放浪記059

西成での文化人生活の話14(放浪記059)

自主制作レーベル立ち上げ

 
 
 
西日本最大のツタヤでのバイトはなかなか刺激的だった。
 
色々と面白い芸術活動をしている人が多く、色々なインスピレーションをもらった。
 
 
 
みんなそれぞれが何か行動を起こしたいと、静かな熱気に燃えていたように思う。
 
 
 
深夜バイト勢のミュージシャン達も自分たちのやりたい事を形にしたいと思っていて、自主制作レーベルの立ち上げを検討していた。
 
 
 
そんな中、僕にもレーベルの立ち上げに参加しないかとの誘いがやって来た。
 
話を持って来たのはタイ旅行に一緒に行ったテクノミュージシャンのA君。
 
 
 
何か行動を起こしたいと言う熱気を持っていたのは僕も同じで、自主制作レーベルを立ち上げるなんて、なかなか面白いと思い、二つ返事でレーベルへの参加を了承した。
 
 
 
 
 
 

CDレコーダー

 
 
 
当時はCDレコーダーが出始めの頃で、自分のパソコンで比較的簡単にCD製作ができるようになると言う事は、ミュージシャンにとって大きな衝撃だった。
 
 
 
それまでは、ミュージシャンとして自分の音楽を売り出すのは、すでに活動している音楽レーベルに音源を送って、相手に認めれれる事が必要だった。
 
当然、相手次第で自分のやりたいことは制限されるし、相手が売れると判断しなければ、CDになる事はない。
 
 
 
その点、自主制作レーベルだと自分たち次第で、どんなアーティストのどんな曲をCDとして製作するか、自由に選ぶことができる。
 
その代わり、売れない場合の金銭的リスクは自分たちで追うことになるが。
 
そのリスクを減らす為には、出資者が多い方が良い。
 
 
 
そのような流れで、レーベル立ち上げに誘われた。
 
 
 
CDレコーダーは当時は9万円ほどした。
 
その高いCDレコーダーへのアクセス権が、一人頭3万円になると言う話。
 
 
 
 
 
 

レーベル運営

 
 
 
レーベルを始めるにあたり、レーベルの名前を決めようと言うことになり、皆で色々な案を出したが、僕の出した案の
 
FinderPop
 
と言う名前が採用された。
 
 
 
元になった名前は、僕が好んで使っていたマック用の機能拡張アプリの名前だ。
 
ファインダー画面でポップアップする機能拡張と言うことで、ファインダーポップ。
 
 
 
僕たちのレーベルにおいての意味は、
 
”自分たちなりのポップな音楽を探し出す者たち”
 
のような意味だ。
 
 
 
運営は発案者の二人組のバンドが担い、A君に相談して決定すると言う感じになって行った。
 
 
 
僕はレーベルの運営にも深く関わりたかったのだが、出資者であり所属ミュージシャンと言う立場に留め置かれた。
 
 
 
最初の話では一緒に立ち上げると言う話だったのに、物事が僕を省いて決定されていくことに、僕は不満を感じていた。
 
不満に感じていれば、そのことを伝えるなり話し合うなりすれば良かったのだが、年齢においてもバイトにおいてもミュージシャンとしても何年も先輩のレーベルメンバーに対して、強く発言する事はできなかった。
 
 
 
 
 
 

CDデビュー

 
 
 
彼らの決定により、僕のアルバムが一番最初に発売される事になった。
 
 
 
なぜ僕が一番最初なのかは分からないが、すでに曲が出来ていたと言うのも一つの理由だろう。
 
僕はReBirthと言うシンセサイザーとリズムマシーンが合わさった、パソコン上のソフトウェア・シンセサイザーで作曲していた。
 
メニューから”書き出し”をクリックすれば完成する。
 
 
 
他のメンバーは、バンドでの録音やアナログシンセの録音をしなければいけないので、もっと時間がかかっていた。
 
僕のアルバムは、四つ打ちのバスドラムを基礎に、TB-303と言うウネウネしたシンセ音が乗っかったテクノミュージックだ。
 
 
 
その後、何年も作曲活動を続けた身としては、当時の自分の曲は非常に幼稚で初歩的だと感じるのだが、当時は自己満足で悦に入っていた。
 
 
 
 
 
 
つづく。。。
 
 

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