男性全般をさす時もあり、英語でミスターなどと呼びかけるような使い方もされる。 そして、遊行僧のサドゥーをさしてババと呼ぶこともある。 サドゥーをさす場合にはヒンドゥー教の中の宗派をさして呼ぶことが多く、

ヒマラヤの秋の話4(放浪記209)
ゲストハウスに新しい二人組みの日本人がやってきた。 彼らは幼少時からの親友で、体育会系のノリ。 実際にそういった大学を卒業したらしい。 年長の一人は、頭が良く面倒見の良い、人間的に大人なタイプのBくん。 もう一人は、Bくんの弟分で、だらしなく甘えん坊だが愛嬌のあるFくん。 二人は

ヒマラヤの秋の話3(放浪記208)
前の記事 | 次の記事 ゲストハウスの隣にあるチベタンレストランは、みんなの社交場兼大麻喫煙所になっていたが、ゲストハウスの地上階にあるチベタンレストランも同じような感じになっていた。 それぞれのオーナー同士はチベットからインドへ難民としてやってきて以来の親友で、若いときには外国

ヒマラヤの秋の話2(放浪記207)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) マナリでは毎日、大麻樹脂を吸っていた。 大体はジョイントを巻いて吸っていたが、チロムを持っている人がいる時はチロムで吸う。 僕とK君の部屋がゲストハウスの部屋では一番大きく、自然と友人たちの溜まり場になっていた。 一日中、音楽をかけて、一日中、

ヒマラヤの秋の話1(放浪記206)
バスを乗り継いで戻ってきたマナリの街は雨に濡れていた。 快晴のレーから一週間も経たずに雨季のマナリへ戻ってきた事を少し後悔したが、それでも気分は晴れていた。 なんとなく、自分が今いるべき場所へ戻ってきたような気がしたのだ。 リクシャーに乗り、バシシトの村へ戻り、以前滞在していたゲ

チベット文化の高地ラダックの話7(放浪記205)
レーからマナリへの帰途はローカルバスに乗って旅をした。 マナリからの往路は旅行者向けの長距離バスだったので、多少の快適さがあったが、ローカルバスはインドの現実を象徴していた。 座席の幅は狭く、全体的に汚かったが、値段は圧倒的に安く、予約もいらず、途中で宿泊することもなかった。 バ

チベット文化の高地ラダックの話6(放浪記204)
レーの街は美しく、静かで平和で落ち着いていた。 それはチベット仏教の価値観が市民に根付いているからかも知れないし、高い標高故の酸素不足で人々の活動能力が落ちていたからかも知れない。 あるいはもっと色々な理由が合わさっているかも知れないが、とにかくゆったりとしていた。 それは、年配

チベット文化の高地ラダックの話5(放浪記203)
バスがレーの街へと近づくにつれて、ちらほらと農家や畑が見えてくる。 人工物が一切ない大自然の中から来ると、文明が目に入るのが新鮮に感じる。 そして、その文明はそれまでに見たインド文化とは全く違っていた。 ラダックはチベット文化圏で、チベットで見たようなお寺が遠くの丘の上に立ってい

チベット文化の高地ラダックの話4(放浪記202)
道路状況の悪化により滞っていた車の流れがゆっくりと動き始める。 渋滞の原因は落石によって塞がれた道路を迂回して進まなければならなかったのが原因だった。 道路が山の斜面ではなくて、川沿いだったのが幸いして、川側に逃れて進むことができた。 落石現場を超えてしまうと、道路はスムーズに流

チベット文化の高地ラダックの話3(放浪記201)
バスの行程の1日目は夜まで走り、最後の食事休憩をしたところで宿泊することになった。 レストラン兼宿泊所は高原の砂漠道のど真ん中にあり、周囲には村はおろか人工物すら見当たらない。 まさしく大自然のど真ん中。 マナリでは星空の美しさに驚いたが、ここはさらにもう一段上の星の数だ。 周囲

チベット文化の高地ラダックの話2(放浪記200)
ラダックへ向かうバスは、順調に出発し、その大きな巨体を揺らしながら狭い山道を通り抜ける。 最初の難関は、マナリの街から2時間ほど北に向かったところにある峠だ。 結構な急斜面の峠で、標高も高い。 大型バスや巨大なトラックは素早く登ることが出来ないので、ゆっくりとゆっくりとS字カーブ

チベット文化の高地ラダックの話1(放浪記199)
インドは夏の間はずっと雨季だ。 地方によって多少のズレがあるが、夏季に雨から逃れることは難しい。 ただし、インド最北部のレー・ラダック地方を除いての話だ。 ラダックはヒマラヤ山脈の北側にあり、アジア全体の雨季の影響を受けない。 ラダックに雨が降ることは殆どないが、標高が3500メ

ヒマラヤ山脈の温泉村の話21(放浪記198)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 急ぎ足で真っ直ぐに、滝の音のする方向へと向かう。 滝の爆音の隙間から友人たちの歓喜の声が聞こえてくるが、まだ滝を目にすることはできない。 曲がり角の向こうにあるようだ。 やっとの事で滝が見えた瞬間、僕は無意識のうちに歓喜の叫び声を上げていた。

ヒマラヤ山脈の温泉村の話20(放浪記197)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ある晴れた日、僕たちはLSDを取ってハイキングに行くことにした。 山道を歩いて2時間ほどのところに巨大な滝があり、常に虹がかかっているという。 LSDを取ると感覚が鋭くなり感情が深まるので、友人たちと美しい自然の中にハイキングするにはうってつけ

ヒマラヤ山脈の温泉村の話19(放浪記196)
ここバシシトは知る人ぞ知る旅人の秘境なので、定期的に面白い旅人がやって来る。 当時の僕は全く英語が話せなかったので、日本人の旅人にしか出会わなかったが、それでも個性的な旅人が多く、たくさんの刺激を受けた。 Kさんは、それまでに僕が出会った旅人の中では最長の旅記録を持っており、こん

ヒマラヤ山脈の温泉村の話18(放浪記195)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 皆でオートリクシャーをシェアしてバシシトへ帰る。 仲のいい友達同士がテンション上がって行動しているので、いちいち全部が楽しい。 延々と続く修学旅行のような感じだ。 村へ着いてからもお楽しみは終わらず、部屋に荷物を置き、即座に温泉へと向かう。 汗

ヒマラヤ山脈の温泉村の話17(放浪記194)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) パーティーは調子よく続いていたが、突如中断する羽目になる。 山奥の一軒家で開催されていたのだが、誰かが知らずに家庭菜園に踏み込んでしまい、破壊してしまったのを家主が怒って中止になった。 オーガナイザーは人が入らないようにロープで柵をしていたが、

ヒマラヤ山脈の温泉村の話16(放浪記193)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ワールドクラスの日本人はCくんだけでは無かった。 以前の記事で紹介した、最高にポジティブなGくんも数日前にバシシトへやって来ていて、このパーティーに参加している。 彼は相変わらずのアフリカ風の格好をしていて、野生的な大地のリズムでパーティー中に

ヒマラヤ山脈の温泉村の話15(放浪記192)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) このパーティーには面白い人たちがあふれていた。 ゴアのパーティーも面白い人達だらけだが、全体の人数が多いのでどうしても薄れてしまう。 だが、マナリのパーティーは参加者が五十人ほどなので、それぞれの個性がはっきりと浮き彫りになる。 このパーティー

ヒマラヤ山脈の温泉村の話14(放浪記191)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) あたりはもう暗くなっていて、空は一面の星で埋まっている。 空気の綺麗さと標高の高さにより、大阪の空とは比較にならないレベルの星の数だ。 散々待たされた後に、音がなり始める。 会場中が待ってましたとばかりに奇声を上げて喜んでいる。 僕たちはこのタ

ヒマラヤ山脈の温泉村の話13(放浪記190)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちは山道を2時間ほど登り続けて、やっとの事でパーティー会場にたどり着いた。 山奥の農家でパーティーが開催されるようだ。 周囲に家も人も無く、騒音が問題になることはない。 遠くに見える山並みが美しい、いいパーティーになりそうだ。 巨大なスピー

ヒマラヤ山脈の温泉村の話12(放浪記189)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) バシシトの暮らしにも馴染み、友人たちが集まってきた頃に、谷の反対側にあるオールド・マナリの村の山奥でゴアトランスのパーティーがあるという情報が流れてきた。 僕の友人たちのほぼ全員がパーティー好きで、パーティーを追う流れでバシシトに来ている。 マ

ヒマラヤ山脈の温泉村の話11(放浪記188)
ゴアからの友人で、バシシトへやってきた友人の一人がCくんだ。 ゴアで一緒に遊んでいた友人たちは、皆が皆、漫画のキャラクターのように強烈に個性の強い人たちだが、Cくんはその中でも群を抜いて個性を光らせていた。 彼は常に自身の内面世界や精神世界、未知の世界へと目が向いており、その世界

ヒマラヤ山脈の温泉村の話10(放浪記187)
僕がバシシトに到着してからは、幾人かのゴアの友人たちが集まってくる。 僕たちは別に、またマナリで会おうね、などと約束していた訳ではない。 ただ、ゴアでの日々が楽し過ぎて、仲の良い友人たちがマナリで楽しんでいるのに、自分だけがそこに居ないのが我慢できないのだ。 それほどまでにゴアは

ヒマラヤ山脈の温泉村の話9(放浪記186)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 旅人たちは温泉を求めてバシシトへやって来るが、求めているのはそれだけでは無い。 マナリ周辺のヒマラヤ山地には美味しい大麻樹脂がある事が有名で、大麻目的の旅人も多くやって来る。 大麻だけが目的の人の多くはマナリの街を上流に上ったオールド・マナリへ

