バイデン政権に禁書にされたロシアの哲学者にタッカー・カールソン氏がインタビュー

皆さんこんにちは、Qリプトラベラーです。

 

 

先日にタッカー・カールソン氏がロシアの哲学者であるアレクサンダー・ドゥーガン氏にインタビューしていました。

この方は、その思想が危険だと判断されてバイデン政権から発禁処分を受けており、アメリカのアマゾンでは彼の本を買うことができません。

さらには、彼の娘は自動車爆弾によって殺害されました。

一体彼の何がそんなに危険なのか?

その思想をタッカー・カールソン氏が切り込んでいきます。

 

非常に興味深いインタビューになっているので最後までお読みください。

書き出しもとにした動画はこちらです。

 

 

 

 

(書き出しここから)

 

 

タッカー・カールソン氏(以下T):

 

 

アレクサンダー・ドゥーガンは62歳のロシアの学術的な哲学者です。

若い頃は反ソ反体制派で、モスクワで過ごしました。

今、彼はプーチンのブレーンとして英語圏の新聞では世界的に有名ですが、ここロシアでは政治家ではありません。

繰り返しますが、彼は哲学者です。

彼の思想は一部の人々にとって深く不快なものです。

2022年8月、彼の一人娘がモスクワで自動車爆弾により殺害されました。

アメリカの諜報機関は、彼女はウクライナ政府によって殺害されたと言っており、私たちはそれを額面通りに受け止めることにしています。

しかし興味深いのは、アレクサンダー・ドゥーガンは軍事指導者ではないということです。

プーチンの側近でもありません。

彼は大きな思想について書く作家です。

これにより、彼の著書はアメリカのバイデン政権によって発禁処分を受けています。

アメリカではアマゾンで買うことができません。

そこで書かれているアイデアが危険であるためアメリカでは禁書になっているのです。

彼はしばしば英語圏の報道機関で極右と評されます。

その真実はあなたが判断してください。

しかし、私たちは彼のアイデアについて話し合いたいと思いました。

彼の思想は、彼の一人娘がその思想のために殺害され、彼の著書が米国で発禁になったほど危険なものです。

そこで、彼にご登場いただくことになりました。

ドゥーガンさん、ありがとうございます。

 

 

 

アレクサンダー・ドゥーガン氏(以下A):

 

 

お招きいただきありがとうございます。

そして、モスクワへようこそ。

 

 

 

T:

 

 

もちろんです。

こちらこそありがとうございます。

私たちはカメラのないところで会話をしていました。

ただ、あなたに会ってみたかったのです。

しかし、あなたの話がとても興味深かったので、カメラを2台用意し、これらをまとめることにしました。

私の質問は、英語圏の国々で何が起こっているのか、アメリカ、カナダ、イギリス、ニュージーランド、オーストラリアなどの国が、ある時を境にして自分自身に対して反旗を翻しました。

あるいは少なくとも反旗を翻したように見えました。

非常に大きな混乱です。

一部の行動は非常に自滅的です。

これらはどこからやってきたのか、観察者としてのあなたはどう思われますか?

 

 

 

A:

 

 

