放浪記061

西成での文化人生活の話16(放浪記061)

一人暮らし終了

 
 
 
インド旅行へ行く決意をしてからは、順調に準備が進んでいった。
 
 
 
バイト先へバイトを辞めることを伝えた。
 
 
 
ツタヤでは不真面目でやる気のない接客が店長から嫌われていて、常々、
 
”そんなにやる気がないなら辞めてしまえ”
 
と言われていたので、快く辞表を受け取ってもらえた。
 
 
 
仕事がしたいわけではなく、映画を見たかっただけなので、しつこく仕事を続けていたので、僕が辞めることは店長には朗報だったと思う。
 
多分、店長は深夜バイト組の全員に辞めて欲しかったと思う。
 
 
 
バイト仲間たちは、僕の旅路を喜んでくれた。
 
お前なら何とかなるだろうから、精一杯楽しんで来い、と。
 
 
 
百人以上いるツタヤバイトの中で常に最年少だったので、軽く見られていたように思うが、旅に出ると言う決意をしたことで、認められたように思えた。
 
 
 
もう一つの小さなビデオ屋では、ありがたいことに僕が辞めるのを惜しんでくれて、いつでも戻って来いと言ってくれた。
 
ただ、このビデオ屋は君が戻って来た時にはもう無いかもしれないけどね、という言い訳と共にだったが。
 
 
 
住んでいたマンションの管理人のおばちゃんにも連絡した。
 
このおばちゃんは僕と同じくらいの歳の息子がいるらしく、色々と親身に優しくしてくれた。
 
唯一挨拶するご近所さんだった。
 
 
 
関西の賃貸のシステムで、借りる時に保証金といって家賃2ヶ月分を余分に支払い、部屋が綺麗なままなら全額が帰ってくるというものがある。
 
ただし、このお金は部屋を返却した後にしばらくしないと返ってこない。
 
管理人のおばちゃんに、これからインド旅行に行くという事情を説明し、保証金の返還分を特定の口座に振り込んでもらえるように頼んだ。
 
 
 
それぞれのバイト先の給料も同じで、まだ貰うことはできない。
 
 
 
 
 
 

1998年のお金

 
 
 
僕が旅に出たのは1998年7月のこと。
 
当時のコンピューター環境は今とは比べ物にならない。
 
 
 
ホットメールなどのWebメールの存在は知らなかったし、Gメールが出てくる前の話。
 
家族の誰もインターネットは使っていなかったし、Eメール自体も使っていなかった。
 
 
 
当然、オンラインバンクなどもなかったので、お金を後日受け取ってそれをインドで使うには、ちょっとしたトリックが必要だった。
 
 
 
調べたところ、インドに旅行する際に有効に使えるのはシティバンクが発行するトラベラーズカード(名前忘れた)というデビットカードのようなものがあった。
 
インド各地の大都市にあるシティバンクの支店か系列店に行けば、そこにあるATMからお金を下すことができる。
 
 
 
今では、銀行口座に付属しているVISAやマスターのカードで気軽に街のATMからお金を引き出すことができるが、当時はデビットカードは無かったように思うし、フリーターはクレジットカードを作ることができなかった。
 
 
 
母に自分の銀行口座のカードを渡し、バイト先から給料が振り込まれたり、保証金が返って来たら、自分のトラベラーズカードの口座に振り込んでくれと頼んでおいた。
 
 
 
手元にあるお金は8万円ほど。
 
一部を日本円、一部をアメリカドル、一部をアメリカドルのトラベラーズチェックで持つことにした。
 
 
 
トラベラーチェックと言うのは、当時の銀行が発行していた旅行者用の小切手で、発行手数料がかかるものの、紛失時に再発行することができるので、旅行者には都合が良かった。
 
世界中の両替所で現金よりもいいレートで交換することが出来るのも魅力の一つだ。
 
 
 
給料と保証金がいくら入るのかは分からなかったが、まあ、なんとかなるだろうと考えていた。
 
ペルーに行ったことやタイへ旅行したことで、何とかなると言うことが体感として理解していた。
 
 
 
 
 
 
つづく。。。
 
 

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