ヒマラヤ山脈の温泉村の話8(放浪記185)
ヒマラヤの温泉村バシシトの日々は、最高に調子が良かった。 同じ宿にはゴアで一緒に遊んでいた友人が三人いて、宿にいた他の日本人旅行者も、以前からの友人や、その友人の弟や、その弟の親友など近い関係の人が多く、お互いに信頼と友情を育くみやすい状況になっていた。 宿から歩いて1分のところ

ヒマラヤ山脈の温泉村の話7(放浪記184)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちはその日はお茶を飲んで帰ったが、Tちゃんは次の日からも毎日Rさんの家へ通った。 Tちゃんとしては、せっかく愛する恋人に会いに来たのに、彼は自分の内側の世界にこもってしまい、外側の世界から断絶している事を辛く思っていたのだろう。 毎日家に通

ヒマラヤ山脈の温泉村の話6(放浪記183)
僕がバシシトについて程なく、Rさんと同じく、ゴアでずっと一緒に遊んでいたTちゃんがやって来た。 Rさんにしろ、Tちゃんにしろ数ヶ月の間、毎日一緒に遊んでいて、冒険と食生活を共にしていたので、ただの友人というよりももっと深い家族や兄弟や同志のように感じていた。 穏やかで静かで面倒見

ヒマラヤ山脈の温泉村の話5(放浪記182)
前の記事 | 次の記事 Rさんは10年ほど前にゴアに来た時に、一夏の間じゅうブラウンシュガーにハマっていた。 彼は強烈な個性とエネルギーを内包している割りに、ものすごくシャイで控えめなところがあり、多くの抑圧が心の中にあった。 それはエネルギーに満ちた彼が封鎖的な片田舎で育ったこ

ヒマラヤ山脈の温泉村の話4(放浪記181)
伝統的な土壁と石屋根の家の狭い木の扉からRさんが出てきた。 寝起きだったのかして、ぼーっとしている。 それでもお互いにハグを交わし再会を祝う。 お茶を淹れてくれるというので、家の中へ入って待つ。 部屋は昼間だというのに光があまり入らず薄暗い。 裸電球を点灯して暗さを補う。 大きな

ヒマラヤ山脈の温泉村の話3(放浪記180)
宿に戻ると友人のNさんが戻っていた。 久しぶりの再開を祝し熱いハグを交わす。 5ヶ月ほど前にゴアで別れて以降は、タイに寄ってインドビザを更新した後に、インドへ戻ってきたらしい。 彼はすでに3年ほどアジア全域を旅していて、年齢も30代半ばと周りの旅人達よりも少し上と言うこともあり、

ヒマラヤ山脈の温泉村の話2(放浪記179)
僕は、出会ったばかりの風呂上がりの旅人Kくんの後を付いていく。 牛糞が散乱する石畳の細い山道を進んでいった先に、その宿はあった。 友人のNさんはどこかへ出かけていて居なかったが、なんにせよその日の宿を確保しないといけなかったので、同じ宿に滞在することにした。 山の斜面に建っている

ヒマラヤ山脈の温泉村の話1(放浪記178)
狭苦しい夜行バスでの長旅は終わり、バスはマナリの停留所へ到着した。 直前まで雨が降っていたのかして、地面は濡れているが、空は晴れ渡っており、高山特有の清々しさがある。 街の周りは緑の山々に囲まれていて、デリーのような大都会とは大きな違いだ。 ヒマラヤ山中にあるマナリの街は避暑地だ

インドへ舞い戻る話5(放浪記177)
デリーには一晩だけ滞在して、二日目の晩に夜行バスでヒマラヤ山脈にある、今回の目的地であるマナリと言う避暑地へ向かうことにした。 マナリの街から少し離れたところにあるバシシトと言う村には温泉があり、多くの旅人たちが長期滞在して暮らしているという。 ゴアの時の友人たちの数人が既に向か

インドへ舞い戻る話4(放浪記176)
デリーの安宿街にはナブラン・ゲストハウスという宿があり、安く泊まれて日本人が多く集まるという話を聞いていた。 通りを練り歩き、宿の情報を求めて聞いて回る。 宿はパハールガンジの通りの中心から裏路地を一本入ったところにあった。 まさに旅人の流れの中心に位置していると言っていい。 か

インドへ舞い戻る話3(放浪記175)
僕は、呆れ顔の演技を崩さず、提示された半額のさらに半額を要求する。 まだ、軽く立ち去ろうとする姿勢は崩さない。 それを見た運転手は仕事を失うよりはマシだと、彼の提示した額と僕の要求する額の中間よりも少し上を提示する。 僕は少し下を要求し、彼はもう少し上、僕はもう少し下と、何度か同

インドへ舞い戻る話2(放浪記174)
空港から降り立った瞬間、タクシーの客引きと押し売りと物乞いたちが集団で押し寄せてくる。 日本の穏やかな空気感から離れてたったの数時間で、僕は完全に異世界に飛び込んでいた。 彼らの目のギラツキに生きることへの真剣さが溢れている。 この必死な空気感が懐かしく、彼らの生きることへの情熱

インドへ舞い戻る話1(放浪記173)
貯金が溜まった上で仕事を辞め、再び自由の身になる。 これから待っている冒険の事を思うと心が踊る。 家族や親戚や友人に再び旅へ出る事を報告し、挨拶を済ませる。 ガールフレンドのIちゃんとの一時的な別れは辛かったが、数ヶ月後にはまた会える。 別れの辛さよりも旅への興奮の方が僕の心を圧

日本へ帰国する話16(放浪記172)
ついに旅立ちの日が近づいて来た。 とび職の仕事は4ヶ月ほど続け、40万円の貯金をする事が出来た。 月々5万円を実家に入れながらの貯金だったが、見事に節約を続け、予定した通りの目標額を達成した。 とびの仕事はあらかじめ辞める事を伝えていたので、快く受け入れて貰えて、今後の旅を応援し

日本へ帰国する話15(放浪記171)
ガールフレンドのIちゃんは旅人だが、劇団員としての女優業に集中していて夢を叶えようと奮闘していた。 僕はゴアでの経験が忘れられず、すぐにでもインドに戻りたい。 二人の行きたい方向性の違いが有ったが、そこに完璧に当てはまるパズルのピースとして、僕がゴアで仲良くしていたYさんが現れる

日本へ帰国する話14(放浪記170)
僕は週6日でとび職の仕事をし、貯金し続けた。 仕事では50キロの鉄の塊を担いで階段を上り下りする様になり、二十歳の若い身体は過酷な肉体労働で日々成長していた。 体重も10キロほど増えていたと思う。 元々背が高く痩せ細ったマッチ棒みたいな体格だったものが、ムキムキで背が高く巨人のよ

日本へ帰国する話13(放浪記169)
初めてのガールフレンドとの時間は順調に進んだ。 だが時間が進むにつれて、自分の中にある矛盾とトラウマに気がつくことになる。 僕は、ガールフレンドとの恋愛関係を無意識のうちに母から隠すようになっていた。 僕の母は離婚によるトラウマを負っていて、家庭では父の話題に触れることはタブーだ

日本へ帰国する話12(放浪記168)
とびの仕事を始めてすぐの頃に、インドのゴアで出会った女の子から手紙が来た。 当時はまだEメールなどが一般的ではない時代。 旅人同士が交換するのはメールアドレスやフェイスブックのアカウントではなく、実家の住所と実家の電話番号だった。 その交換した実家の住所へ宛てて手紙が来た。 一つ

日本へ帰国する話11(放浪記167)
とびの仕事を始めて直ぐくらいから、閉塞感に苛まれ始めた。 日本に帰って来て直ぐの頃は、美味しい日本食を食べて、久しぶりの友人に会って、溜まっていた漫画を読んで楽しい日々を過ごしていたが、そうした享楽が一旦落ち着いてくると、日本の現実が目につき始めた。 電車に乗れば誰もが青白い肌を

日本へ帰国する話10(放浪記166)
最初の日々こそしんどかったが、1週間をすぎる頃には僕の二十歳の肉体は簡単に順応した。 日々日々体が強く鍛えられて、より一層重たいものを担ぐ事ができるようになるのが嬉しく、社長や先輩と共同活動してものを作り上げて行くのも楽しかった。 旅に出るまでの僕の肉体は、週末にクラブで踊る以外

日本へ帰国する話9(放浪記165)
とび職の仕事は思っていたよりも上手くいった。 インドの土臭さに慣れた僕には肉体労働者特有のガサツさや乱暴さは逆に心地よかったし、同僚たちのヤンキー的なフレンドリーさは日本に再びなじむのを助けてくれた。 学生時代にいじめられっ子だった自分が、ヤンキー達と仲良く働くのは変な感じだった

日本へ帰国する話8(放浪記164)
旅に出る前は、この旅が一度きりの旅で、日本へ帰って来たら一人暮らしをせずに、実家に住みながら音楽制作に集中しようと考えていた。 だが、インドであまりにも衝撃な体験をしたゆえに、インドへ舞い戻ってその体験を追求せずにはいられなくなっていた。 その為にはお金を稼がなくてはならない。

日本へ帰国する話7(放浪記163)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 岐阜でのパーティーは、素晴らしい自然があり、最先端DJの音楽を高音質スピーカーで聴くことができ、楽しかったのだが、いまいちパッとしない感覚を残していた。 やはり、本場のゴアのパーティーを経験してしまった後には、どうしても物足りなく感じてしまうよ

日本へ帰国する話6(放浪記162)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) とりあえず、スピーカー前へと向かう。 やはり日本の機材類はゴアとは比べ物にならず、音量も音質も圧倒的に良い。 DJも最新の曲を上手に繋げていて踊りやすい。 日本のクオリティは高いなと思いつつも、何か物足りなさを感じる。 僕が足りないと感じたのは

日本へ帰国する話5(放浪記161)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 日本に帰国してすぐに、ゴアの友人から連絡が来て、岐阜の山奥でゴアトランスのパーティーがあるから遊びに来いと言う誘いを受けた。 まさかこんなに直ぐに日本のパーティーに出会えるとは思っていなかったので、嬉しい驚きだ。 何人かのゴアの友人も集まってく