私がそれをどのように見ているのか表現させてもらいます。

表現するには少しの情熱が必要とされます。

私はそれら全ては個人主義の台頭から始まったと考えています。

個人主義は人間の本質を誤って理解していたのです。

個人主義というものを人間の本質として認識する時に、全ての関係性を断ち切ってしまったのです。

特定の哲学的課題としての個人主義というものがあります。

アングロサクソンの世界のプロテスタント改革と名目主義から全てが始まりました。

それ以前には名目主義は個人主義についてなんの考えも持っていませんでした。

個人主義は、リベラリズムの鍵となるコンセプトとして据えられました。

私の見解では、リベラリズムとは、あらゆる種類の集団的アイデンティティから個人が解放される歴史的、文化的、政治的、哲学的プロセスです。

集合体から個人を解放するというものです。

それは帝国の集団的アイデンティティとしてのカトリック教会の再評価から始まりました。

その後には市民社会の意思を反映した、国家の集団的アイデンティティに対する反乱でした。

その後には、20世紀にリベラリズムと共産主義とファシズムの間で大きな戦いが起こりました。

そして、そこでもリベラリズムが再び勝利を納めます。

そして、ソビエト連邦の崩壊後にはリベラリズムだけが残りました。

フランシス・フクヤマはこの点について正しく指摘しています。

もはやそこにはリベラリズム以外のイデオロギーは存在していません。

それは集団的アイデンティティからの個人の解放を意味します。

そこには個人を解放する対象として2つの集合体だけがあります。

性の自意識、それは自意識の集合体です。

なぜならあなたは男性か女性だからで、そこから離れる対象となりえます。

性意識からの解放はトランスジェンダーやLGBTへと導きます。

そして新しい形の性の個人主義へと繋がります。

そうして性別は選択肢の一つとなったのです。

それは個人主義の脱線ではありませんでした。

それは、リベラル主義の推進と勝利において必須事項でした。

そして最後の段階は、人間意識からの解放です。

人間性の選択を意味します。

西洋社会では性別を選択するようになりました。

そして、リベラリズムの推進の最後の段階は、それは、人間であるか人間でないかが、個人のアイデンティティとしての選択肢になることを正確に意味しています。

そしてそれらはトランス・ヒューマニズムやポスト・ヒューマニズムなどの呼び名がついています。

クラウス・シュワブやクーツ・ワイルやハラリが公に宣言していますが、AIシンギュラリティがそれらを人類の避けられない未来にするとしています。

私たちは歴史的な最終地点に到着しました。

私たちは5世紀前にこの列車に乗り込み、とうとう終着駅に辿り着きました。

これらが私の見解です。

これらの全ての要素と側面が過去の伝統を断ち切るのです。

あなたはもはやプロテスタントでも、世俗的無神論者でも、唯物主義者でもありません。

あなたはもはやリベラル主義者を帝国から解放した国家でもありません。

今や国家は変わり目を迎え、解放されるべき障害物へと変貌します。

そして最終的にそれらは個人主義のために破壊されることになります。

性別は政治的な理由によりほぼ選択可能なものになりました。

リベラリズムの解放プロセスに最後に残されたステップは、人間としてのアイデンティティを放棄することだと書かれています。

人間であるということから自由になるということです。

人間であるかないかを選択するということです。

それが明日の政治イデオロギーのアジェンダです。

これが、アングロサクソンの世界をどう見るかというあなたの質問に対する回答です。

それは、世界を統合するための前衛なのだと思います。

このプロセスは、アングロサクソン、帝国主義、名目主義、プロテスタンティズムから始まりました。

アングロサクソン人は他のどのヨーロッパ人よりも自由主義に傾倒しています。

 

 

 

T:

 

 

あなたが述べていることが明らかに起こっていますし、それは恐ろしいことです。

しかしそれらは私の考えるリベラリズムの定義とは異なります。

私自身をアメリカの古典的リベラリズムと表現するものとは異なるのです。

私にとってはリベラリズムとは、奴隷制からの個人の解放を意味します。

私が育った環境でそれらの言葉が意味したのは、個人がそれぞれの良心に従い、それぞれの考えを発言できるということです。

あなたが戦ったソビエト連邦のような全体主義を内包した国家主義ではなく、国家に対して自分を守ることができる国家主義を意味しています。

殆どのアメリカ人が同じように考えていると思います。

それらとの違いは何でしょうか?

 

 

 

A:

 

 

