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放浪記

20年以上の世界放浪を綴った自伝的連載。各地での出会いと別れ、日々の断片を残しています。

521件の記事 ・ 21 / 22 ページ

タイ旅行でカルチャーショックをうける話7(放浪記040)

丘の上に一軒家を見つけたので、バルコニーで少し横にならせてもらおうと思ってドアをノックする。 他人の家をノックする事をためらわないのは、エホバの証人の家庭で育ったことの特技かもしれない。

約5分 放浪記 #40

タイ旅行でカルチャーショックをうける話6(放浪記039)

僕たちがパンガン島に来たのは、何もビーチでのバカンスだけを求めて来たのではなかった。 もちろん言うまでもなく、ビーチバカンスを最高に楽しんだのだが、島に来た一番の目的は毎月満月の夜に開催されると言うフルムーン・パーティーに参加するためだった。

約10分 放浪記 #39

タイ旅行でカルチャーショックをうける話5(放浪記038)

この記事以降は、限定版と完全版の二手に別れて記事を発信していきます。 そこにはいくつかの理由があるのですが、せっかくなのでこの放浪記のそもそもの始まりから説明していきます。

約3分 放浪記 #38

タイ旅行でカルチャーショックをうける話4(放浪記037)

ビーチに滞在し始めて何日か経った頃に、もう一人の日本人の旅人がやって来た。 彼も『満月のタイミング』を狙ってやって来たらしい。 こちらのMさんも、かなり旅慣れているようで、今までに出会ったことのないタイプの人。

約4分 放浪記 #37

タイ旅行でカルチャーショックをうける話3(放浪記036)

フェリーは港に着き、タクシーに乗り換える。 僕たちが向かったのは、スリタヌと呼ばれる地区で、ジャングルとビーチ以外には何もないど田舎。 ど田舎と言うよりも、大自然と言う方が適切かもしれない。 ビーチ沿いに数件のゲストハウス兼レストランがあり、各ゲストハウス内には数件のバンガローが

約4分 放浪記 #36

タイ旅行でカルチャーショックをうける話2(放浪記035)

出発したのは3月の初め。 大阪はまだ冬を抜け出したところで、春が芽吹く前、肌寒かった。 友人と天王寺の駅で待ち合わせをして、関空へ向かう。 僕たちは、これから始まる未知の冒険に胸を躍らせていた。 税関の作業なども簡単に済み、飛行機は無事にタイの首都バンコクに着いた。 空港から外に

約4分 放浪記 #35

タイ旅行でカルチャーショックをうける話1(放浪記034)

話は少し遡るが、僕が一人暮らしを始めようとしていた頃に”電波少年”という深夜番組で”猿岩石”というお笑いコンビが、ユーラシア大陸をヒッチハイクだけで横断するという番組を放映して大ヒットしていた。 いまや日本のツイッターフォロワー数ランキングで2位の有吉弘行が、テレビに出たきっかけ

約4分 放浪記 #34

大阪のドヤ街での一人暮らしの話6(放浪記033)

自分で『テクノミュージック』を作曲するようになってから、自分の中のテクノ熱が加速して行った。 おそらく、このブログを読んでくれている人の殆どは、テクノを聞かないと思うんだけどテクノ、中でも四つ打ちのテクノは音楽として楽しむためには、かなり特殊な感性を必要とする。 多くの場合ロック

約4分 放浪記 #33

大阪のドヤ街での一人暮らしの話5(放浪記032)

音楽をやるためにマックを買ったので、ついでに流行りのインターネットを導入してみた。 色々調べてみると『ISDN』という回線のテレホーダイというプランが、定額で夜中じゅう使い放題なので自分に向いていると思い加入した。 当時のインターネットは今よりももっとシンプルで、基本的にはウェブ

約4分 放浪記 #32

大阪のドヤ街での一人暮らしの話4(放浪記031)

僕が一人暮らしを始めたのと同じ頃に、兄が長年続けていたバンドが解散した。 兄は実験的なロックバンドでベーシストとして活躍していたのだが、音楽性の違いやそれぞれの都合によりバンドが続けられなくなったようだ。 兄はこの頃に、だんだんとメジャーになって来ていたテクノミュージックと、自分

約4分 放浪記 #31

大阪のドヤ街での一人暮らしの話3(放浪記030)

『映画に関わる仕事がしたい』という夢の第一歩として、大規模レンタルビデオ店でのバイトを始めた。 近鉄阿倍野駅という、かなり大きめの駅の出口にある店舗だ。 都会で暮らしてみたいという希望が見事に実現した。 人口密度も人の入れ替わりも店舗の規模も、今までの暮らしとは全く違う。 この店

約5分 放浪記 #30

大阪のドヤ街での一人暮らしの話2(放浪記029)

自由な一人暮らしが始まり自分を表現できるようになる事で、中学生時代には激しく抑圧されていて、うまく表現できなかった反抗期的な性質が浮かび上がって来た。 適切な時期に適切な形で昇華されていれば、自我の自立に役に立つような反抗期の性質だが、抑圧された上に遅れて現れてきたので病みを増し

約4分 放浪記 #29

大阪のドヤ街での一人暮らしの話1(放浪記028)