日本へ帰国する話4(放浪記160)
いよいよ日本に帰る時が来た。 バンコクの空港から関空へと飛ぶ。 日本食をお腹いっぱい食べるのが待ち遠しく、日本にいない間に進んでいる漫画本の最新巻を読むのが待ち遠しかった。 以前のバイト先の友人にあって、インドでの冒険を話したい、兄とまた一緒に音楽を創りたいなどの色々な思いがあっ

日本へ帰国する話3(放浪記159)
僕がゴアからバンコクへ飛行機で飛ばずに、わざわざコルカタまで列車でやって来た理由は、できるだけ陸路で移動したかったというのが一つ。 もう一つはコルカターバンコク間のチケットが他のインドの都市から飛ぶよりも圧倒的に安かったからだ。 当時は今のような格安の航空券はなく、どの区間を利用

日本へ帰国する話2(放浪記158)
ボンベイからコルカタへ向かう列車は無事に出発し、24時間もの長旅の末にコルカタへたどり着いた。 ゴアでは散々に活動的な日々を送っていたので、いい休憩になったが、流石に24時間も寝台車に横になっていると体が軋む。 コルカタでは以前滞在していたパラゴン・ゲストハウスに滞在する。 もし

日本へ帰国する話1(放浪記157)
ゴアから夜行バスに乗り、インド最大の都市ボンベイへと向かう。 ボンベイに着いて列車を降りた途端、一気にインドの現実へと放り込まれる。 最初は荷物運び人たちによる客引きのラッシュ。 その後は、タクシーの運転手たちによる客引きのラッシュ。 その後にはホテルの客引きが続き、最後は絶え間

ゴアに目覚める話39(放浪記156)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) お金が尽きるまでゴアで楽しみきろうと決めたが、大した貯金があったわけでもないので、いくら節約しても限界があり、2月の後半には帰国の途に着かなければならなくなった。 友人たちみんなが楽しんでいるのに、自分だけ早引けするのは悔しかったが、お金がなく

ゴアに目覚める話38(放浪記155)
前の記事 | 次の記事 クタクタに疲れ果てて家に帰る。 歩いて10秒で家に帰れるのは不幸中の幸いか。 この時の疲れは文字通り限界を超えていた。 明らかにやりすぎてしまった。 パーティー前にすでに限界に近づいていたのに、LSDで強制覚醒して踊り続け、限界を遥かに超えたところで精根尽

ゴアに目覚める話37(放浪記154)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) レイブパーティーの無い日々は1月で終わり、2月になると一気にパーティーが始まりだした。 それに合わせてパーティー好きの旅人たちも帰ってきて、ゴアの変人度が増していく。 年越し前後の雰囲気と大きく変わったのは、年末だけにやってきていた観光客風の人

ゴアに目覚める話36(放浪記153)
僕は、この時期にデビルスティックと言うジャグリングの一種に出会う。 これは両手に細長い棒を持ち、一本の棒を空中で打ちながら落とさずに回したりして遊ぶものだ。 https://www.youtube.com/watch?v=_38vtmlIwSU Rさんがフリーマーケットで見つけ

ゴアに目覚める話35(放浪記152)
以前の記事でゴアに長年住むヒッピーのおじさんCさんの話をしたが、彼の押しの強い個性があちこちで問題を生んでいた。 日本人同士のちょっとした仲違いなどはあったのだが、大きな問題になったのは、アンチ・ヒッピーの思想を持つドイツ人のネオナチ集団に拐われたことだ。 なぜ、ヒッピーだらけの

ゴアに目覚める話34(放浪記151)
ゴアでは変わり者との出会いが多くあったが、中でもBさんはある種の聖者的側面を持っていた。 彼は、僕がゴアへ来る前に滞在していたプーナのアシュラムで、1ヶ月ほどヨガや瞑想をして暮らしていたらしい。 ある時、僕たちがレストランで食事を待つ間にトランプで遊んでいる時に、誰かが超能力テス

ゴアに目覚める話33(放浪記150)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ゴアギルの48時間もの長時間DJは、確実に人々への意識改革に寄与していた。 僕が常に一緒に遊んでいるYさんにもその効果があった様で、いつもと様子が違っていた。 彼は体力が凄いのでLSDが効きにくいので、このパーティーでは倍の量の2枚のLSDの小

ゴアに目覚める話32(放浪記149)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 世紀末を迎えるパーティーは、ゴアギルのDJにより、パライソで行われる。 クリスマスの最高の興奮が冷めやらぬ間に、またゴアギルのパーティーが体験できることに僕たちは大喜びしていた。 しかも今回は、前回の倍の時間のパーティーが開かれる。 前回24時

ゴアに目覚める話31(放浪記148)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ゴアのニュー・イヤー・パーティーは、クリスマスと同じくゴアの目玉の一つだ。 だが、目玉といっても知る人ぞ知る旅人たちの間だけの話だ。 地球の歩き方などのガイドブックには、ゴアに人気があったのは昔の話のようなことが書いてある。 実際にガイドブック

ゴアに目覚める話30(放浪記147)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 日本への帰国後のことが頭の隅にあり、うっすらと考えるでもなく思いを巡らせていると、素敵なインスピレーションがやって来た。 以前に考えに浮かんだ、もし自分がこのまま旅を続けると、先輩旅人達のように格好良くなれるんじゃないかと言う思いがより現実味を

ゴアに目覚める話29(放浪記146)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 後戻りができないという感覚を共有していたのは誰もが同じだった。 それほどまでにクリスマスのゴアギル体験は圧倒的だった。 一線を越えてハジけてしまうと、もう元の鞘に収まることは出来ない。 長年かけて学校教育と社会により、整理整頓されて枠に収まって

ゴアに目覚める話28(放浪記145)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) クリスマスのゴアギルのパーティーが終わった日は食事をとって眠りについた。 限界まで酷使しきった脳と身体は一晩の睡眠では回復しきれず、軽い食事を挟んで24時間ほど眠り続けることで回復した。 回復した日は行きつけのレストランへ向かい、友人達とゴアギ

ゴアに目覚める話27(放浪記144)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちはただひたすら踊り続け、興奮の内に朝を迎える。 日が昇るごとに変わっていく海の色が印象的だ。 周りで踊っている人達の笑顔が飛び込んできて、お互いに目が合う瞬間に自然と笑みがこぼれる。 このタイミングを狙って、DJのゴアギルがより一層と盛り

ゴアに目覚める話26(放浪記143)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) このパーティーでDJをしているゴアギルのDJのスタイルは、現在一般的にイメージされるようなDJのスタイルとは大きく異なる。 当時はラップトップでのDJなどは存在せず、CDを使ったCDJなども無かった。 だからといって世界中からやって来る旅人DJ

ゴアに目覚める話25(放浪記142)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) LSDや大麻の過剰摂取をした場合の多くに、お腹が痛くなることがある。 LSDをとる前に何も食べていなければ問題はないが、この日は午後遅くに友人たちとクリスマスランチをお腹いっぱい楽しんだ。 それがLSDの過剰摂取をしたことで、体の排毒作用が起こ

ゴアに目覚める話24(放浪記141)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕は迷う事なくまっすぐにダンスフロアへ向かい、スピーカー前に陣取り、上がりきったテンションを全身で表現する。 水平線に沈む夕日が美しい。 沈む夕日を見ながら気持ちよく踊り続ける。 木のフロアは今までに踊っていたビーチや土やコンクリートなどのフロ

ゴアに目覚める話23(放浪記140)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ゴアとパーティーとLSDの組み合わせは、多くの個性を覚醒させた。 皆が皆、闇の深淵と人生最高のハイを経験し、世界を旅する者達からインスピレーションを受けて、自分の限界をぶち破っていた。 変化を受け入れて喜び楽しむ土壌が出来ており、僕たちの誰もが

ゴアに目覚める話22(放浪記139)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちはパーティー中心の生活を送っていた。 夜にパーティーに行ったとすると、LSDがキマっていて眠れないので、眠るのは次の日の夜。 次の次の日は体も脳みそも酷使しすぎて疲れ切り、全く力の出ない虚脱症状が続いて何もする事ができない。 そして次の次

ゴアに目覚める話21(放浪記138)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ディスコ・バレーでのパーティーは大盛り上がりで昼過ぎまで続き、大絶賛の拍手と口笛の中、惜しまれながら終了した。 僕は水を飲みにチャイ屋へ戻る以外は、休むことなく最後まで踊り続けることができた。 音楽が止まっても耳が爆音に慣らされてキーンとしてい

ゴアに目覚める話20(放浪記137)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ジョイントを吸い終わり、ごく微量のエクスタシーを囓り、錠剤の苦味をチャイで流し込む。 直径8ミリ程度のLSDの小片をさらに8分の1に手で切り分けるのはもはや不可能で、家でハサミで切り分けて準備しておいた。 その小片の一つを摂取し、ダンスフロアへ

ゴアに目覚める話19(放浪記136)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) クリスマスが近づけば近づくほど、毎日倍々で旅人の数が増えていった。 その増え具合は本当に驚くほどで、街全体をお祭り気分に押し上げる。 通りには妖しくて変で派手な格好をした旅人たちがはしゃいでいる。 人数の盛り上がりに合わせてパーティーの数も規模

ゴアに目覚める話18(放浪記135)
僕たちは料理の美味しさに引き寄せられていたのはもちろんだが、その家庭的な雰囲気もまた魅力だった。 お父さんがシェフでお母さんがサポート、しっかり者の次男(当時9歳)が家に居るときは、彼が注文を聞きに来た。 長男のA君はダウン症で、明るい場所で自由に育ったからか、日が照っているとい

