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放浪記005

社会の厳しさに向き合う小学生時代の話1(放浪記005)

小学校入学

 

小学校入学までは、家庭問題や宗教生活など色々なことがあったが、僕自身はしっかりと守られていて特に辛い事などなかった。

 

社会の厳しさに初めて向き合ったのは小学校に入ってからだ。

 

生まれて初めて、自分に危害を加えるいじめっ子と言う存在に出会った。

 

それまでは優しい環境で育てられると同時に、愛の鞭で反抗心を抑圧されて来た僕はいじめっ子にとって格好の餌食だった。

 

 

今思えば、そんなに大したことはされていなくて、意地悪な小学生に嫌がらせされたって程度なんだけど、元々おとなしい僕の性格をより一層内向的にさせるにはそれで十分だった。

 

休み時間には教室で一人で本を読んでいるような子供。

 

学校の先生からは、頭の良さを驚かれつつも協調性がないと言われていた。

 

 

運動音痴

 

小学校に行って比較という文化に触れてから、自分が運動が苦手なのだということを知った。

 

それまで運動といった運動をしたことがなかったので、当然といえば当然なのかも知れない。

 

 

僕以外の小学生はみんな日曜の昼間にソフトボールを練習して運動能力を育てるんだけど、僕は日曜日はエホバの証人の集会に行かなくてはいけないので、ソフトボールの練習に参加することが出来なかった。

 

極端な苦手意識ゆえに本当は自分は運動が苦手なんじゃなくて、運動が好きじゃないんだと思い込むようになった。

 

好きじゃないので、全ての運動を避けるようになり、運動能力が発達せず、運動音痴という思い込みに拍車をかけていた。

 

 

この、自分が運動が苦手だという思い込みは僕の人格形成に大きな影響を与えた。

 

運動が苦手、頭がいい、抑圧された性格、内向的、協調性や社交性がない、エホバの証人や離婚家庭というバックグラウンド。

 

思い込みも含めてこういった要素が重なり、クラスでは立場が弱く大人しい異端児になっていった。

 

 

 

エホバの証人としての規制

 

エホバの証人の子供として小学生時代を過ごすのはかなりハードコアな苦行で、僕は一生分の苦行を子供時代に終わらせたと感じている。

 

学校から帰ると、火曜日と木曜日の夜は集会に行き、土曜日の午後は奉仕に行き、日曜日は奉仕と集会。

 

遊べるのは月水金の放課後だけだった。

 

 

遊び時間が少ないのは子供にとって辛いのは当然だが、もっと辛いのは見る事の出来ないテレビがある事だ。

 

当時はビデオとかもなかったので、リアルタイムでテレビをみるしかなかったが、集会に行っている最中に放映しているアニメなどはみることが出来ない。

 

他にも暴力的な描写のあるアニメなどは禁止されていたので、小学生男子の会話についていけないことが多かった。

 

ここでも性格を歪ませていて、自分はテレビを見れないのではなくて、テレビに興味がないだけだと自分を納得させていた。

 

当時は見たいのに見れない事に不満を覚えていたが、今では暴力的なテレビ番組から遠ざけてくれた母に深く感謝している。

 

暴力的要素を排除した小学生男子の生活は辛いが、暴力的要素をあまり受け取らずに育った大人としては、これで良かったと思う。

 

 

いじめ

 

それでも僕の中に内在していた暴力性は消えたわけではなく、いじめっ子に抵抗することに使われず、さらに弱いものを虐めるという形で出ていた。

 

僕は知的障害のある子供に対して、陰湿な嫌がらせをしていた。

 

 

今になって思うと、ピラミッド社会の縮図が小学生の社会にも見事に現れていた。

 

喧嘩の強い子や人気者が上位に行き、下に行くほど弱く搾取される立場。

 

下の者はさらに下から搾取。

 

ここでいう搾取は物質的なものではなくて精神的、エネルギー的なもの。

 

僕がしていたことも、されていたこともどちらも本当に些細な小学生の嫌がらせ。

 

ニュースで見るような暴力事件とは程遠かったが、それでもそこには明らかな上下関係があってパワーハラスメントがあった。

 

そんな階級社会の中で、僕の人生は最下層に位置していた。

 

 

 

つづく。。。

 

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