放浪記069

共産主義国家中国を旅する話6(放浪記069)

もう一人の旅人

 
 
 
列車は西安から数時間走り、西寧の街に着いた。
 
 
 
列車を降りたところで、もう一人の日本人の旅人が現れた。
 
別の車両にいたようだが、僕たちの姿を見つけて、同類だと思い近づいて来たのだ。
 
 
 
彼も他の二人と同じく、北京へ留学してる学生だった。
 
ここでも、旅は道連れということで、四人で行動することになった。
 
僕以外は全員中国語がペラペラなので心強い。
 
 
 
 
 
 

西寧の街

 
 
 
ここからは中国の旅が一気に面白くなった。
 
 
 
彼らは中国に1年以上滞在しているので、勝手知ったる国。
 
僕たちはみんなで西寧の安宿に滞在した。
 
みんな中国語がペラペラで見た目もアジア人なので、中国人待遇で滞在することができた。
 
 
 
宿を決めた後は、街の市場へと繰り出す。
 
市場では、見たことのない野菜や果物が並んでいる。
 
 
 
屋台のテーブルの上には所狭しと食べ物が並んでいる。
 
あまり衛生的には見えないが、タイに行った時もこんな物だったし、日本の殺菌文化の方がおかしいのかも知れない。
 
 
 
旅仲間の通訳のおかげで、担々麺のような料理を頼むことができた。
 
上海で食べた高級料理とは違い市場の屋台の食事だが、さすが中華料理の本場だけあって、美味しい。
 
だけど、スープは唐辛子の色で真っ赤に染まっており、とんでもない辛さ。
 
日本では自称辛いもの好きで、カラムーチョが好物だったが、本場の中華の辛さは桁が違った。
 
 
 
その日の夜はみんなでビリヤード場に行って遊んだ。
 
西寧の街には中国らしからぬ、西洋風のバーがあって、ビリヤード台が並んでいた。
 
 
 
中学生の時に近所のボーリング場で遊んでいたビリヤードがこんなところで役に立った。
 
だが、北京の学生たちはビリヤード慣れしているらしく、全く歯が立たなかったが。
 
 
 
 
 
 

ゴルムド市

 
 
 
次の日、僕たちはゴルムド市へ向かう列車に乗り込んだ。
 
自分でチケットを取って旅するのとは違い、信頼のできる日本語と中国語を話す旅仲間の助けで旅行するのは随分と気楽だった。
 
 
 
またもや軟座のチケットを取り電車に揺られた。
 
上海からの列車で擦りむけたお尻がまだ痛い。
 
 
 
この街の名前はモンゴル語に由来するらしく、既に漢民族の文化圏からは抜け出ていた。
 
僕たちはこの街に数日滞在して、高い標高に体を慣らすことにした。
 
 
 
この街は標高2800メートル、チベットの首都は3700メートルと、1000メートル程しか変わらない。
 
富士山の標高が3776メートルなので、チベットに滞在するのは富士山の頂上に滞在し続けるようなものだ。
 
 
 
だがいちばんの問題は、チベットへの道程だ。
 
ゴルムドからチベットの首都ラサまでの間に世界第7位の標高5231mを誇るタングラ峠という所を通らなければならない。
 
高山病により死者が出ることもあるらしく、僕たちは大事をとってゆっくり行くことにした。
 
 
 
 
 
 
つづく。。。
 
 

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