ゴアに目覚める話17(放浪記134)
12月にはもう完全に乾季で、数週間前までの雨の面影は、もうどこにも無い。 季節としては真冬だが、昼間の日差しのもとにいると、暑くて倒れそうになる。 だが、意外にも夜はかなり冷え込み、夜中にバイクに乗るときなどは、冬用のジャケットを着ていてもちょうど良かったりする。 僕が住んでいた

ゴアに目覚める話16(放浪記133)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Sさんのスパイ疑惑は忘れて、おどろおどろしい音楽に合わせて気持ちよく踊り続ける。 やがて、夜は白み出しお互いの顔が見え始める。 今まで隣で踊り続けていた人がこんな格好をしてこんな顔をしていたんだと言うことが見えてくる。 皆がお互いに同じ思いで、

ゴアに目覚める話15(放浪記132)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕は、かなり調子良く楽しんでいた。 少量のエクスタシーを最初に取ってからLSDを取る手法は明らかに成功していて、バッドトリップの心配なく気持ちよく踊れた。 だが2時間ほど踊ったところで、身体が脳内感覚についていけず、体が固まってきた。 4分の1

ゴアに目覚める話14(放浪記131)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) まず最初にぶっ飛びだしたのはRさんだ。 ラップに包んだLSDをズボンのポケットに入れたまま洗濯し、少し湿り気のある紙の小片を摂取した彼は、予想外の効きの強さに驚いていた。 紙は湿ってはいたが、成分はそのまま残っており、洗濯後にもかかわらず通常の

ゴアに目覚める話13(放浪記130)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちはバイクに分乗し、パーティー会場へ向かう。 場所は予めタクシー運転手に聞いておいた。 僕たちはゴアのパーティー文化に慣れてきていて、場所も分からないのにフライングしてLSDを摂取し、ぶっ飛びながら音を頼りにパーティーを探すなどという馬鹿な

ゴアに目覚める話12(放浪記129)
ゴアの自由さは世界中から旅人達を惹きつけていたが、その反面、自由さと引き換えに色々と不都合なことも生み出していた。 警官の腐敗の話は既に書いたが、それと連動している問題として泥棒がある。 被害にあった友人もいたし、頻発する警察と泥棒の問題を目の当たりにして、Yさんが警察と泥棒と家

ゴアに目覚める話11(放浪記128)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) インドにおいては無免許運転はあまりにも日常的すぎて、実際に逮捕することは出来ず、脅してバクシーシを分捕る為のハッタリとして使われていた。 警官の言いがかりは何も無免許運転だけではなく、どちらかと言うとドラッグ所持の調査の方が主な目的だ。 もちろ

ゴアに目覚める話10(放浪記127)
交友関係が広がっていき、遊ぶ範囲が広がるに従って、徒歩やバスやタクシーでは不便になっていき、バイクをレンタルするようになった。 僕はあまりお金に余裕がなかったので、Yさんと共有する事で安くした。 インドやタイなどでバイクを借りるのに免許は特に必要ない。 ヘルメットなども誰一人着用

ゴアに目覚める話9(放浪記126)
インドで出会う旅人は面白い人たちが多かったが、ゴアで出会う人は個性が一段抜きんでていた。 それは恐らく、ゴアには60年代から社会から逸脱した人が集まって来ているので、その影響に感化されるという事もあるだろう。 他には、出会うにはある程度の時間が必要なので、長居をする人同士だけが出

ゴアにゴアに目覚める話8(放浪記125)
ゴアには変わり者を引き寄せる力があり、その変わり者の常識の枠を破壊して、変わり具合を加速させる力があった。 僕たちがゴアの妖怪三人組と呼ぶ、年季の入った日本人のおじさんの旅人が三人いた。 二人は以前の記事で紹介したホームレスのFさんとCさんだ。 そして三人目がHさんという50歳く

ゴアに目覚める話7(放浪記124)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕たちは意気揚々と次のパーティーへ向かう。 また、前回と同じレストランを改造してのパーティーだ。 今回は、新しく買った派手派手のズボンを履いて行った。 だが、変なおじさんの着ていた海外製の高価な服とは違い、インドの安い棉素材に安い染料で染めた僕

ゴアに目覚める話6(放浪記123)
僕たちは毎日本当に楽しく笑いながら過ごした。 特にこれといって何をしたわけでもなく、街へ買い物に行って美味しいご飯を作ったり、トランプして遊んだり、別の友人宅に遊びに行ったりなど。 ビーチ沿いに住みながらも、あまり海には入らなかった。 それ以外のことが楽しくて、海には興味が湧かな

ゴアに目覚める話5(放浪記122)
ゴアも12月に入り加速度的に人が増えてくる。 日本人も多く、アンジュナ周辺にいる数千人の外国人の3%くらいは日本人だったんじゃ無いだろうか。 当時の日本人旅行者は今の日本人旅行者よりも英語に対する苦手意識が強く、常に日本人同士でつるんで居た。 僕の住んでいた部屋の隣に来たのも日本

ゴアに目覚める話4(放浪記121)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕が摂取したエクスタシーの錠剤がラップに包まれていた事をNさんに確認したことで、僕の悩みモードは次の段階に突入した。 自分はラップを外さずに錠剤を飲み込んだかも知れない。 いや、あるいはちゃんと外したかも知れない。 ラップを外した記憶は無いけれ

ゴアに目覚める話3(放浪記120)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 変なオジサンは完全に僕の認識する常識の枠組みの外に居た。 彼のハジケ具合は若手のお笑い芸人が精一杯はしゃいでいるかの様だったが、無理矢理感はなく、そういう人生を生きてきたと言うことが見て取れる。 彼はゴアトランスで踊ることを通して何かを得て確信

ゴアに目覚める話2(放浪記119)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) この旅行記は当時の体験から20年以上経って、あらゆる経験と理解を経たのちに書いているが、当時の僕は社会経験が皆無の二十歳の映画オタクのガキンチョ、LSDによって自分に何が起こっているのかが理解できなかった。 この時の僕の脳はLSDの過剰摂取によ

ゴアに目覚める話1(放浪記118)
12月のフルムーンパーティーは、僕の住んでいた宿から歩いて3分の所にあるレストランの敷地内で行われた。 この場所は近所に地元の人たちも住んでいて、彼らにとってはいい迷惑なのだが、パーティーがある事で地元の経済が潤沢に潤うので、需要と供給のバランスが取れていた。 屋根と高さ1メート

ゴアに出会う話20(放浪記117)
クリスマスの12月が近づくにつれて旅人の数が増えてきた。 日本人女性のOちゃんがやってきたのもこの時期だ。 僕がゴアに来て以来ずっと遊んでいるYさんは、元暴走族の現格闘家で、映画助監督の業界人の遊び人。 独身女性のOちゃんが来て嬉しかったのだろう、瞬く間に手を出した。 厳格な宗教

ゴアに出会う話19(放浪記116)
兄たちがきて早々、近々地元の人と結婚予定のカラングートビーチに住む日本人女性Kさんが、僕たち全員を食事に誘ってくれた。 日本からはるばる来た兄たちに、地元のゴア料理をご馳走したいというありがたい提案。 皆でタクシーに乗り、彼女たちの家へ向かう。 僕たちは、美味しいゴア料理をご馳走

ゴアに出会う話18(放浪記115)
ゴアに到着して暫くすると、この土地はなかなか面白い、お兄ちゃんも遊びに来たらいいのにと思った。 普通はインドを旅行していて面白いと思ったからと言って、実の兄を呼ぼうなんて考えが浮かんだりはしないだろうし、仮に呼ばれてもはるばるインドまで来ることも無いだろう。 だが普通ではなかった

ゴアに出会う話17(放浪記114)
この突如現れたオジサンの事をのちにストロー紳士と呼ぶことになるのには、それなりの理由があった。 僕たちがバーに着いた時にはオジサンはすでに大分出来上がっていた。 手にはウイスキーの小瓶を持っている。 おじさんは激しく酔っ払っている割には背筋が正しく、着ている服装も折り目のついたワ

ゴアに出会う話16(放浪記113)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) Eちゃんは芸術家肌の繊細な女性だった。 その長所は集中力に現れ、短所は思い込みの激しさに現れていた。 そして、LSDがその長所と短所を増幅させる。 EちゃんはLSDを摂取すると、極度に思い込みが激しくなり、一旦それに集中するとしばらく白日夢にふ

ゴアに出会う話15(放浪記112)
EちゃんとSくんのカップル、それとCさんの三角関係はだんだんと拗れてくる。 実際には三角関係というよりも、Eちゃんが勝手にCさんに惚れて、Sくんが嫉妬しているだけなのだが、超が付くほどの奇人のCさんが与えるEちゃんへの影響を僕たちは懸念していた。 CさんもEちゃんたちも僕たちも皆

ゴアに出会う話14(放浪記111)
11月も終わりに近づき、続々と旅行者たちがやって来る。 日本人の旅人も増えて来て、近所には、SくんとEちゃんというカップルがやって来た。 彼らはすでに1年ほど東南アジアやネパール、インドのあたりを旅して来たらしい。 ゴアを最後にしてこの旅は終了で、日本に帰る予定という。 僕たちは

ゴアに出会う話13(放浪記110)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 話は戻って。。。 バーへと飛び込んだ僕は、音楽に合わせて踊り続ける。 このバー、及びゴアのパーティーでかけられる音楽は基本的に一択で選択の余地はなく、サイケデリック・トランス、ゴアトランスなどと呼ばれるジャンルの音楽が流される。 それはテクノ・

ゴアに出会う話12(放浪記109)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) インスピレーションを得ることができて、身体に害がなく中毒性もない。 ”良いことづくめで、クリプトラベラーさんもオススメしてるの?”と思うかもしれないが、全くそうではない。 僕が全くオススメしないのは、その精神に対する効果が強すぎるからだ。 今後

