エホバの証人とは
この世界はエホバ神が作り、預言者たちに聖書を書かせて真理を人々に伝えた。
神は人々を楽園へ連れて行くか、地獄へ落とすか試すためにこの世界を与えた。
神の真の信者であれば、ハルマゲドンを生き延びて地上の楽園で永遠の命を享受することができる。
その為には神が聖書で定めた法をしっかりと守らなくてはいけない。
その為には聖書を間違いなく解釈しなければいけない。
だから、この腐った世界で唯一、欲望に惑わされず聖書を正しく解釈しているエホバの証人の教義を信じなさい。
他の聖書解釈や宗教や思想は全て悪魔サタンがあなたたちを惑わすために作り出したものです。
惑わされないようにエホバの証人の協会が発行する書物以外の情報はしっかりと遮断し、正しい志を持って真理の道を歩みなさい。
信じて楽園に行くか、信じずにハルマゲドンで滅ぼされるかの二択、選択を間違えないように。。。
母の選択
僕の母は真の神の言葉を信じて楽園に行くことを選択した。
それは母の考えうる選択肢の中で最高の物で、母が心から信頼する母の姉と共に信仰の道を歩み続けると言う安心できる選択でもあった。
以降、母は己の全人生をエホバの証人として、真の神の御技を証する者として生きることになる。
母は、工場で働きながら、二人の子供を父からの養育費をもらわずに育て上げ、生活を切り詰めて宗教団体に寄付し、出来る限りの時間をエホバの証人としての活動に注いだ。
あまりにも貧しく、食費がなくて、パン屋さんから廃棄処分のパンの端をもらって生活していた時期もある。
苦しい時期がほとんどだったが、母は、神の愛を身近に感じ、日々祈り、宗教のおかげで自我崩壊せずに生き延びることができた。
周りのエホバの証人の人達も優しい人が多く、みんな真理を知った喜びで輝いていた。
母はなんの迷いもなく、エホバの証人の道を邁進し、幸せな日々を送っていた。
愛の鞭
自らの意思でエホバの証人になる事を選んだ大人たちは幸せな人が多かったが、その反面、親に無理やり連れられる子供達は地獄のような日々を過ごしていた。
親の信じる規則によって子供の人生が規制される。
聖書に則った教えの一つとして愛の鞭が推奨されていた。
子は親に従うべきで、親に逆らう子は鞭によって懲らしめを受けるべきだと言う。
週3回の集会では1時間以上じっとしていなくてはならず、逆らうとトイレに連れて行かれて鞭でお尻を叩かれる。
それは手でお尻ペンペンされるような生易しいものではなくて、車のエンジンに使われるゴムのベルトに、持ち手を付けて叩きやすくした手作りの鞭でミミズ腫れが出来るまで叩かれていた。
集会中にトイレから幼児の泣きわめく声が聞こえるのは日常茶飯事だ。
ネクタイ
エホバの証人の子供達にとって鞭よりも、もっと辛いのが、同級生から白い目で見られることだった。
小学生なのに背広を着てネクタイをし、近所の家々をノックして聖書の教えを伝える活動を想像してみて欲しい。
僕たちの間では、ネクタイをしている姿を同級生に見られることが最大の恥辱で、それを避ける為に全力を尽くした。
家に帰る途中でネクタイを外したり、寒くなくてもコートをきたりして誤魔化していた。
僕たちにとってのそれは、学校でウンコしているのがバレるよりも恥ずかしいことだった。
同級生も、僕の家庭が何かおかしなことになっている事に気づいていたが、僕は誤魔化し、嘘をつき、よく分からないふりをしてやり過ごした。
歯磨き
うちの母は、よく言えば熱心、悪く言えば妄信的な側面を持っていて、宗教の言うことを無条件に信じきっていた。
楽園信仰がその一つで、そう遠くない未来に世界の終わりが来て、全ての病気が治り、永遠に生きることができるので、学校で勉強する必要も、虫歯を治療する必要もないと考えていた。
だから、勉強しろと言われたことは一度もないし、歯磨きしろと言われたこともなかった。
そう。小学生の時は歯磨きしろと言われず、母も僕の歯を磨いてくれるわけでもなかったので、何ヶ月も歯を磨くこともなく、歯垢が歯の上に積み重なり、爪でこすると爪の間に歯垢が溜まるような酷い状態だった。
歯を磨くのは学校で歯科検診のある当日の朝だけ。もちろん検診結果は虫歯だらけ。
小学校高学年になって自分で歯を磨くようになるまでは、そんな感じだった。
批判しないで
ここまで書くと”最悪じゃん”なんて思うかも知れないけど、一方的な悪い判断をしないでほしい。
何事にも良い面と悪い面があって、母やその他大勢の信者には良い面が作用し、その子供達には悪い面が作用したと言うだけの話。
このような極端な宗教に逃げるしか精神衛生を保つ方法がなかった人たちも居ると言うことを理解してほしい。
少なくとも僕は今では起こった全てのことに対して感謝しか感じていないし、恨みも怒りもありません。
つづく。。。