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放浪記051

西成での文化人生活の話6(放浪記051)

思想

 
 
 
兄との音楽ユニットのアイデアはどんどんと進化していき、反著作権主義の思想を込めて活動する、テープコラージュを使った実験音楽家という体裁になって行った。
 
実際には真剣な思想を持っていたわけではないが、そういう設定にすることを楽しんでいた。
 
 
 
1997年当時は著作権がメディア業界を牛耳っていた最盛期で、全ての音楽、映画、本などの著作権はきっちりと管理されていて、高いお金を払わなければ著作物に触れることはできなかった。
 
インターネットも発達しておらず、ユーチューブが生まれる8年前だったので、映像に無料でアクセスする方法は皆無に近かった。
 
唯一の例外が図書館とレンタルビデオ屋だったので、僕はビデオやでバイトし、図書館に通っていたと言うわけだ。
 
 
 
そんな著作権協会に管理され、自由に芸術に触れられない状況に辟易していた僕たちは、著作権法のバカらしさを世間に気づかせたかった。
 
著作権に保護された音楽だけで曲を作ることで、誰が作っただとか誰の利益だとかそういう人間社会のしがらみを超えたところにある、音楽の本質を描き出すことができると考えていた。
 
 
 
音楽の限界とは何なのか?
 
これは音楽でこれは音楽ではないという境目は何なのか?
 
 
 
僕たちは色々な音楽から影響を受けていたが、実験音楽家のジョン・ケージの思想からの影響はとりわけ大きかった。
 
彼の最も有名な曲で4分33秒という曲があるのだけど、これは4分33秒間の無音を録音した楽曲。
 
 
彼は、こういった完全無音の楽曲を表現することで、音楽に対する概念を破壊することに成功しており、彼から影響を受けた僕たちにとっては全ての音と全ての無音が音楽だった。
 
 
 
 
 
 

スタイル

 
 
 
音楽概念から自由になった思想は僕たちの創作活動の自由さを後押しした。
 
 
 
僕たちは音楽の限界に挑戦するために、踊らせないことに焦点を絞ったダンスミュージックや、テレビのバラエティ番組のやりとりなどの全く音楽的ではない音を利用して音楽を作ったりなど、既存の価値観を壊すような音楽を作ることを楽しんでいた。
 
如何に馬鹿らしく、無意味でありながらも、何らかの熱意が隠れている。そんな訳の分からないものを目指していた。
 
 
 
既存の価値から抜け出すことを目標にした僕たちにも一応好みの音楽スタイルがあって、ありとあらゆる音楽スタイルを受け入れながらも、ブラックミュージックであるファンクとエレクトロを基礎に音楽を組み立てるようにしていた。
 
テープ・コラージュという実験的な土壌とファンクやエレクトロなどの体の感覚に根ざしたグルーヴィーな音楽の組み合わせが面白いんじゃないかと思ったのだ。
 
 
 
反著作権主義の実験的なファンク・エレクトロ・テープ・コラージュ・ユニットこそが僕たちだった。
 
 
 
 
この曲は僕たち泉北コミュニティの代表曲の一つの泉北呂寿司と言う曲
 
造り手の意図を理解しながら聞いたら、結構面白いと思うので、興味のある方は聞いてください。
 
 
 
聴きどころは、
 
如何に古今東西の音楽からツギハギした音が調和して全く別の音楽になっているかという事と、
 
後半に入ってくる ”ダウンタウンのガキの使いやあらへんで” のスタッフが女優の山田まりやに髪の毛を短く切ったことに対して批判すると言うわけの分からない言動が、全て音楽として一体化する
 
と言う不思議な感覚です。
 
 
 
一つ一つの音色や曲名に対して色々な細かい設定やこだわりが沢山あるのだけど、書いていくとキリがなく、あまりにも自己満足的な記事になってしまうので、ここらでやめておきます。
 
 
 
 
 
 
つづく。。。
 
 

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