クラウト・ロック
Gさんはミュージシャンだけあって音楽に詳しく、彼の最も得意とする分野が、ジャーマン・プログレやクラウト・ロックなどとも呼ばれる70年代ドイツのアンダーグラウンドなサイケデリック・ロック・シーンだった。
彼が神として崇めていたのが ”CAN” というバンドで、60年代に日本人の旅人がドイツの公園で奇声を発していたところを、ボーカルとしてスカウトされて結成したと言うバンド。
その先鋭的な音楽手法は今聞いても全く見劣りしない。
CANはすでに長い事活動を停止しているのだが、このタイミングでボーカルのダモ鈴木氏が期間限定で活動を再開し、Gさんたちはその初回ライブに参加してサインをもらい大はしゃぎしていた。
Gさんの影響で、このバイト先ではクラウト・ロック=誰も知らないけどかっこいい音楽と言う図式が成り立っており、僕もその影響を強く受けた。
クラウト・ロックの重鎮のFaustが再結成して、大阪までやってきた時にはライブを見に行ってきた。
かねてからの噂通り、度肝を抜くようなライブセットが展開されていて、音楽うんぬんと言う次元を超えて圧倒的な音の実体験を味合わされた。
ステージの真ん中には巨大な耕運機がセットされており、スポットライトを浴びた耕運機が重低音を響かせながら回転を始める事でショーが開かれる。
耕運機の繰り返される低い振動のリズムが観衆に伝わったところで、突如スポットライトに照らし出されたミュージシャンたちが耕運機のリズムに合わせて演奏を始める。
狭いライブハウスの中にある巨大な耕運機が重低音を回転させ、まるで洗濯機の中で掻き回されてようなトランス感覚に陥ってくる。
体に直に響く重たく強い振動と、そのリズムに見事に調和した演奏、狭いライブハウスでの集団催眠的な効果も合わさって、心地よい奇妙な一体感を感じていた。
曲の盛り上がりに合わせてステージから火花が飛び出す。
その火花の大きさが地下のライブハウスではありえないレベルの規模で、客席や天上へと届いていた。
消防法とかは大丈夫なのか?と言う思いと、そう行った規制を飛び超えるような勢いが、ライブをなお一層盛り上げていた。
僕は、ライブ体験での陶酔感による体の感覚の変化や、音楽が作り出すトランス体験の可能性に気づき、心底感動していた。
音楽的覚醒
Gさんとの出会いに影響されて僕の音楽的アンテナの受信感度が飛躍的に鋭くなって行った。
この頃に知ったのが、クラウト・ロックの音楽的影響の流れの一部がたどり着いた、ポスト・ロックやシカゴ音響派などと呼ばれるシカゴのアンダーグラウンドな前衛音楽シーンだった。
Tortoiseと言うバンドが代表的なバンドなのだが、彼らの音楽を聴くことにより、僕にある種の音楽的な変化が起こっていた。
彼らのセカンドアルバムに ”Millions Now Living Will Never Die”、意訳すれば ”永遠は今、いのちは続く” と言った感じの神秘的なタイトルのアルバムがある。
その楽曲を聴き、その良さを理解することにより、今まで何度聴いても何の良さも分からなかった音楽が、突然にイキイキと聞こえるようになってきたのだ。
それまでの僕は主にテクノやロックやパンクなどの、比較的にノリが良く若者にもとっつきやすい音楽ばかりを聴いていた。
友人の勧めにより、ジャズやクラシカルな音楽や味わい深いブルースや難解なテクノや実験的な音楽などを聴いてみたが、いまいちピンと来る事はなかった。
トータスのこのアルバムは、それらの音楽のエッセンスを集めて次の次元に持って言ったような楽曲で、トータスのジャズ的要素の入った曲を聴くことによりジャズを理解し、実験的な部分の面白さを知ることで、実験音楽を知って行った。
音楽的感性が臨界点を超えたため、難解な音楽ばかりでなく、全く興味のなかったポップスや歌謡曲などの魅力まで偏見なく理解するようになった。
それはあたかも音楽的覚醒が僕に起こったかのような体験で、この時期を機に好みの音楽の幅が20倍ほどに広がったように感じたし、音楽全体をより深く理解し、より強く繋がったように感じた。
今になって振り返ると、このトータスとの出会いが僕の音楽家人生のきっかけだったように思う。
兄と一緒に音楽を作り始めたことではなく、パソコンで自分で作曲し始めたことでもなく、音楽全般に対する深い理解と気づきが、音楽と真剣に向き合うきっかけをくれた。
つづく。。。