歪みが顕著に現れてくる中学生時代の話5(放浪記011)

放浪記 #11 約4分 2,217字
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ギャンブルゲーム

中学生時代に、僕がハマったのはゲームだった。

僕が、初めてゲーム機を手にしたのは小学校6年生の時で、おばあちゃんの家に遊びにいった時に買ってもらった、任天堂のゲームボーイという手持ちできるゲーム機が最初だ。

同級生と比べると、だいぶん遅いゲームデビューだった。

デビューが遅かった分、ゲームボーイを手に入れた途端、どんどんとハマっていった。

自由な時間は、ずっとゲームをしていた。

友人宅でゲームしたり、一人でゲームしたり。

僕がハマったゲームは、コンピューターゲームだけじゃ無く、トランプやボードゲームやチェスなどでも遊んでいた。

近所のエホバの証人の同年齢の男子三人で集まって、しょっちゅうトランプやボードゲームをやっていた。

コンピューターゲームをやらなかった理由は、誰も持っていなかったからだ。

僕たちは、三人ともエホバの証人の反逆児で、表向きは親に従いつつも、裏では賽銭泥棒などをやっていた。

トランプでも同じで、表向きは点数をつけてゲームを競い合って楽しんでいるように見せつつ、裏ではお金をかけてギャンブルしていた。

図書館でトランプゲームの本を借りて来て、あらゆるトランプゲームを遊び、常にお金を賭け続けていた。

僕たちのギャンブルは、お金を稼ぐためではなく、ゲームの真剣さを増すためにお金を賭けていた。

だから、非常に小さい単位で賭けていて、月々のお小遣いで払いきれる額だった。

ボードゲームのモノポリーで、お金を賭けて遊んでいる時などは、ゲームでの稼ぎ具合が掛け金に反映されるので、よりリアルなモノポリーゲームを楽しめた。

エホバの証人二世の反逆児仲間

僕たち反逆児仲間は、しょっちゅう遊んでいた。

一人は同級生、一人は一つ年下だった。

二人とも、僕が小学校高学年の時に近所に引っ越して来た。

エホバの証人の子供同士、近所で育った方が良い影響を与え合えるという判断があったのだと思う。

僕たちは意識的に会って遊ばなくても、週3度の集会で嫌でも顔を合わせるし、それぞれの家から歩いて2分の距離に住んでいたという事と、両親同士がよく知り合った仲なので、気軽に行き来し合っていた。

エホバの証人の規則として、世俗の人と交わらないというものがある。

母は、この規則をしっかりと守っていて、僕の知っている範囲では、10年以上の間に一度だけ世俗の人(会社の同僚)と出かけただけだ。

母は流石に僕が、同級生と遊ぶ事を規制はしなかったが、世俗の友人がうちに遊びに来ることは嫌った。

僕が彼らと遊ぶときは、外か彼らの家だった。

その反面、エホバの証人の子供同士で遊ぶことは推奨されていたので、反逆児仲間は気軽にうちに来ることが出来た。

同級生の反逆児とは、一緒に学校から帰っていたので、毎日の帰り道、エホバの証人の集会や、家でのトランプ遊びと、かなり多くの時間を共に過ごしていた。

他の同級生に隠していた、エホバの証人の家庭事情も、他のエホバの証人に隠していた二面性も、どちらも共有できる数少ない友人だった。

僕たちは、心の通った親友というよりも、隠したい真実を共有する刑務所仲間のような感じだった。

親からも友人からも隠す、エホバの証人二世の二面性を共有できる唯一の同志。

正確にいうと、エホバの証人としての表の顔と、反逆児の裏の顔と、学校社会での顔の三面性だった。

一緒に帰宅する仲間だったのに、学校社会では一定の距離を置いていた。

ある時などは、その友人の事をからかってから逃げる、軽いイジメのような遊びを毎日の帰宅時に繰り返していた。

だがその子は、いじめられっ子では無いので、追いかけて来て腕や背中を殴って来る。

仲が悪いとかでは無く、緊張感の伴う中学生男子の遊びだった。

帰宅時に、からかって殴られる。

その数時間後には、集会で再開し一緒に遊ぶ。

次の日には、また帰宅時にからかって殴られる。

その後に、うちに来てトランプで遊ぶ。

僕たちは、都合よくいくつもの顔を使い分けていた。

僕たちは、エホバの証人である事を心底嫌がっていたが、誰もエホバの証人を辞めるなんて話はしなかった。

中学生の僕たちには、親から自立するなんて考えは想像もつかず、親の言うことに嫌々従うだけという奴隷生活を送っていた。

未来への希望が一切ない僕たちにとって、目の前の暗闇を忘れさせてくれるゲームは都合の良い道具だった。

つづく。。

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