ゴアに出会う話11(放浪記108)
まだもう少し、しつこくホームレスのFさんの話を続けたいと思う。 Fさんはお金を稼ぐなんてアイデアは一切持ち合わせていないし、普通の暮らしをしようとしたり、日本に帰って社会復帰したりしようなどと言う考えは微塵も持ち合わせていない。 ついでに言うと、恋愛に対する興味や女性との関わり、

ゴアに出会う話10(放浪記107)
Rさんが面倒を見ていたイラン人ホームレスのSさんは、乞食ではなくホームフリーやノマドと言った表現の似合う、旅人の延長線上にある姿だった。 だが、Fさんの場合は長期旅人が闇落ちせずにギリギリ踏ん張った、意識低い系悟り人の姿だった。 ゴアには自由という名の魔物が住んでいて、やってくる

ゴアに出会う話9(放浪記106)
彼は僕が出会った当時から4年前に、既に4年ほどインドおよびアジアの各国を自転車で旅していた。 これはつまり僕が出会ったのが98年なので、1990年から旅をして1994年の時の話。 当時、海外へ旅行するなんてのはハワイやグアムへの旅行はあっても、インドへ行く人は圧倒的に少なかった時

ゴアに出会う話8(放浪記105)
Rさんは本当に心優しい性格をしていて、弱者に対して寛大な心をもっている。 そんなRさんを慕ってやって来るのはイラン人ホームレスのSさんだけではなく、日本人ホームレスのFさんも居た。 読者の方々は、インドに日本人ホームレスが居ると聞いて驚いたかもしれないが、僕も最初にFさんの存在を

ゴアに出会う話7(放浪記104)
僕とYさんは小さなシングルルームに滞在していたが、Rさんは庭付き一戸建てを借りていた。 値段は張るが、3ヶ月前払いにすることで、かなりの値下げに成功したようだ。 家の広さや、庭がある事、立地などの条件から当然のように僕たちの溜まり場になっていった。 彼はゴアに来る前から、長期滞在

ゴアに出会う話6(放浪記103)
僕の安宿を見つける能力はかなり卓越しているようで、アンジュナでも1日150円の激安の部屋を見つけることができた。 かれこれ、ネパールとインドへ来て以来、ほとんどの街で50ルピー(150円)ほどで滞在することに成功している。 唯一の例外はプーナだったが、一晩無料で泊めてもらったので

ゴアに出会う話5(放浪記102)
Y さんは、アンジュナビーチにいた方が、何か色々と情報に繋がるんじゃないかと考えて、またアンジュナビーチへと移り住んだ。 僕はカラングートのビーチの宿に、あらかじめ家賃を前払いしていたので、引き続き同じ場所に滞在する。 一人で静かだが退屈な日々を過ごした数日後、 Y さんが突然僕

ゴアに出会う話4(放浪記101)
バイクをレンタルした僕たちは、隣村のアンジュナのレストランで働くドイツ人のMさんに会いに行った。 やはり彼は本当にここで働いているらしく、遊びに行った時にはウエイターの仕事をしていた。 給料は貰っていないようで、食事を自由に食べられるだけ。 どこで寝ているのかと聞いたら、ここだと

ゴアに出会う話3(放浪記100)
この放浪記も、とうとう100話目までやって来ました。 この調子で書いていくと、3000話くらいまでかかりそうです。 下手したらもっとかかるかも。 この先10年くらいは、執筆活動が生活の一部になりそう。 もしかしたら、日本史上最長の旅行記として、ギネスに載れるんじゃないかと妄想して

ゴアに出会う話2(放浪記099)
レストランで出会ったYさんに、僕の安宿状況を説明したら、一日150円の値段が氣に入り、翌日には引っ越してくることになった。 お互いに暇していたので、これで楽しくなる。 Yさんも僕と違わず身軽な格好で、隣の部屋へ移り住んできた。 この時を機に今後『永く続く友情』と遊びまくりの楽しい

ゴアに出会う話1(放浪記098)
列車は一晩中走り、朝には目的地のゴアに着いた。 ここは次の目的地というだけで無く、今回の旅の最終目的地だ。 日本を出てから3ヶ月半かけて、海路と陸路を渡りここまでやって来た。 色々と期待してしまう。 駅を出てバスに乗り、街へと向かう。 ゴアの街はキリスト教の州だけに、教会がチラホ

インドを旅する話12(放浪記097)
アシュラム内の庭を散歩していると、東洋人の男性に出会った。 僕たち以外には、他に東洋人はおらず、興味本位からお互いに話しかけた。 英語での会話は、どうしても言葉の壁があり、会話が続かないが、それでもなんとかお互いのことを伝えあった。 彼は中国の圧政が嫌で、チベットを通ってネパール

インドを旅する話11(放浪記096)
バラナシから、プーナへと着いて最初に驚いたのが、街の発展具合だった。 近代化具合が、日本とあまり大差がない。 舗装された道路に、コンクリートの高層住宅が立ち並ぶ。 街並みは、バラナシのような有機的で自然発生的な造りではなく、行政で決められた都市計画に沿って開発されたような感じだっ

インドを旅する話10(放浪記095)
宿の部屋にはバルコニーが付いていて、真横にガンジス河を見ることができる。 僕は景色を見ながら、椅子に座ってチャイを飲むのが好きだった。 バルコニーの向かいには、通りを挟んで建物が軒を連ねており、その屋根の上には十数匹の猿達が遊んでいる。 何気なくその猿達を見ていると、一匹の猿がも

インドを旅する話9(放浪記094)
バラナシの駅からガンジス河に沿って、あるき続けて行くことで、いい感じのガートを見つけた。 ガートとは、河岸に作られた階段の事で、巡礼に来たヒンドゥー教徒が沐浴をしたり、地元のおばちゃんが洗濯をしていたり、観光客向けの船着き場になっていたりする。 ガートの近くに、安くていい感じの宿

インドを旅する話8(放浪記093)
列車は予定時刻よりも、少し遅れてバラナシの街へ着いた。 インドの列車は、大幅に遅れることがあると聞いていたので、少しの遅れで済んだのは、ありがたかった。 列車を降りて駅へつくと、カルカッタで見た光景と、そっくりな物が繰り広げられている。 少し違うのは、列車から降りた瞬間に『ポータ

インドを旅する話7(放浪記092)
チャイ売りの少年は、年に似合わず年季の入った低い声で、「チャーイーーチャーイーー」と大声を上げるだけで、インド人に対しては足を揺すって起こしたりはしないようだ。 どうやら外国人だけへの特別待遇らしい。 寝台列車の最上部で、チャイを飲みながら旅気分に浸っている間に、下部座席の人たち

インドを旅する話6(放浪記091)
インドの列車事情は、なにかと凄いという話は聞いていたので、どんなものかと思っていたが、噂に違わず『世界のカオス』を求めてやってきた僕の好奇心を十分に満足させる物だった。 駅にいるのは何も旅行者だけではない。 駅周辺で働いている人もいれば、旅行者を標的にした物乞いや盗人たちもうろつ

インドを旅する話5(放浪記090)
カルカッタの安宿街、サダルストリートに滞在して、しばらくすると必ず出会う存在が居る。 それがサトシだ。 関西弁を話す彼は、お笑いコンビのダウンタウンの松ちゃんとマブダチだと言う。 彼は、関西人には当たり前、他の地方の人には異文化のノリツッコミを自在に使いこなし、関西人の僕とテンポ

インドを旅する話4(放浪記089)
カルカッタへ来て以来、色々な変わり者の旅人に出会うようになったが、Kさんほどの変わり者も、なかなか居ないだろう。 彼は22歳の京都大学の学生で、休学してアジア旅行へ出た。 京大生は頭が良く、個性的で変わり者が多いと言う事で知られているが、彼は、そんな京大生を代表するような人間だっ

インドを旅する話3(放浪記088)
カルカッタに来ても雨季はまだ続いていたが、イラムやダージリンのような高山特有の肌寒さがないのはありがたかった。 温暖な気候だと濡れてもすぐに乾くし、全く寒くないので雨季の辛さは半減していた 。 そう風に余裕に思っていた矢先、カルカッタへ強烈な集中豪雨が襲ってきた。 雨は休むことな

インドを旅する話2(放浪記087)
カルカッタの街はとんでもなく大きくて、びっくりするほどの都会だった。 カルカッタに行くまでの僕の感覚では、"都会"というと文明が発達していて、先進の科学と便利な公共機関があると言うイメージだったが、インドで言う都会とはものすごい人口密度の場所だった。 僕の滞在していた場所が特にそ

インドを旅する話1(放浪記086)
ネパールやインドの雨季は、なかなか激しい。 ダージリンでも一緒だった。 むしろ湖沿いのポカラよりも、山間部で標高の高いダージリンの方が雨は酷いかもしれない。 調べたところ、世界で最も雨が多い地域の一つだそうだ。 旅慣れた今の感覚からすると、雨季のない乾燥したチベットにビザを延長し

ネパールを旅する話9(放浪記085)
僕たちは、ネパール東部のイラムと言う『お茶の街』へ行くことにした。 イラムは国境を挟んでダージリンの反対側にあり、紅茶が美味しいらしい。 元々の予定では、ポカラからすぐに南へ下って、最終目的地のゴアへ行くつもりだったが、まだ一人でインドへ向かうほどの心の準備は出来ていなかった。

ネパールを旅する話8(放浪記084)
あまり良く知らないのだが、"あいのり"と言うテレビ番組があり、グループで旅を続けながらの恋愛模様を描いているらしい。 僕たちの旅も、それに近い恋愛ドラマがあった。 一人の若い女性と3人の若い男性が寝食を共にし、国境を跨いで旅しているのだから当然、起こりうる話だ。 Iさんは、九州出
ネパールを旅する話7(放浪記083)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) ブッとんだ状態でバイクの後ろに乗せられて、ネパールの山道を降るのは気持ちのいいものだったが、僕の心理状態はそれどころではない。 怒りと遣る瀬無さと、自分の不甲斐なさに落ち込みながら、滞在しているゲストハウスまでの帰路に着いた。 無事に送り届けら
ネパールを旅する話6(放浪記082)
(以下内容転載禁止、法的対処有。) 僕は雨季のポカラで大麻を吸って、日本食を食べながら、漫画を読んで過ごすと言う日々を繰り返していた。 そんなある日、例のチンピラのシヴァが話しかけてきた。 今回は大麻ではなく、マジック・マッシュルームがあると言う。 "へへへ、ダンナ、良いのが入り

