レアな体験
この12年間エホバの証人の子供として育つ実体験レポートは、僕が大人になってから経験する様々な冒険に匹敵するほどレアな体験なので、もう少し詳細に書いていきたい。
くれぐれも、批判や否定に囚われないように注意して、どこかの未開の部族に潜入体験したレポートを読むような、人類学的な観点でみてほしい。
エホバの証人の詳細について興味がなかったら次の記事、社会の厳しさに向き合う小学生時代の話1(放浪記005)へどうぞ。
エホバの証人の生態
今はどうなのかは分からないが、僕がエホバの証人をやっていた30年ほど前の話では、信者数は日本全国で10万人居た。
おそらく割増計算してるだろうが、それでも人知れず結構な人数がいたのは事実だと思う。
世界規模の組織で、各国、各地域に支部があり、地域も細かく区分けされていた。
一番小さい単位を ”群れ”(むれ)と呼び、十五人くらい。
群れがいくつか集まり100人前後の ”会衆”(かいしゅう)を作り上げていた。
火曜日の集会
毎週火曜日の夜(会衆によって日時は違う)に、家から歩いて数分の個人宅に”群れ”で集まり、”集会” を開いていた。
我が家が集会の場所になっていた事もある。
集会に行く前には白いワイシャツとスラックスと言う正装に着替えて出向く。
数分の ”お祈り” から始まり、1時間の間、”協会”(教会ではない)の出版物を研究する。
質疑応答が繰り返されて、予習してきたことを挙手して回答する。その行為を”注解”と呼んでいた。
子供達は手を挙げて ”注解” することを推奨され、正解するとほめられる。
最後にもう一度 ”お祈り” し、集会をとじる。
ごく稀に集会の後には ”交わり” と呼ばれる他の ”兄弟姉妹たち” との社交があった。
お茶を飲んだり、お菓子を食べたり。
木曜日の集会
毎週木曜日には家から自転車で10分ほどのところにある ”王国会館” で100人前後の ”会衆” 全員が集まって ”集会” を開く。
木曜日は ”賛美の歌” で始まる。
綺麗な旋律と信仰を鼓舞するような歌詞の歌。
曲は世界中一緒で、各国により適切な翻訳が与えられる。
2時間ほど協会の出版物を研究して、最後にまた ”賛美の歌” を唄い、祈りで閉じる。
そのあとは30分ほど ”会衆” の ”兄弟姉妹たち” と ”交わり” をして帰宅。
毎週日曜日の昼間の集会は木曜日のものと似たような感じだった。
エホバの証人の間では、この集会に参加することが最重要視されていて、旅行などの予定はこの集会を妨げない範囲で行われる。
うちの家は極貧だったので旅行に行くことなどはなかったが、毎週日曜日に集会があるので、週末を楽しむなんて言う感覚が元々存在しなかった。
奉仕
こういった集会とは別に ”奉仕” と呼ばれる家々への訪問活動も積極的に行われていた。
悪魔に惑わされた ”迷える子羊”(一般市民)を救うために遣わされた、”神の従順なる僕”(しもべ)として ”奉仕活動” は重要な行為の一つだった。
もし私たちが神の真理を伝えなければ、私たちの隣人は悪魔に騙され続け、”地上の楽園” で永遠に生きる機会を失ってしまうでしょう。
隣人への愛の為に救ってあげましょう。。。
この ”奉仕” は毎日、朝の9時から昼の12時の3時間。
週一とかじゃなくて毎日。
数人が地域内の特定の待ち合わせ場所に集まり、詳細な地図を元に各家を訪問して行く。
誰が興味を示しているとか、誰が怒っているとか、どの家には多く訪問しているとかの情報が事細かく共有されていた。
僕たちは正装して集まり、歩きながら家々を訪問し、真理を伝えて歩いた。
実際問題、訪問者の言葉を信じてエホバの証人になるひとはごく稀で、うちの会衆では1年に二人くらいの割合だったので、奉仕者の何千時間もの訪問活動は徒労に終わっていた。
あるいは何千時間かけてでも一人を救えれば良いという大きな愛かもしれない。
この集会と奉仕を軸にしてエホバの証人の活動は進展して行く。
真面目に活動している人は集会と奉仕、その準備のスケジュールで日常生活の空き時間を全て埋めるので、他の事に費やす時間は殆どない。
結構な修行と言える。
他にも地域中のエホバの証人が集まる地域大会や国際大会の話、階級制度の話などもあるのだが、キリがないので、ここら辺でエホバの証人の話は終わりにして、次回からは本筋に戻りたいと思う。
つづく。。。