実家から新居への引っ越しは簡単だった。 大きな荷物といっても自転車くらいしかなく、実家からの距離も大したことないので服といくつかの棚を軽トラで運んで終了。 ついに新しい自由な暮らしが始まる。 今までとは全く違う新しい経験。 そもそも一人で暮らすなんて、どうすれば良いか全くわからな

約4分 放浪記 #28

人生初の普通っぽい暮らしの話3(放浪記027)

ピザ屋のバイトに週2回くらいやってくる可愛い女子高生がいた。 その可愛らしさに見惚れていたが僕には何か行動する様な度胸もなく、バイト中にちょっとした会話をするくらいが関の山だった。 行動できなかった理由の一つは、ピザ屋でのバイトを始めるまでほとんど女の子と話したことがなく奥手だっ

約4分 放浪記 #27

人生初の普通っぽい暮らしの話2(放浪記026)

ピザ屋でバイトしていたころの生活は、かなり単調なものだった。 実家から自転車で7分のところにあるピザ屋で1日8時間バイトして家に帰るだけの日々。 それ以外の時間は本屋で立ち読みしたり、映画やテレビを見たりゲームをしたりなど。 ピザ屋以外では友達は一人もおらず、暇つぶし以外のなんら

約4分 放浪記 #26

人生初の普通っぽい暮らしの話1(放浪記025)

ピザの配達のバイトは調子よく行った。 そこの店長は元ヤンと言うか現ヤンキーで、一緒にバイトに入っていた若奥さんもヤンキーの金髪夫婦だった。 店長の人柄なのか配達の仕事で使うバイクのせいで、バイク好きが集まってくるからなのかはわからないが、ヤンキーっぽい人や自由でフランクな人柄の人

約4分 放浪記 #25

引きこもりの日々の話(放浪記024)

ペルーから日本へ帰って来たのは、年明け早々の冬の時期だった。 日本での祖父との二人暮らしが始まる。 二人暮らしと言っても祖父は、パチンコに行くか自分の部屋でジグソーパズルをしているかだったので実質的には一人暮らしと変わらなかった。 エホバの証人をやめて高校もやめて、ペルーでの半軟

約4分 放浪記 #24

ペルーでの生活の話5(放浪記023)

楽しかった旅行を終えて、姉の家へ戻る。 母はこの後も一ヶ月ほど残って、ペルーの生活を楽しむ予定。 叔母は、旦那の面倒を見なければいけないので、すぐに日本へ帰る予定。 僕はペルーに来た当初は、特に予定も立てずに来たのだが、退屈な日々が余りにもしんどかったので、叔母が日本へ帰るタイミ

約4分 放浪記 #23

ペルーでの生活の話4(放浪記022)

結婚式が無事終わり、姉たちは新婚旅行に行くのだが、僕や母や叔母の観光旅行もそこに含まれていた。 当時は何も考えていなかったが、今思うと、新婚旅行くらい姉と旦那を二人きりにさせてあげたかった。 この時の姉の負担は、相当大きかったと思う。 ペルー旅行の選択肢は、ナスカの地上絵とマチュ

約4分 放浪記 #22

ペルーでの生活の話3(放浪記021)

ペルーに着いてしばらくすると、姉に連れられて現地のペルー人のエホバの証人の集まりに遊びに行ったりした。 宗教的なものじゃなくて、ホームパーティー。 ペルーのエホバの証人たちは集まって、音楽をかけて踊っていたりした。 日本のエホバの証人の感覚では、音楽は世俗の影響が強いので聞かない

約4分 放浪記 #21

ペルーでの生活の話2(放浪記020)

ペルーの姉の家での極度の退屈な状況を、辛うじてマシにしてくれたのが一冊のノートだった。 僕は元々、日記や作文を書くのが苦手で、小学校の宿題の日記は宿題を提出したと認められる最低量の文字しか書かなかった。 作文の授業では言葉が何も浮かばず、作文用紙の隙間を埋めるのに苦労していた。

約4分 放浪記 #20

ペルーでの生活の話1(放浪記019)

リマの空港では、予定通り姉が待っていた。 無事に到着したことを喜び、暖かく迎えてくれた。 当時はスマホもインターネットもなかったから、1分百円とかの国際電話を通して待ち合わせをした。 万が一なんらかのアクシデントでもあって、待ち合わせ場所に来れなかったら、どうしていたんだろうかと

約4分 放浪記 #19

宗教、高校、家庭、日本から脱出し、ペルーに向かう話2(放浪記018)

僕がエホバの証人と高校を辞めたのと同じ時期に、姉がペルー人の男性と結婚してペルーに移住する計画が進んでいた。 10月頭にペルーに行き、旦那の地元でペルー式の結婚式を挙げる。 そして、それに合わせて家族みんなでペルーに行こうという、家族史上最大の大規模なイベントだ。 当時は、今ほど

約4分 放浪記 #18

宗教、高校、家庭、日本から脱出し、ペルーに向かう話1(放浪記017)

高校2年の夏休み後半に見事、念願のエホバの証人からの脱退を成し遂げた。 ついについに長年、夢にまで思い続けていたエホバの証人からの自由を手に入れた。 これで、苦痛すぎて出かける前に神経性の下痢になっていた、エホバの証人の集会に行かなくて済む。 スーツを着てネクタイをして、家々をノ

約4分 放浪記 #17