ヒマラヤの秋の話3(放浪記208)

 
 
 
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チロム道場

 

ゲストハウスの隣にあるチベタンレストランは、みんなの社交場兼大麻喫煙所になっていたが、ゲストハウスの地上階にあるチベタンレストランも同じような感じになっていた。

 

それぞれのオーナー同士はチベットからインドへ難民としてやってきて以来の親友で、若いときには外国人ヒッピーたちと、さんざんLSDでぶっ飛んで遊んでいた間柄だ。

 

こちらのレストランは、はチロム道場というあだ名で呼ばれ、ここへ来る客はより真剣にシヴァ派の遊行僧のようにチロムを吸っていた。

チロム道場のオーナーは、ある種の修行僧的な硬さと静けさを持っていたので、そういう雰囲気を好む人たちが集まっていた。

 

 

シヴァ派の旅人たち

 

インドを長年旅する人たちの中には、サドゥー(遊行僧)文化に傾倒する人も多く、外国人サドゥー文化とも言えるような独特の文化を作り上げていた。

 

彼らの多くがドレッドロックスと言うボブ・マーリィのような髪型をしており、ヒゲも一切剃らない。

それは、ありのままの自然そのものである自分自身を受け入れると言う意味でもあるし、レゲエのラスタ思想からの影響としては、首から上に刃物を当てない不殺生の思想でもある。

 

髪の毛の長さが、そのまま年季の長さを表していて、長いドレッドヘアーを腰まで垂らしている人は無条件で尊敬されたりする。

 

チロム道場には比較的硬派な旅人が集まり、静かな雰囲気の中でチロムを回していた。

 

チロムを回すには色々と作法があり、最初のうちは諸先輩がたから注意を受けたりもする。

僕は、そう言う堅苦しいのが嫌いで、あまりチロム道場には行かなかったが、バシシトに滞在しながらチロム文化を避けて通ることは不可能に近く、自然とその文化に馴染んでいった。

 

 

チロムの作法

 

チロムを吸うときにはいくつか作法があって、絶対的に守らなければならないことの一つが、チロムに直接に口をつけてはいけないと言うことだった。

陶器でできた筒状のチロムにサフィ(清浄と言う意味)と呼ばれる綿の布を水に湿らせた上で当てて、そのサフィの上から更に指で包み込み、指に口を当てて吸う。

 

それは、インド文化の他人が口を付けたものは穢れていると言う考えと同じことなのかも知れないし、それは元々宗教的な観念なのかも知れない。

チロム自体がシヴァ神の陰茎を象徴しているので、それに触れてはいけないと言う意味もあるだろうし、色々な菌が蔓延るインドでの衛生観念の延長上にできた文化でもあるだろう。

 
 
 
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