ネパールを旅する話5(放浪記081)
宿の近所に住む、ネパール人のチンピラと知り合った。 シヴァと名乗るその男は、片言の日本語を話し、妙に親しげにしてきた。 僕の友人たちは訝しがっていたのだが、彼は僕の注意をひく事に成功した。 (以下内容転載禁止、法的対処有。) "タイマスウ?" これは日本語の"大麻吸う?"を意味し

ネパールを旅する話4(放浪記080)
数日後、友人たちはカトマンズの後はポカラへ行くというので、一緒について行く事にした。 ネパールは過ごしやすく、不安などは無かったが、一人で旅するのは退屈だった。 ポカラはヒマラヤ山脈の合間にあるペワ湖という湖が有名で、外国人旅行者が湖沿いでゆっくりと滞在するためにやってくるリゾー

ネパールを旅する話3(放浪記079)
雨季に一人で部屋に閉じこもって退屈していた僕は、ラジカセを買うという暴挙に出た。 なぜ暴挙というかと言うと、そのラジカセは大きくて重たく、バックパックのかなりの場所と重量を占めるようになったからだ。 25センチ四方の四角くて重たい箱を想像して欲しい。 この箱ほど旅に向かないものは

ネパールを旅する話2(放浪記078)
チベットの国境の村の温泉で旅の疲れを癒した僕は、首都カトマンズへ向かうことにした。 山国なので、他の街へ向かうにしても取り敢えずカトマンズへ向かわなければ話にならない。 幸いにも大した距離ではなく、数時間のバス移動でカトマンズまでたどり着くことができた。 カトマンズの公害が酷いと

ネパールを旅する話1(放浪記077)
チベットから一緒にやってきたアメリカ人の旅人と、ネパール側の最初の村タトパニに一泊することにした。 安宿を見つけ、別々に部屋をとる。 宿の人の話によると、タトパニとはネパール語で”熱い水”の意味があるらしく、その名の通りこの村には温泉があった。 チベットからの弾丸旅行の疲れが溜ま

チベット自治区を旅する話6(放浪記076)
チベットを抜けてネパールへ向かう時期が近づいていた。 チベットは法律上は中国内の自治区で、中国のビザが適用される。 僕は、10日ほどを中国で過ごしておりチベットでも10日ほど過ごしていた。 中国のビザは1ヶ月なので 残りは後10日ほどしかない。 チベットからネパールへの道は中国か

チベット自治区を旅する話5(放浪記075)
運の良いことに、僕の滞在している期間中に12年に一度のチベット仏教の大祭に出くわす事が出来た。 (当時は12年に一度だと聞いていたが、調べたところ毎年やっているらしい。ここでは僕の当時の感覚で書いていきます。) ラサからバスを乗り継いで数時間のところにあるガンデン寺と言うポタラ宮

チベット自治区を旅する話4(放浪記074)
僕たちの泊まっていたゲストハウスには結構な人数の旅人がいた。 全部で50人くらいは居ただろうか。 その内の3割ほどは日本人で、ゲストハウス内での多数派だった。 色々な日本人の旅人がいて色々な個性があり、刺激的な会話を楽しんだ。 皆がそれぞれ仲良くなり、一緒に観光したり食事に行った

チベット自治区を旅する話3(放浪記073)
チベットの首都ラサにはポタラ宮と言う大きな宮殿がある。 それは、政治と宗教の中心でありながら、チベットの長である歴代の長の住居であり、数多くの修行僧が暮らす僧院でもある。 それと同時に最大の観光地でもあり、最も外国人の目に晒される場所でもある。 大きな建物があまり無いラサにおいて

チベット自治区を旅する話2(放浪記072)
世界で7番目に高いタングラ峠を超えた向こう側はすでにチベット自治区。 チベットの首都ラサまではまだ道半ば、さらにもう一晩寝台バスに揺られた。 次の日、目が醒めると既にチベット文化圏に入っていた。 まだまだ荒野は続いて行くが、チベットっぽいデザインの建物がチラホラと見え始める。 首

チベット自治区を旅する話1(放浪記071)
僕たちは準備を整えてチベットへ向かうバスに乗り込んだ。 三日ほどゴルムドに滞在したので体は高い標高に慣れているはず。 一応、念のために高山病の漢方薬を用意した。 今回のバスは軟座でも硬臥でもなく、軟臥だ。 要するに柔らかいベッドのついた寝台車。 狭いながらも足を伸ばして寝ることが

共産主義国家中国を旅する話7(放浪記070)
僕たちは高い標高に体を慣らすために、ゴルムドに滞在している間、お寺へ観光に行った。 大して有名なお寺でも無いみたいだが、僕たちみたいにゴルムドで体を慣らしている間に立ち寄る外国人観光客が多いらしい。 観光地ということで、地元の中国人も多少スレており、一筋縄では行かない。 当たり前

共産主義国家中国を旅する話6(放浪記069)
列車は西安から数時間走り、西寧の街に着いた。 列車を降りたところで、もう一人の日本人の旅人が現れた。 別の車両にいたようだが、僕たちの姿を見つけて、同類だと思い近づいて来たのだ。

共産主義国家中国を旅する話5(放浪記068)
列車の出発の時刻が近づいて来たので、駅へと向かう。 列車は一晩中走って、明日の昼過ぎに西安に到着するらしい。 該当の列車を見つけて乗り込む。 チケットを見ながら自分の席を探す。

共産主義国家中国を旅する話4(放浪記067)
上海の安宿をチェックアウトして街を目指して歩く。 電車のチケットを取って内陸部へ向かう予定だ。

共産主義国家中国を旅する話3(放浪記066)
三日間の船酔いと、何も食べていない空腹で弱り切っていたが心は高揚していた。 意気揚々と上海の街へと繰り出す。 船酔いが収まり、とりあえず何かを食べたいので、レストランを探して歩いた。 食べ物っぽい文字を書いた看板がビルの2階に掲げてある。

共産主義国家中国を旅する話2(放浪記065)
予想以上の揺れに対して、予想通りに船酔いしてきた。 以前、ペルーの山道の話でも書いたが、僕は非常に乗り物酔いしやすいタチで、何度も辛い目にあっている。

共産主義国家中国を旅する話1(放浪記064)
ついに旅立ちの日が来た。 バックパックを背中に担ぎ、実家から出発。 僕は実家の玄関を出た時点で、すでに旅モードに入っていた。

西成での文化人生活の話18(放浪記063)
中国やインドで何かあったら、もう二度と会えないかも知れないと言うことで、親戚にも挨拶回りをした。 幸いにも親戚一同の家は実家から自転車で行ける範囲なので、楽だった。 みんなもう二度と僕の顔を見れないかの様な対応。

西成での文化人生活の話17(放浪記062)
インドへは飛行機を使わずに海路と陸路を通って行くつもりだった。 調べたところによると、中国へのビザは船中で取ることが出来るらしいので、中国ビザの準備は必要ないみたいだ。

西成での文化人生活の話16(放浪記061)
インド旅行へ行く決意をしてからは、順調に準備が進んでいった。 バイト先へバイトを辞めることを伝えた。

西成での文化人生活の話15(放浪記060)
大阪市西成区のドヤ街での暮らしは早くも一年半が経とうとしていた。 この街は面白いほど治安が悪くて、パンク少年の僕はこの街の治安の悪さと言うスリルを楽しんでいた。 ツタヤのバイトが終わるのが夜中の2時、そこからバイト仲間と牛丼を食べ終わり、家に帰るのが3時とか4時。 そんな真夜中に

西成での文化人生活の話14(放浪記059)
深夜バイト勢のミュージシャン達も自分たちのやりたい事を形にしたいと思っていて、自主制作レーベルの立ち上げを検討していた。 そんな中、僕にもレーベルの立ち上げに参加しないかとの誘いがやって来た。

西成での文化人生活の話13(放浪記058)
今回は全記事が完全版となっております。

西成での文化人生活の話12(放浪記057)
ツタヤでの深夜バイトの仲間にカリスマ的な店員が二人いる。 そのうちの一人Mさんはサブカルチャー、特に60年代と70年代のカウンターカルチャー全般に造詣が深い。

西成での文化人生活の話11(放浪記056)
色々なタイプの毒素のある映画に反応してきたが、最も強く僕の人生観に影響を及ぼしたのは、現代に生きる退廃的で暴力的な若者をセンセーショナルに描いた映画だ。 ”La Haine”(邦題、憎しみ)と言う映画に影響を受けてスキンヘッドに近い坊主頭にした。

西成での文化人生活の話10(放浪記055)
僕の心の中の毒素はエホバの証人をやっていた12年間にかけて蓄積されたもので、そう簡単に出し切れるものでも無かったが、音楽や映画という出口を見つけた事で徐々に放出されていった。

西成での文化人生活の話9(放浪記054)
住んでいる部屋の窓ガラスを全部アルミニウムホイルで覆って外の光を遮断し、部屋を映画鑑賞用に改造するほどの熱の入れようで、昼の光を浴びる健康的な生活よりも、映画を集中してみることのできる暗闇を優先していた。

西成での文化人生活の話8(放浪記053)
このころの僕は音源収集という物質欲に激しくとらわれていた。 レコードを収集したり、ツタヤでCDを借りるだけではなく、借りたCDをMDに録音していて、コレクションに加えていた。

