石垣島でキャンプする話10(放浪記520)

 

キビ刈り

 

 

サトウキビを刈る仕事は2月ころから始まる。

 

 

一月の半ばにはB君が隣島の島でのキビ刈りの仕事を見つけてきた。

明るい性格で人懐っこいB君は石垣島で出会ったあらゆる人たちと会話をして、情報を聞きつけたらしい。

 

 

B君のコネを通して僕もキビ刈りの仕事にありつくことができた。

勤務地は隣の竹富島で、1日8時間労働で日給五千円、寮と食事は無料。

厳しい仕事の割には安い給料だが、風来坊の旅人達にとっては食住付きの仕事があるだけでもありがたい。

 

 

聞くところによると、地元の人たちは誰もしんどいキビ刈りをやりたくないので、この仕事の需要は旅人たちのみで賄っているらしい。

お互いの需要と供給が成り立っている良い例だ。

 

 

仕事は2月から始まるので、残りの2週間はキャンプ場でのんびりして暮らすことにした。

 

 

 

キャンプ場封鎖

 

 

予期していなかったが、1月も最後の1週間を残したあたりでキャンプ場が封鎖された。

キャンプ場の管理人が言うには、毎年1ヶ月ほどはキャンプ場を封鎖するらしい。

 

 

キャンプ場の運営には、ほとんど何の努力もいらないので、通年営業もできるのだが、それでもこの時期に封鎖すると言う。

その理由が驚くべきものだった。

 

 

きっかけは1995年のオウム真理教テロ事件にまで遡る。

宗教の実態を暴かれて世間から袋叩きにあったオウム真理教の信者達は、どこにも居場所がなかった。

彼らは日本中を流れに流れて、日本の最果ての島のキャンプ場にまで辿り着いたと言うわけなのだ。

 

 

彼らはこのキャンプ場に居座り、生活し、修行を続けた。

だが、当たり前だが地元民の強烈な反対に遭い、数ヶ月後には追い出されてしまったと言うわけだ。

 

 

最果ての島を追い出された後に、どこに向かったのかは気になるところだが、とにかくここからはいなくなった。

 

 

そういった理由がきっかけで、このキャンプ場は毎年封鎖されることになった。

 

 

仮に誰かが居座ったとしても、封鎖を理由に追い出すことができるし、キャンプ場利用者が簡易小屋などを築いても、封鎖を理由に潰すことができる。

 

 

話によると、半定住しているような旅人もいたらしいが、それも過去の話のようだ。

 

 

 
 
 

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