サハラ砂漠のオアシスで共同生活する話31(放浪記419)

 

(この記事は、下記の日付にnote.comへと投稿したものをこのサイトで再投稿したものです。)

 

2021年4月24日の手記

 

前回の記事でガンドルフさんへの感謝を散々述べたことには理由がある。

 

実は、今日ものすごく久しぶりにガンドルフさんのFacebookを開いたのだ。

 

ガンドルフさんのことを毎日のように書いているので懐かしくなったというのもあるし、近々モロッコに旅行に行きたいな、などと考えていたので、モロッコに行く暁には是非ともまたガンドルフさんに会いたいと考えていた。

 

そんなこともあり、ガンドルフさんのFacebookを開いたのだが、なんと、驚いたことにガンドルフさんは一ヶ月前に亡くなっていたのだ。

 

 

それは、モロッコのフェスティバルの顛末を書いた記事を投稿している頃のことで、まさに僕の意識がガンドルフさんに向いている時。

 

当たり前だが、僕は大きなショックを受けている。

失ってみて初めてわかるありがたさがあると言うが、その言葉の重みを重々と感じている。

 

僕がガンドルフさんと共に時間を過ごしたのは、2000年末から2001年初頭にかけて。

 

それから10年以上経った時にFacebookで繋がりを得た。

 

僕は嬉しかったのだが、少しシャイな気持ちがあったのと、Facebookでのオンラインの繋がりよりもオフラインの現実の繋がりを大事にしようと考えていたことから、ガンドルフさんと大した会話をすることはなかった。

 

20年前に英語を話せなくて、会話をできなかったのだから、10年前に英語を話せるようになったときにもっと会話をすれば良かったのにと思う。

だが、おそらくシャイな気持ちが大きかったのだと思う、いまいちコミュニケーションを取らずに今まで来てしまった。

 

そして、つい数時間前にFacebookを見てショックを受けたと言うわけだ。

 

今さっき、お香を焚き、彼の魂を送り出すセレモニーを自分で行い、その存在への感謝を捧げ、彼の意思を引き継ぐ決意をしたことで、気持ちは落ち着いている。

 

彼の魂は僕の心の中で生き続けることを再確認したことで、この人生をしっかりと生きる意思を新たにしたような感覚もある。

 

兎にも角にもガンドルフさんは僕にとって非常に大きな存在だった。

これからも良い影響を受け続けていきたいと思う。

 

(次回はまた放浪記の続きに戻ります。)

 

 
 
 

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