西成での文化人生活の話7(放浪記052)
僕たちは時間に余裕のある日を見つけて、朝から中古レコード店巡りをしていた。 よく行っていたのは大阪梅田の近くの電車の高架下にある巨大な中古レコードショップだった。

西成での文化人生活の話6(放浪記051)
兄との音楽ユニットのアイデアはどんどんと進化していき、反著作権主義の思想を込めて活動する、テープコラージュを使った実験音楽家という体裁になって行った。 実際には真剣な思想を持っていたわけではないが、そういう設定にすることを楽しんでいた。

西成での文化人生活の話5(放浪記050)
僕は色々な音楽的経験を積んでいたが、兄との音楽ユニットも独自の進化を遂げていた。 音楽ユニットの名前は、泉北コミュニティとすることにした。

西成での文化人生活の話4(放浪記049)
Gさんはミュージシャンだけあって音楽に詳しく、彼の最も得意とする分野が、ジャーマン・プログレやクラウト・ロックなどとも呼ばれる70年代ドイツのアンダーグラウンドなサイケデリック・ロック・シーンだった。

西成での文化人生活の話3(放浪記048)
兄の元バンドメンバーのGさんもこのビデオ屋で働いていた。 彼はかなり面白い人で、非常に自由に生きており、社会的常識から逸脱したアーティストだった。

西成での文化人生活の話2(放浪記047)
タイ旅行、特に南の島でのノンビリした時間を経験したことで、もう少しゆったりした暮らしをしたいと考えるようになる。 パンガン島で出会った旅人たちは肩の力を抜いて気楽に過ごしていた。 彼らみたいにノホホンと暮らしたい、パンクス的思想だった僕にヒッピー的思想が混じり込んできた。

西成での文化人生活の話1(放浪記046)
3週間のタイ旅行も無事に終わり、西成の一人暮らしのワンルームマンションへ帰ってきた。 旅行は無事だったが、無事ではなかったのが貯金だった。 ピザ屋のバイトで貯めた貯金は引っ越しの準備やタイ旅行の資金に消えた。 ここに住んでいない3週間の間も、家賃は払い続けている。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話12(放浪記045)
楽しかった北部山岳地帯の旅も終わり、再びバンコクに帰って来た。 残り数日で日本への帰国。 バンコクは相変わらず埃っぽくて蒸し暑い。 山岳地帯の快適さとは程遠い。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話11(放浪記044)
次の日、朝日と鳥たちの鳴き声で目が醒める。 山の朝の少し冷たい空気が気持ちいい。 部屋から出ると、すでに朝食が用意されていた。 食事を食べ、荷物をまとめ、出発の準備をする。 今日はいよいよ象に乗る日だ。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話10(放浪記043)
ガイドブックによると、このゲストハウスは山岳民族を象に乗って訪ねるという一泊二日のツアーをやっているらしい。 チェックインしながら、ゲストハウスの人にツアーの詳細を尋ねると、色々と写真を見せてくれた。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話9(放浪記042)
この時にゲストハウスにいた日本人と仲良くなった。 人と気軽に話して友達になるなど、日本ではあり得なかったので、これまた驚きだが、これがタイの魔法だろう。 彼は金髪のガタイのいい東大生で、自称ストリップ研究家だという。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話8(放浪記041)
道端の砂利の上に横になってどれくらいが経ったのだろうか? しばらくの間眠りに落ちていたようだ。 夜は明けかけていて、空は白み始め、ジャングル中の鳥たちが合唱している。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話7(放浪記040)
丘の上に一軒家を見つけたので、バルコニーで少し横にならせてもらおうと思ってドアをノックする。 他人の家をノックする事をためらわないのは、エホバの証人の家庭で育ったことの特技かもしれない。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話6(放浪記039)
僕たちがパンガン島に来たのは、何もビーチでのバカンスだけを求めて来たのではなかった。 もちろん言うまでもなく、ビーチバカンスを最高に楽しんだのだが、島に来た一番の目的は毎月満月の夜に開催されると言うフルムーン・パーティーに参加するためだった。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話5(放浪記038)
この記事以降は、限定版と完全版の二手に別れて記事を発信していきます。 そこにはいくつかの理由があるのですが、せっかくなのでこの放浪記のそもそもの始まりから説明していきます。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話4(放浪記037)
ビーチに滞在し始めて何日か経った頃に、もう一人の日本人の旅人がやって来た。 彼も『満月のタイミング』を狙ってやって来たらしい。 こちらのMさんも、かなり旅慣れているようで、今までに出会ったことのないタイプの人。

タイ旅行でカルチャーショックをうける話3(放浪記036)
フェリーは港に着き、タクシーに乗り換える。 僕たちが向かったのは、スリタヌと呼ばれる地区で、ジャングルとビーチ以外には何もないど田舎。 ど田舎と言うよりも、大自然と言う方が適切かもしれない。 ビーチ沿いに数件のゲストハウス兼レストランがあり、各ゲストハウス内には数件のバンガローが

タイ旅行でカルチャーショックをうける話2(放浪記035)
出発したのは3月の初め。 大阪はまだ冬を抜け出したところで、春が芽吹く前、肌寒かった。 友人と天王寺の駅で待ち合わせをして、関空へ向かう。 僕たちは、これから始まる未知の冒険に胸を躍らせていた。 税関の作業なども簡単に済み、飛行機は無事にタイの首都バンコクに着いた。 空港から外に

タイ旅行でカルチャーショックをうける話1(放浪記034)
話は少し遡るが、僕が一人暮らしを始めようとしていた頃に”電波少年”という深夜番組で”猿岩石”というお笑いコンビが、ユーラシア大陸をヒッチハイクだけで横断するという番組を放映して大ヒットしていた。 いまや日本のツイッターフォロワー数ランキングで2位の有吉弘行が、テレビに出たきっかけ

大阪のドヤ街での一人暮らしの話6(放浪記033)
自分で『テクノミュージック』を作曲するようになってから、自分の中のテクノ熱が加速して行った。 おそらく、このブログを読んでくれている人の殆どは、テクノを聞かないと思うんだけどテクノ、中でも四つ打ちのテクノは音楽として楽しむためには、かなり特殊な感性を必要とする。 多くの場合ロック

大阪のドヤ街での一人暮らしの話5(放浪記032)
音楽をやるためにマックを買ったので、ついでに流行りのインターネットを導入してみた。 色々調べてみると『ISDN』という回線のテレホーダイというプランが、定額で夜中じゅう使い放題なので自分に向いていると思い加入した。 当時のインターネットは今よりももっとシンプルで、基本的にはウェブ

大阪のドヤ街での一人暮らしの話4(放浪記031)
僕が一人暮らしを始めたのと同じ頃に、兄が長年続けていたバンドが解散した。 兄は実験的なロックバンドでベーシストとして活躍していたのだが、音楽性の違いやそれぞれの都合によりバンドが続けられなくなったようだ。 兄はこの頃に、だんだんとメジャーになって来ていたテクノミュージックと、自分

大阪のドヤ街での一人暮らしの話3(放浪記030)
『映画に関わる仕事がしたい』という夢の第一歩として、大規模レンタルビデオ店でのバイトを始めた。 近鉄阿倍野駅という、かなり大きめの駅の出口にある店舗だ。 都会で暮らしてみたいという希望が見事に実現した。 人口密度も人の入れ替わりも店舗の規模も、今までの暮らしとは全く違う。 この店

大阪のドヤ街での一人暮らしの話2(放浪記029)
自由な一人暮らしが始まり自分を表現できるようになる事で、中学生時代には激しく抑圧されていて、うまく表現できなかった反抗期的な性質が浮かび上がって来た。 適切な時期に適切な形で昇華されていれば、自我の自立に役に立つような反抗期の性質だが、抑圧された上に遅れて現れてきたので病みを増し

大阪のドヤ街での一人暮らしの話1(放浪記028)
実家から新居への引っ越しは簡単だった。 大きな荷物といっても自転車くらいしかなく、実家からの距離も大したことないので服といくつかの棚を軽トラで運んで終了。 ついに新しい自由な暮らしが始まる。 今までとは全く違う新しい経験。 そもそも一人で暮らすなんて、どうすれば良いか全くわからな

人生初の普通っぽい暮らしの話3(放浪記027)
ピザ屋のバイトに週2回くらいやってくる可愛い女子高生がいた。 その可愛らしさに見惚れていたが僕には何か行動する様な度胸もなく、バイト中にちょっとした会話をするくらいが関の山だった。 行動できなかった理由の一つは、ピザ屋でのバイトを始めるまでほとんど女の子と話したことがなく奥手だっ

人生初の普通っぽい暮らしの話2(放浪記026)
ピザ屋でバイトしていたころの生活は、かなり単調なものだった。 実家から自転車で7分のところにあるピザ屋で1日8時間バイトして家に帰るだけの日々。 それ以外の時間は本屋で立ち読みしたり、映画やテレビを見たりゲームをしたりなど。 ピザ屋以外では友達は一人もおらず、暇つぶし以外のなんら

人生初の普通っぽい暮らしの話1(放浪記025)
ピザの配達のバイトは調子よく行った。 そこの店長は元ヤンと言うか現ヤンキーで、一緒にバイトに入っていた若奥さんもヤンキーの金髪夫婦だった。 店長の人柄なのか配達の仕事で使うバイクのせいで、バイク好きが集まってくるからなのかはわからないが、ヤンキーっぽい人や自由でフランクな人柄の人

引きこもりの日々の話(放浪記024)
ペルーから日本へ帰って来たのは、年明け早々の冬の時期だった。 日本での祖父との二人暮らしが始まる。 二人暮らしと言っても祖父は、パチンコに行くか自分の部屋でジグソーパズルをしているかだったので実質的には一人暮らしと変わらなかった。 エホバの証人をやめて高校もやめて、ペルーでの半軟

