一冊のノート
ペルーの姉の家での極度の退屈な状況を、辛うじてマシにしてくれたのが一冊のノートだった。
僕は元々、日記や作文を書くのが苦手で、小学校の宿題の日記は宿題を提出したと認められる最低量の文字しか書かなかった。
作文の授業では言葉が何も浮かばず、作文用紙の隙間を埋めるのに苦労していた。
字が極端に下手で、漢字が全く覚えられず、文字を書くこと全体が嫌いで苦手だというのが理由の一つとしてある。
本を読むことが大好きだったくせに、何故か文字を書くことを毛嫌いしていた。
正体不明の嫌悪感。
そして、日記や作文が苦手なもっと大きな理由は、心が麻痺していてあまり感情を感じることができなかったことと、自分が心に思っている事を外側に表現することが苦手だったことがあった。
そんな僕が、一つの部屋に半軟禁されて、無限の時間を与えられ、他にやることが一切ない状態にハマったことで、心に秘め続けていた思いをノートに書き綴るようになった。
当時の僕はなぜか、心に思っている事を表現するのは恥ずかしいことだと思っていて、日記をつけるのも恥ずかしく思っていた。
だから、ノートを隠して、姉のいないときに書いていたし、このノートは一生誰の目にも触れさせないと誓った。
それまでの人生は、学校とエホバの証人の生活しかなく、自分の思いに向き合う時間は無かったし、また有ったとしても生きることが苦しすぎて、向き合うことができなかった。
生まれて初めて、自分に向き合うたくさんの時間と、周囲の雑念から完全に遮断された状況を得た。
そこに、今までの枠組みから抜け出た開放感とが合わさって、自然と自分に向き合うことができた。
書き綴るコンプレックス
ノートに書き綴って行くことで、自分が何を思っていて今後どうしたいのかなどが、うっすらと形を持ってきた。
出てきた想いは、自分の中にとんでもない量のコンプレックスがあったという事。
数々の多岐に渡るコンプレックス。
自分の持つ要素全てに対して、コンプレックスを持っていたんじゃないかと思う。
社会における主流の価値観の比較と言う文化に、侵されすぎていたんだと思う。
主に、外面的で物質的なコンプレックスだった。
当時は、まだ内面的なことには考えが至らなかった。
今、鑑みても納得できるようなコンプレックスもあったが、全く理にかなっていないコンプレックスもいっぱいあった。
僕は背が高く、178センチあるのだが、当時の僕はもっと背が高くなりたいと思っていた。
全くの謎。
なんでそんな事を思ってたのかは、記憶にない。
他には、胸にチョロっと胸毛が生えているのが気になっていて、将来お金をためて脱毛したいなどと思っていた。
後になって馬鹿げていると思えるような悩みでも、当時はそれなりに真剣に悩んでいたと思う。
胸毛を見られるのが嫌で、プールに入りたくないと言うのも高校を辞めた遠因になっている。
誰にも一言も話した事の無いような事を延々と綴っていて、自分を知るという意味では非常に有意義な時間だったと思う。
こういう状況でもなければ中々できるような事では無いし、この時期の僕にとって最も必要な事だったんだと思う。
普通の暮らしがしたい
他に改めて気づいたのが、僕はただ単にありきたりの普通の暮らしを望んでいるという事だった。
普通に父と母がいて、家族が仲良く、極端に貧しくもなく、変な宗教もしていない普通の家庭。
テレビを見たり、お出かけしたり、友達と日曜日に遊んだり。
高校生になれば、女の子と話したり、デートしたり、友達とカラオケに行ったりなど、極ありきたりの普通の生活。
普通の生活というのは、僕にとっては絶対に手が届かないもので、眩しく輝いていた。
普通のものを望むと言うことは、自分が普通よりも劣っていると感じていると言うことで、それが数々のコンプレックスにも繋がっていたんだと思う。
僕が12年間のエホバの証人の生活で失ったものは余りにも大きく、手に入れることはできなかったが、自分が望むものの形はうっすらと見えてきていた。
つづく。。。