共産主義国家中国を旅する話7(自叙伝070)

共産主義国家中国を旅する話7(放浪記070)

ゴルムドのお寺

 
 
 
 
僕たちは高い標高に体を慣らすために、ゴルムドに滞在している間、お寺へ観光に行った。
 
 
 
 
大して有名なお寺でも無いみたいだが、僕たちみたいにゴルムドで体を慣らしている間に立ち寄る外国人観光客が多いらしい。
 
 
観光地ということで、地元の中国人も多少スレており、一筋縄では行かない。
 
 
当たり前のようにぼったくってきて、気を抜いていると、とんでもない額を請求される。
 
 
僕は肉まんを買おうとして高額を請求されている所を、中国語を話す友人に助けられた。
 
 
 
 
 
ボッタクリという表現が正しいのかは分からないが、お寺に入るチケットの値段も中国人料金と外国人料金の2種類があった。
 
 
 
 
 
値段の差は3倍ほどあり、外国人はかなり積極的に搾取される。
 
 
おそらくこの辺りの商店主たちも3倍の値段を外国人から徴収しているのだと思う。
 
 
 
 
だが僕が一緒に旅しているのは北京へ留学している日本人留学生たちだ。
 
 
彼らは中国人のふりをして中国生活を生き抜いてきたので、ここでも北京から来た学生観光客のふりをして中国人料金でお寺に入ることが出来た。
 
 
 
 
 
お寺は中華風の古風な建物で、歴史上の偉人が祀られていた。
 
 
お寺というよりも神社、あるいは祠と言った感じか。
 
 
 
 
古風で伝統的な建築が美しい。
 
 
庭も綺麗に整備されていて、ひとときの安らぎを感じられる。
 
 
 
 
それでも、中国人料金で観光できたことは嬉しかったが、特に僕の興味を引くものでは無かった。
 
 

 

 

 

公衆トイレ

 
 
 
 
僕の興味を引いたのはお寺ではなく、公衆トイレだった。
 
 
流石に近代化された現在の中国では全く違うとは思うが、これは1998年当時の話。
 
 
 
 
 
中国の常識なのか、あるいはこの街だけなのか、あるいはモンゴルの文化なのかはわからないが、驚いたことにゴルムドの公衆トイレは、小用のみならず大便も共用だったのだ。
 
 
 
 
 
男女別の公衆トイレに入ると、一本の溝がまん中にあり、板で区切られている。
 
 
利用者はその溝の上にまたがって用をたすのだが、扉はないので真横からは丸見えになってしまう。
 
 
 
 
 
幸い前にいる人のお尻は板のおかげで見えなかったが、前の人が出したモノは溝を通して流れてくる。
 
 
そこに更に自分のモノが合わさって流れて行き、後ろの人の目に触れる。
 
 
 
 
 
こんなにも身近に新鮮な他人の大便を見たのは初めてだったので、とんでもない衝撃を受けた。
 
 
今までの自分の常識をぶち壊すような体験がしたくて中国へやってきたが、ただの公衆トイレに吹っ飛ばされた。
 
 
 
 
 
友人の留学生に話すと、中国とはそういうもので、日本の常識をこの国に持ち込んではいけないと諭された。
 
 
一年も北京に住んでいれば大概のことには慣れてくるらしい。
 
 

 

 

 

チベット観光

 
 
 
 
中国政府はチベットへの外国人の個人観光を許可していない。
 
 
外国人が公式にチベットに入りたければ、政府公認の旅行会社を通してツアーを組み、その流れに乗って観光して回るしかない。
 
 
そのツアーではチベットへのバスだけではなく、滞在するホテルや、観光地へのチケットやバスも含まれる。
 
 
 
 
 
もう一つの方法は、チベットと中国を行き来しているトラックの運転手と交渉し、トラックの荷台に乗せてもらって不法に侵入する方法だ。
 
 
僕たちはアジア人の顔と中国語を話すというメリットがあるので、チベットに忍び込むことも考えた。
 
 
だが、友人の留学生たちが、見つかったら学生ビザを剥奪されて、国外追放される可能性があるというので諦めることにした。
 
 
 
 
 
僕たちはゴルムドの街の旅行会社へ行き、ツアーを申し込んだ。
 
 
料金は約2万円、神戸から上海へのフェリー料金とほぼ同じだ。
 
 
この値段でホテルや観光地へのバスも含まれているなら悪くはない。
 
 
 
 
 
どんなチベット旅行が待っているのか期待に胸を膨らませていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
つづく。。。
 
 
 

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