ホーム » 放浪記 » 大阪のドヤ街での一人暮らしの話3(放浪記030)
放浪記030

大阪のドヤ街での一人暮らしの話3(放浪記030)

ツタヤでのバイト

 
 
 
『映画に関わる仕事がしたい』という夢の第一歩として、大規模レンタルビデオ店でのバイトを始めた。
 
近鉄阿倍野駅という、かなり大きめの駅の出口にある店舗だ。
 
 
 
都会で暮らしてみたいという希望が見事に実現した。
 
人口密度も人の入れ替わりも店舗の規模も、今までの暮らしとは全く違う。
 
 
 
この店舗は日本でもトップクラスの営業成績を誇っており、人通りの激しさは半端なかった。
 
 
 
全部で10個くらいあるレジのカウンターは、曜日や時間帯によっては長い行列ができて一旦レジに入ると数時間はひたすら接客が続く。
 
 
 
図らずしも兄のバイトと全く同じ職種なのは、別にレンタルビデオ屋の店員をしたかったわけではなく、大量のビデオとCDにアクセスしたかっただけだ。
 
 
 
バイトの時間帯は人の足りていない深夜シフトに配属された。
 
早い時は20時入りで遅い時は22時入り、仕事が終わるのは午前2時だった。
 
この時間帯は、法律の関係で男性だけが働いていた。
 
 
 
 
 
 
 

人間模様

 
 
 
バイトの総勢は百人以上いて仲良しグループなどの派閥ができており、都会っぽさを感じさせた。
 
 
 
主に3つの派閥があり健全で爽やかな昼間シフトの人たち、おしゃれな遊び人の夕方シフトの人たち、映画オタクや音楽オタクの集まる深夜シフトの僕たちだった。
 
 
 
Blog30-1
 
 
 
半分以上のバイトの人が僕と同じような目的で働きに来ており、映画や音楽のマニアや芸術関係の活動をしている人が多く、似たような興味を持つ人が集まってくるハブスポットの一つになっていた。
 
同じようなことに興味を持つ人には、兄以外にあったことはなかったので、似た興味を持った年齢の近い人たちに溢れていたことは大きな喜びだった。
 
 
 
本来なら高校に行っている筈の年齢でバイトしている僕は最年少。
バイト仲間には軽く見られている存在だったが、歳若くしてこのグループの一員になれたことを誇らしく思っていた。
 
 
 
大人数のバイト環境ゆえか都会特有の心の壁があり、最初はとっつきにくかったのだが時間が経つごとに段々と仲良くなって行き、人となりを知っていく。
 
深夜バイト勢は時間帯ゆえか変わり者が多く、初めて出会うタイプの人たちに興奮していた。
 
 
 
それまでの自分の人生で出会った人は、宗教にハマるような人たちか、生まれ育った環境の惰性で人生を行きているような人たちだった。
 
自分の意思で、やりたいことをやっている人たちに大量に出会うのは初めてのことだったので、ものすごく大きな刺激になった。
 
 
 
深夜バイトの人たちは、みんなそれぞれに個性的なのだが中でも目立った個性を放つ人が何人かいた。
 
 
 
 
 
 
 

Nさん

 
 
 
Nさんは、自称文化貴族と名乗る26歳。
 
僕と同じ丸坊主。
 
 
 
映画にたいする造詣が非常に深いので、映画マニアしかいない深夜バイト全員から一目置かれていた。
 
 
 
日本でも有数の映画マニアなのに時給千円ほどで、その能力を提供するので店長からも重宝されて強い発言力を持っていた。
 
 
 
彼の深夜バイト内でのカリスマとしての影響力は大きく、彼が良いと言ってやっていることは皆が自然と追随していた。
 
 
 
彼がマッキントッシュを買って写真の編集を始めると皆がマックを買い、彼が広末涼子の大ファンになると皆が広末涼子のファンになり、彼が東南アジアを放浪すると皆が東南アジアを放浪した。
 
 
 
彼は小津安二郎監督の大ファンで、日本特有の侘び寂び的な価値観を大事にしていた。
 
もちろん僕を含めて深夜バイト全員は小津安二郎監督のファンになり、小津映画の世界観を語り合い、ある種の連帯感を共有していた。
 
 
 
 
 
 
 

Mさん

 
 
 
Mさんは、映像作家を目指す22歳。
 
 
 
映画に関してはNさんに一歩譲るものの、音楽やその他の文化全般に詳しく、深夜バイトの『カリスマ2大巨頭』だった。
 
 
 
Blog30-2
 
 
 
MさんとNさんは二人で店舗内の映画紹介コーナーを運営しており、全バイト内で強い発言権を持っていた。
 
 
 
彼は特に60年代のカウンターカルチャーに造詣が深く、僕は彼の紹介する映画や音楽や思想に大きな影響を受けた。
 
 
 
とりわけ思想面においては抜きん出ており、自分なりの哲学を持って自分の行き方を貫いていることに憧れた。
 
 
 
 
 
 
 

その他の面々

 
 
 
他にもお笑いパリピ担当の人やストイックなバンドマン二人組、テクノミュージシャン、スポーツ店名称のあだ名をつけられた体育会系の人、心優しいアホで金持ちのボンボンなど個性のあふれる人たちがいた。
 
僕は、このメンツに高校中退の『冴えないガキンチョ』という色を添えていた。
 
 
 
深夜2時にバイトが終わり、みんなで牛丼を食べて解散というのが定番だった。
 
日によっては吉野家、日によっては松屋。
 
 
 
バイトの他の派閥の悪口を言ったり映画談義に花を咲かせたりと、深夜4時頃まで牛丼屋にいることも稀ではなかった。
 
 
 
僕はフリーターだったので、そのあとはゆっくりと眠るだけだったが、他のメンツは大体が大学生だったので数時間しか睡眠時間を取らない日も多かったと思う。
 
それでも一緒に時間を過ごしたのは、みんな相当に楽しんでいたんだろう。
 
 
 
 
 
つづく。。。
 

前の記事029 | 次の記事031

 

 

当サイトは皆様の共有のおかげで成り立っています。

シェアをよろしくお願いします!

 

ホーム » 放浪記 » 大阪のドヤ街での一人暮らしの話3(放浪記030)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です