ペルーでの生活の話5(放浪記023)
楽しかった旅行を終えて、姉の家へ戻る。 母はこの後も一ヶ月ほど残って、ペルーの生活を楽しむ予定。 叔母は、旦那の面倒を見なければいけないので、すぐに日本へ帰る予定。 僕はペルーに来た当初は、特に予定も立てずに来たのだが、退屈な日々が余りにもしんどかったので、叔母が日本へ帰るタイミ

ペルーでの生活の話4(放浪記022)
結婚式が無事終わり、姉たちは新婚旅行に行くのだが、僕や母や叔母の観光旅行もそこに含まれていた。 当時は何も考えていなかったが、今思うと、新婚旅行くらい姉と旦那を二人きりにさせてあげたかった。 この時の姉の負担は、相当大きかったと思う。 ペルー旅行の選択肢は、ナスカの地上絵とマチュ

ペルーでの生活の話3(放浪記021)
ペルーに着いてしばらくすると、姉に連れられて現地のペルー人のエホバの証人の集まりに遊びに行ったりした。 宗教的なものじゃなくて、ホームパーティー。 ペルーのエホバの証人たちは集まって、音楽をかけて踊っていたりした。 日本のエホバの証人の感覚では、音楽は世俗の影響が強いので聞かない

ペルーでの生活の話2(放浪記020)
ペルーの姉の家での極度の退屈な状況を、辛うじてマシにしてくれたのが一冊のノートだった。 僕は元々、日記や作文を書くのが苦手で、小学校の宿題の日記は宿題を提出したと認められる最低量の文字しか書かなかった。 作文の授業では言葉が何も浮かばず、作文用紙の隙間を埋めるのに苦労していた。

ペルーでの生活の話1(放浪記019)
リマの空港では、予定通り姉が待っていた。 無事に到着したことを喜び、暖かく迎えてくれた。 当時はスマホもインターネットもなかったから、1分百円とかの国際電話を通して待ち合わせをした。 万が一なんらかのアクシデントでもあって、待ち合わせ場所に来れなかったら、どうしていたんだろうかと

宗教、高校、家庭、日本から脱出し、ペルーに向かう話2(放浪記018)
僕がエホバの証人と高校を辞めたのと同じ時期に、姉がペルー人の男性と結婚してペルーに移住する計画が進んでいた。 10月頭にペルーに行き、旦那の地元でペルー式の結婚式を挙げる。 そして、それに合わせて家族みんなでペルーに行こうという、家族史上最大の大規模なイベントだ。 当時は、今ほど

宗教、高校、家庭、日本から脱出し、ペルーに向かう話1(放浪記017)
高校2年の夏休み後半に見事、念願のエホバの証人からの脱退を成し遂げた。 ついについに長年、夢にまで思い続けていたエホバの証人からの自由を手に入れた。 これで、苦痛すぎて出かける前に神経性の下痢になっていた、エホバの証人の集会に行かなくて済む。 スーツを着てネクタイをして、家々をノ

抑圧された怒りが爆発する高校時代の話4(放浪記016)
犯罪を犯してでも、乞食になってでも暮らして行くことができると言う妄想は、僕に想像以上の力を与えた。 僕は、この考えに取り込まれていき、色々な犯罪のアイデアを膨らませた。 今になって思うと、厨二病的な幼稚で現実味のない妄想だが、怖気付いて縮こまっていた僕の心を鼓舞するにはそれで十分

抑圧された怒りが爆発する高校時代の話3(放浪記015)
3歳頃に両親が離婚して、兄とは別々に育ったが、その分変な家族ドラマやしがらみがなく、血の通った友人みたいな感じだった。 そんな兄と高校へ行く頃には、頻繁に会うようになった。 理由は、兄がレンタルビデオ屋でバイトしていて、ビデオをただで貸してもらえるから。 バンドマンをやっていて、

抑圧された怒りが爆発する高校時代の話2(放浪記014)
僕は、全てに対して怒っていた。 これと言った怒りの対象がある訳ではなく、ただ怒りがそこにあった。 その怒りは、表に出ることはなく、内側で留まり続け抑圧されていた。 抑圧された怒りは、その圧力を増し僕の魂を締め上げていく。 自分が何に対して怒っているのかは、全く理解していなかった。

抑圧された怒りが爆発する高校時代の話1(放浪記013)
エホバの証人二世の反逆児仲間の同級生も、僕と同じ高校を選んだ。 もちろん、希望や期待から選んだのではなく惰性で選んだものだ。 そんな彼が、高校入学直後の4日目に突如、高校退学と言う行動に出た。 特にはっきりとした理由はなく、高校になって義務教育じゃなくなり、自主退学できるから退学

歪みが顕著に現れてくる中学生時代の話6(放浪記012)
中三の二学期になり、勉強の楽しさに目覚めたことで、テストの点数は大幅にアップしたが、高校受験はテストの点数だけではなく、それまでの総合的な学生生活も加味して考慮されていたため、点数に見合った高校へ受験することが出来なかった。 今になって思うと、自分の意思を強く持って志望校の受験を

歪みが顕著に現れてくる中学生時代の話5(放浪記011)
中学生時代に、僕がハマったのはゲームだった。 僕が、初めてゲーム機を手にしたのは小学校6年生の時で、おばあちゃんの家に遊びにいった時に買ってもらった、任天堂のゲームボーイという手持ちできるゲーム機が最初だ。 同級生と比べると、だいぶん遅いゲームデビューだった。 デビューが遅かった

歪みが顕著に現れてくる中学生時代の話4(放浪記010)
エホバの証人の若者たちの間で、ホームステイという形をとって外国へ宣教活動に行くことが流行っていた。 理由は、外国で暮らしてみたいという自分の夢を叶える事が出来つつ、エホバの証人としての活動にも沿っているからだ。 日本国内において一人暮らしをする事は、世俗の誘惑を受けるので推奨され

歪みが顕著に現れてくる中学生時代の話3(放浪記009)
中学校へ入るとすぐに、小学校からの同級生のほとんどは、なんらかの運動クラブへと入った。 僕はエホバの証人の活動に注力しなければいけないので、クラブ活動へ参加しないようにと促されていた。 エホバの証人としてクラブ活動を禁止されていたわけでは無いのだが、しない方が好ましいと言う空気。

歪みが顕著に現れてくる中学生時代の話2(放浪記008)
エホバの証人の家庭に育つと言うことは、聖書原理主義によって生み出された厳しい規則の元に育てられると言う事。 エホバの証人の子供達には基本的に二つの選択肢しかなく、大人しく言うことを聞くか、泣いて反省するまで鞭で打たれるかの二択。 中学生になると流石に鞭で打たれることは無くなったが

歪みが顕著に現れてくる中学生時代の話1(放浪記007)
小学生の間は持ち前の頭の良さもあり、勉強しなくてもテストは常に高得点だった。 だがそれも、中学に入ってからは通用せず、英語などの今までの知識と頭の回転で対処できない科目は、瞬く間に転落して行った。 熱心なエホバの証人の母は、聖書の勉強さえしていれば学校の勉強など、どうでもいいと言

社会の厳しさに向き合う小学生時代の話2(放浪記006)
小学生時代の僕の人生は基本的に苦しみが基礎となっていた。 今になって当時の写真を見返すと、カメラをギッと睨みつけていて、内在させていた怒りと苦しみが反映されている。 学校では弱い立場で抑圧されていて、家に帰れば強制的に宗教活動に参加させられる。 テレビなどの娯楽に逃げることもでき

社会の厳しさに向き合う小学生時代の話1(放浪記005)
小学校入学までは、家庭問題や宗教生活など色々なことがあったが、僕自身はしっかりと守られていて特に辛い事などなかった。 社会の厳しさに初めて向き合ったのは小学校に入ってからだ。 生まれて初めて、自分に危害を加えるいじめっ子と言う存在に出会った。 それまでは優しい環境で育てられると同

エホバの証人の家庭で育つ話2(放浪記004)
この12年間エホバの証人の子供として育つ実体験レポートは、僕が大人になってから経験する様々な冒険に匹敵するほどレアな体験なので、もう少し詳細に書いていきたい。 くれぐれも、批判や否定に囚われないように注意して、どこかの未開の部族に潜入体験したレポートを読むような、人類学的な観点で

エホバの証人の家庭で育つ話1(放浪記003)
この世界はエホバ神が作り、預言者たちに聖書を書かせて真理を人々に伝えた。 神は人々を楽園へ連れて行くか、地獄へ落とすか試すためにこの世界を与えた。 神の真の信者であれば、ハルマゲドンを生き延びて地上の楽園で永遠の命を享受することができる。 その為には神が聖書で定めた法をしっかりと

家庭崩壊から始まる幼少期の話(放浪記002)
一番古い記憶は父、母、父方の祖母、兄、姉、末っ子の僕の6人で暮らしていた時のことだ。 二階建ての家で、漆喰の壁が剥がれやすかったのを覚えている。 僕は、おばあちゃん子で、何をするにも祖母と一緒だった。 例外は夜寝る時で、母と一緒じゃないと不安で眠ることができなかった。 平穏な日々

生まれて来る前の話 (放浪記001)
流れに乗った旅を長年続けると、不思議な力が身につくようになる。 磁力というか、氣というか、波動というか、周波数というか、なんとも不思議な力。 このような力を持ったもの同士は自然と出会うようになっているらしく、色々と不思議な出会いがある。 中には変わった能力を持った人が何人かいて、

世界中を20年以上放浪し続けている話(放浪記000)
人生を旅に捧げた漢、クリプトラベラー。 エホバの証人の貧しい母子家庭に育つも、全てに嫌気がさして、宗教、高校、日本社会から脱出して独自の道を歩み始める。 その唯一無二の生き様は、人々を魅了し、インスピレーションを与え続けている。 その全てを赤裸々に描き切った放浪記が今ここに!!!