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放浪記028

大阪のドヤ街での一人暮らしの話1(放浪記028)

一人暮らしが始まる

 
 
 
実家から新居への引っ越しは簡単だった。
 
大きな荷物といっても自転車くらいしかなく、実家からの距離も大したことないので服といくつかの棚を軽トラで運んで終了。
 
 
 
ついに新しい自由な暮らしが始まる。
 
 
 
今までとは全く違う新しい経験。
 
 
 
そもそも一人で暮らすなんて、どうすれば良いか全くわからないので一人暮らしハンドブックみたいな本を買って参考にした。
 
 
 
小さなガスコンロを買って、鍋を買って、ガスや電気の申請をしたりなど些細な一人暮らしの準備がいちいち嬉しい。
 
 
 
6畳一間の洋風のワンルームマンション。
 
小さな机程度の大きさの流し台と炊事台、小さなシャワーとトイレが一つのスペースにあり小さなベランダには小さな洗濯機があった。
 
ベランダの先には、目の前の手の届く範囲に工場の側壁があった。
 
 
 
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『素敵な我が家』というには程遠い環境だが、必要最低限のものが狭いスペースにしっかりと収まり僕のニーズを完璧に満たしていた。
 
 
 
完全に自由な自分の城。
 
 
 
 
 
 
 
 

理想の仕事を見つける

 
 
 
大阪の都心近くに住んだのには理由があった。
 
 
 
当時、天王寺の駅の近くにあった西日本最大のレンタルビデオ店『TSUTAYA』で働きたいというのがその理由だ。
 
実際のところは別に働きたいわけじゃなくて、タダで映画をたくさんみて音楽をたくさん聞きたかっただけだが。
 
 
 
この店は非常に大きく、アルバイトが総勢百人以上。
 
レンタルビデオの本数は比較のしようがないほどなんでも揃っていたし、音楽CDも相当量があった。
 
 
 
その店でアルバイトを募集していた訳ではなかったが、そんなことは気にしない。
 
直接お店に行って、レジの人にアルバイトしたい旨を伝えた。
 
 
 
すぐに店長が出てきて、即時に面接が行われた。
 
面接で映画が好きで、映画に関わる仕事をしたい事をしっかりと伝えた。
 
多分、単純にバイトが足りてなかっただけかも知れないが、すぐに採用してもらえることになった。
 
 
 
アルバイト募集雑誌とかから応募すれば、必須条件が高卒以上とかだったりして、採用されなかったりすると思うので直接行って正解だったと思う。
 
 
 
一人暮らしも順調に始まり、やりたい仕事も見つかり人生が順調に流れ出した。
 
 
 
 
 
 
 
 

十代の人生哲学

 
 
 
この頃の僕の興味は、映画と音楽と本や漫画などだけだった。
 
 
 
一人暮らしが始まったのと同時に、ゲームへの興味がパタリと消えた。
 
 
 
やりたい事のある自分にとって、ゲームにハマるのは時間の無駄だと思ったのだ。
 
6年間ハマり続けたゲームから、こんなにも簡単に抜け出せるとは思ってもいなかった。
 
 
 
興味があったのは、
文化作品を通じて自分のセンスを磨く。
この一点だけだった。
 
 
 
かなりストイックに、この一点を追求していたように思う。
 
宗教にガッツリのめり込んでいる母の血を引いているのだろうか?
 
 
 
芸術以外のことで生きていくつもりはなかったし、今この18歳の鋭い感性を最大限に活かすには芸術作品を吸収しまくるのが一番だと思っていた。
 
 
 
この迷いのなさや集中力は若さの最大の長所だと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

節約

 
 
 
一人暮らしを始めた時は貯金が50万円くらいあって、バイトもしっかりしてたし家賃も安かったのでお金にはゆとりがあった。
 
それでも生き急ぎたい気持ちが強く、とことん節約して全てのお金をセンスを磨くことに集中させようと思っていた。
 
 
 
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それが自分の幸せにとって最も重要なことだと信じきっていた。
 
 
 
人生を生きるということに対する貪欲さは半端なかった。
 
12年間のエホバの証人としての抑圧具合が、生きるという爆発を加速させていた。
 
 
 
この頃は食事に対する欲求がほとんどなく、命さえつなげればそれで良いと思っていた。
 
 
 
ある時期には、近所の激安スーパーで買えるうどんが1玉20円だったので、うどんばっかり食べていた。
 
焼うどんと、とろろうどんの2種類がメインメニュー。
 
 
 
この一定の期間に世界で一番、誰よりも焼うどんを食べていた。
 
今思うと相当バカらしいけど、当時は何かにおいて世界一になることを誇らしく思っていた。
 
初めて作ったEメールのIDは『yakiudon』にし、自分の特別具合に悦に浸っていた。
 
 
 
しばらくしてからは、これでは栄養価に問題があると思い、納豆ご飯とカレーライスがメニューに加わった。
 
 
 
とにかく食費を削る。
 
 
 
そのストイックさに自分で惚れ込んでいたし、そうまでして芸術を追求することがカッコいいと思っていた。
 
 
 
貧乏な生まれ育ちを長所にするには、節約することを苦にしないことだと考えていた。
 
 
 
 
 
 
 
つづく。。。
 

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