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放浪記029

大阪のドヤ街での一人暮らしの話2(放浪記029)

遅れてやって来た反抗期

 
 
 
自由な一人暮らしが始まり自分を表現できるようになる事で、中学生時代には激しく抑圧されていて、うまく表現できなかった反抗期的な性質が浮かび上がって来た。
 
適切な時期に適切な形で昇華されていれば、自我の自立に役に立つような反抗期の性質だが、抑圧された上に遅れて現れてきたので病みを増して歪んでいた。
 
 
 
反抗する対象になるような親や先生などは身近にいないので、社会に対しての反抗として現れて来た。
 
直接に反抗する相手が居なかったことは、臆病な僕には都合が良かったかも知れない。
 
 
 
実際に犯罪を犯すような反社会性ではなかったのだが、中学生のようなわかりやすい反抗ではなく18歳だったので反社会的な思想としての反抗だった。
 
 
 
自分が社会から抜けられるわけでもなく、人や社会に頼らないと生きられないことは重々理解していたが、タブーや欺瞞や偽善や人々の上品な仮面に嫌気がさしていた。
 
 
 
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生まれ育ちの抑圧具合や壊れ具合、病み具合に合わせてエホバの証人の規律から突然、自由になった十代の若者ということや、西成区在住などという条件が合わさっていただろう。
 
反社会的な思想がカッコいいと思い、自分のスタイルの一部になっていった。
 
 
 
 
 
 
 
 

危ない1号

 
 
 
この頃に立ち読みで見つけたのが「危ない1号」という “日本全国のゲス野郎に捧ぐ脳天爆裂ブック” というキャッチコピーのムック本だった。
 
 
 
半端なく過激で下劣で鬼畜な本で、初めて見たときは文字通り脳天が爆裂するような衝撃を受けた。
 
嫌悪感を催すのだが、怖いもの見たさが勝り購入することにした。
 
 
 
悪趣味な変態や、裏社会や犯罪やドラッグの本。
 
 
 
生まれ育ったキリスト教的価値観と環境とは正反対の世界。
 
まさに『悪魔崇拝の禁断の書』といってもいいようなトンデモナイ本たっだ。
 
 
 
僕は、この本に書かれているような未知の世界や怪しい世界に激しく想像力を掻き立てられた。
 
 
 
ウィキペディアのリンクだけど、閲覧注意設定をしたくなるような記事。
 
この本の概要と歴史を読めるので、気になる方はどうぞ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

デジタル・ハードコア・レコーディングス

 
 
 
趣味・嗜好が変わることに合わせて音楽の趣味も変わっていき、かなり激しいハードコアパンクテクノを聴くようになっていた。
 
 
 
当時の僕のテーマ曲は アタリ・ティーンエイジ・ライオット というドイツのアングラバンドの ファック・オールという曲だった。
 
 
全てを破壊しろ、ファック・オール、壊せ、暴動を起こせ、
と叫び続ける破壊的な歌。
 

 

 
 
この『デジタル・ハードコア・レコーディングス』というレーベルのアーティストは似たようなテイストが多く、全部揃えるほどのお気に入りだった。
 
 
 
よくまあ、こんなクレイジーな音楽を聴いていたものだと思うが心に激しい歪みを抱えていた僕には波長が合うのかして、この曲は癒しの音楽。
 
心が満たされリラックスした。
 
 
 
こういう時期だったからこそ、映画館で見た『La Haine』(邦題:憎しみ)というフランス映画にすごく共感した。
 
 
 
パリのスラム街の公共団地にすむ若者たちが、暴動に巻き込まれる姿を描いた映画で自分が生まれ育った環境と被って来て、まるで自分が映画の主人公になったような気分だった。
 
 
 
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この映画の主人公に憧れて気合いを入れるために、同じ髪型のスキンヘッドに近い丸坊主にした。
 
今までの籠の中で育ったエホバの証人のお坊ちゃんの自分とは決別する意味を持っていた。
 
 
 
金髪とかはバイトの規則上できなかったけど、スキンヘッドに近い丸坊主は規則上大丈夫だったので、自分なりの社会への反抗の表現だった。
 
 
 
気合は入ったが、あいにく髪を切ったのが大晦日だったので、突然頭に浴びる寒風で風邪をひいてしまったが。
 
 
 
 
 
 
つづく。。。
 
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