放浪記063

西成での文化人生活の話18(放浪記063)

実家への引っ越し

 
 
 
旅立つ前の準備として、西成での一人暮らしを完全に終えて、実家へ引っ越した。
 
 
 
旅行から帰ってきたら、またもう一度この街に戻ってきて、バイト先の友人たちに会いに行こうと思っている。
 
レーベルとしての活動は続けるつもりだし、実家からそう遠いわけでも無いので、実家から都会的な活動ができるはずだ。
 
 
 
実家への引っ越しは、実家からの引っ越しと同じく簡単なものだった。
 
いらない家具類を粗大ゴミに出して、残りは実家へはこぶ。
 
増えたのは多少の服と大量の本とレコードとCDとMDだった。
 
それでも、ダンボール箱数箱で収まった。
 
 
 
今回の引っ越しは兄が手伝ってくれた。
 
実家のベランダに僕の荷物を運び、プラスチックの大きな箱に荷物を詰めた。
 
 
 
これで、しばらく日本を離れるが、僕の荷物は邪魔にはならない。
 
 
 
 
 
 

実家に滞在

 
 
 
旅に出る前に数日実家へ滞在した。
 
 
 
中国やインドで何かあったら、もう二度と会えないかも知れないと言うことで、親戚にも挨拶回りをした。
 
幸いにも親戚一同の家は実家から自転車で行ける範囲なので、楽だった。
 
みんなもう二度と僕の顔を見れないかの様な対応。
 
 
 
当時はなんて大げさな親戚たちだ、と思っていたが、今になって思えば彼らの心配はよくわかる。
 
確かに、日本語以外の言葉を話せないのに、十代で一人で中国とインドに行くのはかなりのチャレンジだ、何が有ってもおかしく無い。
 
 
 
 
 
 

中国へ行く理由

 
 
 
インドへ行きたいのに、なぜ直接にインドへ行かずに中国へ行くのかにはいくつか理由があった。
 
 
 
理由の一つは、旅費が安いこと。
 
飛行機を使わずに船で中国に行くのは、格安航空券などが一般的では無かった当時では、最安の旅行手段だった。
 
そして、船と陸路だけで旅するなんて最高にカッコいいと思っていた。
 
 
 
自称アーティストの僕にとって、カッコいいことや、面白いことは何よりも重要なことだった。
 
 
 
もう一つの理由は、大阪という都会で育ち、エホバの証人の家庭と言う規則でガチガチの世界で育った身として、真のカオスを経験してみたかったと言うこと。
 
アジアのカオスと言えば、僕にとっては中国とインドがイメージ上のカオス2大巨頭だった。
 
西成の暮らしは、かなりのカオスだが、これらの国と比べられるような物でもない。
 
 
 
未知、未開、第三世界、発展途上国、共産主義の混沌と資本主義の混沌、そんなイメージ上の厨二病的なファンタジーを満たしてくれるのが中国とインドだった。
 
 
 
僕は、人の手によって作り上げられた秩序よりも、人の手の及ばない混沌の中にこそ、真に価値のあるものがあるんじゃ無いかと考えていた。
 
真のカオスを自分の目で見て体験してみたい。
 
僕にとってカオスとは最も好奇心をそそるものだった。
 
 
 
 
 
 

言葉の壁

 
 
 
だが中国を選んだ、一番の理由は言葉の問題だった。
 
 
 
僕は中学校の英語のテストで1点をとった事があるほど、英語が苦手だった。
 
その後、勉強してテストで70点くらいまで取れるようになったが、英語が話せないのには何も変わりはない。
 
タイ旅行に行った時は数字とハウマッチ、サンキュー、くらいの英語力だった。
 
現地の人も同程度なので、それはそれで良かったが。
 
 
 
中国ではインドと違って英語は通じない。
 
どうせ英語は話せないので、そっちの方が逆に都合がいい。
 
だが利点として、僕も中国人も漢字の読み書きができる。
 
店の看板に何が書かれているか読む事ができるし、レストランではメニューの概要を知る事ができる。
 
伝えたい事がある時は、紙に漢字を書く事で伝えることもできる。
 
 
 
英語と同じく、漢字の書き取りも最低レベルだったが、それでも自分の生まれ育った国の言語なので、英語よりかは遥かにマシ。
 
漢字で会話して旅に慣れていけば、インドに着く頃には、なんとかなるんじゃないかと言う考えだった。
 
 
 
 
 
 
つづく。。。
 
 

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