テクノ熱
自分で『テクノミュージック』を作曲するようになってから、自分の中のテクノ熱が加速して行った。
おそらく、このブログを読んでくれている人の殆どは、テクノを聞かないと思うんだけどテクノ、中でも四つ打ちのテクノは音楽として楽しむためには、かなり特殊な感性を必要とする。
多くの場合ロックやポップスを聞き慣れた耳で聞くと、全く面白みのないただの機械音になってしまう。
じゃあ、楽しむためにはどうすれば良いかというと、ほとんどの四つ打ちのテクノは、ダンスミュージックとして創られているので、耳で聞くだけではなく腰でグルーヴに乗らなければいけない。
言葉で言っても、なかなか伝わるものでもないし、頭で理解することで良さがわかるようなものでもない。
わかる人には感覚で伝わるし、わからない人にはわからないもの。
特殊なタイプの音楽というのは、大体そういうものだが。
当時の僕のヒット曲は『HardFloorのHome Run』という曲だった。
Youtubeビデオ
贔屓にしていたテレビ『Bros』という面白い寄稿者が集まっている雑誌で、寄稿者ランキングで、断トツの一位を取っていたので買ってみたのだが、最初の一週間くらいは聴いていてもよく分からなかった。
それが突然、天啓が降りてきたようにテクノの面白さを理解して、それ以降テクノにハマり自分で作曲するようになってさらにハマっていった。
クラブ
テクノにハマり始めた僕は、最先端のテクノシーンを追いかけるためにクラブに行くようになった。
ここでいうクラブとは、学校でやる野球部やサッカー部のクラブ活動ではなく、夜の街でお姉ちゃんとお酒を飲むクラブでもなく、共通の趣味を持つ人が集まるようなクラブでもない。
ディスコというのが近い表現だが、ナンパ目的ではなくパーティーピープルでもなく、テクノマニアが集まって黙々と一晩中、踊っているような感じだった。
一人暮らしを始めても相変わらず兄以外に友達のいない僕は、毎週毎週一人でクラブに通った。
一年前にペルーでのホームパーティーに誘われて、恥ずかしがりながら踊ったことを思えば、たった1年でものすごい変化があった。
夜11時頃から朝6時頃まで、恥ずかしがりもせずにスピーカー前で、ただひたすら踊っていた。
僕がよく行っていたのは『ミニマルテクノ』や『ドラムンベース』などの音楽のジャンルで、黙々と踊り続けるのに適した音楽。
クラブに行っても人と会話したり、仲良くなったりすることは一度もなかった。
純粋に音を全身に浴びて一体化し踊り続けていた。
テクノ友達
ツタヤの深夜バイト組の一人に、テクノミュージシャンのA君がいた。
僕のテクノ熱が高じるに連れて、共通の話題が多くなっていき、作曲用の機材やソフトの話などにおよび、有名アーティストが海外から来るときは、一緒にクラブに行ったりするようになった。
まともに友達ができて、バイトで時間を過ごす以外にも一緒に遊びに行くなど、実に5年ぶりくらいの話だった。
音楽の”人を結びつける力”は偉大である。
テクノを作曲する人の殆どがそうなのだが、彼も例に漏れず僕と同じで内向的でオタクな性格だった。
クラブで踊っているような人たちは、パーティーピープルで社交的で明るいバカが多いような一般的なイメージだけど、お国柄や曲のジャンルや曲調によって客層は大きく変わって来る。
特に日本のテクノシーンは、お国柄なのかオタク気質がとりわけ強いように思う。
そんな日本の『オタクテクノシーン』を代表するような僕たちは、海外のリアルな本場のテクノシーンに興味を持つようになって行った。
折しもバイト仲間のうちで、東南アジアへのバックパッカー旅行が流行っていた時期。
僕たちはタイへ旅行に行って、海外の野外テクノイベントに参加する事を計画し始めた。
つづく。。。