非常に興味深い質問だと思います。

私が思うに、リベラリズムが2つの異なる定義を持つことが問題です。

そこにはアルト・リベラリズムと古典的リベラリズムと新リベラリズムがあります。

古典的リベラリズムは民主主義のためのものです。

個人の自由と人々の自由を統合した多数による合意の力だと理解される民主主義です。

現在においては、次のステージである新リベラリズムがあります。

それは今では、多数派のルールではありません。

それは少数派のルールなのです。

それらは個人の自由についてではありません。

それらはヲーク(覚醒)主義者たちのものです。

つまりあなたは極度に個人主義であるために、国家を批判するだけでなく、古典的な個人主義をも批判すべきなのです。

つまりあなたはあなた自身を個人主義から解放するために、さらにその方向に押し進めることに招かれているのです。

私はフランシス・フクヤマとテレビで対談しました。

彼は、以前は民主主義とは多数派の支配を意味していましたが、今は少数派が多数派を支配することだと言っています。

なぜなら多数派はヒトラーやプーチンを選択するからです。なので我々は多数派に注意を払う必要があります。

多数派はコントロールされる必要があり、少数派がルールを作るべきなのです。

多数派とはすでに民主主義ではなく、全体主義なのです。

そして今では、個人の自由を守ることは重要ではありません。

それは如何にヲーク(覚醒)させ、現代的で進歩的にするかということです。

それはあなたが進歩的であるかないかという権利についてではありません。

このアジェンダに従うためには、進歩的であることは義務なのです。

左派リベラルであることはあなたの自由です。

ですが、今では右派リベラルであることは十分ではなく、あなたは左派リベラルになるべきなのです。

それは義務でありルールなのです。

リベラリズムとはあらゆるルールに反対することでした。

それが今では全体主義的なルールに取って代わりました。

今までのように自由ではなく。。。

 

 

 

T:

 

 

あなたはそれらのプロセスは避けることができないとお考えですか?

 

 

 

 A:

 

 

私はここに一種の論理を感じます。つまり、単なる回帰や逸脱ではない一種の論理です。

まずは、個人を解放したいというところから始まります。

そして、それが実現したら、さらに先へと進むのです。

次には私たちは、より進歩的なコンセプトを支持して、個人に対する古い理解から解放し始めます。

ですから、ここで立ち止まることはできません。

これが私が見ているものです。

ですから、古い自由主義が好きだと言えば、進歩的な人たちは、それは古い自由主義のことではないと言うでしょう。

あなたは伝統主義、保守主義ファシズムの擁護者だと言うでしょう。

進歩的なリベラルになるか、そうでなければ私たちはあなたをキャンセルすると言うでしょう。

それが私が観察したことです。

 

 

 

T:

 

 

自称リベラルがあなたの本を出版禁止にしているのは事実です。

それは爆弾製造やウクライナ侵略のマニュアルではなく、哲学的な著作なのにです。

それは、どのような見地から見ても自由主義ではありません。

私は思うのですが、個人が全てのものから解放され切った時、

もはや人間ですらなくなった時、次のステップとはなんなのでしょうか?

 

 

 

A:

 

 

それらは数多くの映画の中で解説されています。

19世紀の古いSFのほとんどが、20年代の現実の中で実現されています。

SFほど現実的なものはないのです。

マトリックスやターミネーターを見ると、少なからず似たような未来のビジョンが見て取れます。

人間であるということが選択肢の一つになっていたり、AIが使われていたりします。

ハリウッドは、何本も何本も映画を作ってきました。

彼らは近未来を正確に描写してきました。

例えば、人間の本性を理性的で合理的な動物の一種であると考えた場合、

私たちの技術によって、理性的な動物を作り出したり、それらを組み合わせたりすることができます。

AIやニューラルネットワーク、巨大なデータベースなどの組み合わせは非常に強いもので、ある意味で世界の王者だということもできます。

それらは現実を変化させるだけでなく、現実を創り出すことができます。

なぜなら現実とは、単なるイメージであり、感覚であり、感情なのですから。

ですから、ポスト・ヒューマニズム的未来論は、非常に可能性の高い、ありそうな未来についての希少で一覧的な記述であるだけでなく、

政治的な具現化のようなものだと思います。

それは単なる想像上の物だけではありません。

そして事実として、映画では伝統的で明るい未来は描かれません。

私は西洋の未来映画で、たくさんの子供達がいるような伝統的な家族への回帰を描いた映画を一つも知りません。

全ては影を含んでおり暗いものです。

もしあなたが常日頃から暗い未来を描いていたら、

実際にそのような暗い未来が近づいた時には、他に選択の余地がありません。

マトリックスやAIやターミネーターなどです。

選択肢はすでに人類の持つ可能性から外れてしまうのです。

これは単なるファンタジーではなく、一種の政治的プロジェクトだと思います。

私たちは、進歩的アジェンダに沿った映画たちを見てきているので、それらのことを想像することが容易になっています。

 

 

 

T:

 

 

私はあなたにロシアの政治についての質問をしてきませんでしたし、これからも質問しません。

なぜなら、自身の住んでいない国についてのあなたの意見を聞くことが非常に興味深いからです。

私たちは外からの視点を得ることで叡智を得ることができると思います。

最後にお聞きしたいのは、私が気づいたこの現象をどう説明されますか?

70年以上にわたって西洋および米国のリベラルたちが、効果的にソビエトのシステムやスターリン主義を擁護し、そして多くが個人的にスターリン主義に参加し、スターリンのためにスパイ行為を行い、メディアを通してサポートしてきました。

2000年には、彼らはエリツィンを支持していました。

なぜならエリツィンは酔っ払いだからですが、2000年にロシアの大統領が変わると、ロシアは彼らの主要な敵になりました。

80年以上も擁護した後にロシアを憎むようになりました。

あれは一体なんだったのでしょう?

なぜ彼らは変わったのですか?

 

 

 

A:

 

 

私が思うに。。。

まず、プーチンは伝統的なリーダーだということです。

プーチンが権力を手にした時に、まず最初にしたのは、グローバルな影響からロシアを抽出することでした。

それゆえに彼はグローバルな進歩的アジェンダと敵対することになりました。

ソビエト連邦を支え続けてきたのは進歩主義者でした。

彼らが気がつくと進歩主義のアジェンダを支持しない国を相手にしていたのです。

伝統的価値観の国家主権を取り戻そうとし、成功した人たち、 キリスト教、伝統的な家族、、それは当初から、外から見て明らかではありませんでしたが、プーチンがこの伝統的なアジェンダをますます主張するようになったとき、ロシア文明の特殊性、進歩的な世界観と進歩主義のイデオロギーは、ほとんど類似性を持たなくなりました。

私が思うに、彼らは正確にプーチンが何者であるかを見出したのです。

彼は伝統的な価値観を守る政治的リーダーです。

つい1年前、プーチンは伝統的価値観の政治的擁護を宣言しました。

それがターニングポイントになったと言えるでしょう。

ですが、欧米の進歩主義者たちはプーチンのやり方を最初から正確に理解していました。

ですから、この憎しみはその場の気分によるものではありません。

それは深刻で形而上学的なものでした。

もしあなたが、伝統的な価値観、伝統的な家族、伝統的な国家を破壊することを主な任務、主な目標としているのであれば、小さくはない核兵器を持っている人と言い合っているのです。

伝統的価値観を守るために核兵器を持って強く立っている人を潰そうとしているのです。

彼らにはプーチンを嫌う基礎があるのです。

つまり、ソ連からロシアへの不合理な変化というだけではなく、もっと深いところにあるものだと思います。

 

 

 

T:

 

 

明らかに何か深いものです。

私たちは、あなたの考えをアメリカで英語で公開することが重要だと考えました。

なぜなら開かれた考え方を持つのが重要だと考えているからです。

その点においては私たちはリベラルなのでしょう。

お時間を割いていただき、ありがとうございました。

 

 

 

A:

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

(書き出しここまで)

 

 

如何でしたでしょうか?

 

 

僕はこのインタビューを見て結構な衝撃を受けました。

というのも僕自身が個人主義に深く傾倒しているからです。

子供の頃から集団行動が苦手で、大人になってもとことん一匹狼で世界中を放浪してきました。

今では友人たちが運営している農業コミュニティの隣に住んでいますが、コミュニティ自体には参加していません。

僕にとっては個人主義というのは、周りと違いすぎる自分の身を守るための鎧のようなものになっているのかもしれません。

 

だからこそ衝撃を受けて深く考えさせられるものがあり、翻訳して字幕をつけたいと思った次第です。

衝撃が深いので、しっかりと受け止めてゆっくりと消化していこうと思っています。

 

 

読者の皆様はどのように感じられたでしょうか?

コメントしてもらえると嬉しいです。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

僕は普段はWe The Mediaというアノン目線の速報ニュースメディアの日本語版まとめをやっています。

鋭い視点が興味深く、いつも勉強させてもらっています。

良い刺激になると思うので、一度目を通してみてください。

 

 

 

 

僕の執筆活動はこちらの【銀の購入代行】の利益で賄っています。

起こりうる経済危機に備えつつ、僕の活動を応援してもらえると嬉しいです。

 

 

 

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