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2期目のゴアの話23(自叙伝275)

 

居候

 

変わり者で金銭感覚が自由なNくんは、楽しすぎるゴアから出ることができずに、次第に旅の資金が尽きていった。

 

ある日、とうとう帰りの飛行機代以外は一切お金がないところまで行き着いてしまい、家賃を払うことができなくなってしまった。

 

そこで、うちの居間へ居候させてあげることにした。

僕もIちゃんもNくんの個性が大好きだったので、納得の判断だった。

 

3人での共同生活が始まる。

 

Nくんは実質的に一文無しだったので、生活資金は僕とIちゃんで出していた。

 

こういった居候生活は旅人の社会ではそこまで珍しいものではなく、楽しすぎてゴアを出ることのできない旅人が、誰かの世話になりながら長居すると言う景色はそこら中で見られた。

 

旅人たちの多くがこういった状況を経験したことがあり、困ったときはお互い様と言う感覚が身についているため、お金がなくとも日々を一緒に楽しもうと言う雰囲気があった。

 

だが、これは危険な罠でもあり、こういった状況から抜け出すことができずに、最終的にはホームレスになってゴアに居ついてしまう人も稀にいる。

 

 

3人の日々

 

僕たち同年代の3人は相性が良く、楽しく日々を過ごした。

 

この頃には僕の中にあったIちゃんへの心の壁は、すっかりと取り払われていた。

Nくんが潤滑剤になっていたのかも知れない。

 

僕たちの家は、そこまで広かった訳ではなかったが、大きな庭があった事と、ゴアの開放的な雰囲気と人と人との心の距離が近い事で、共同生活が苦になることは無かった。

 

Nくんはバイクを借りるお金もなかったので、移動するときはバイクに3人で乗ることになる。

 

もちろんヘルメットなどはせずに3人でスクーターに乗るのだが、当時のゴアではそういったことが道路交通法違反に引っかかることは無かった。

もちろん誰も免許などは持っていない。

スピード違反や一方通行や駐車違反なども存在せず、信号機すら存在していなかった。

 

全ては自己責任と言う言葉に集約していた。

死にたくなければ気をつけろと言うシンプルなルールだ。

 

だが、シンプルなだけにこのルールを守ることの出来ない人たちがいて、交通事故の話はしょっちゅう聞くし、死亡事故の話が耳に飛び込んでくることもある。

 

事情通によると、毎年10人ほどの日本人がゴアで死亡していると言う。

嘘か本当かは分からないが物凄い人数だ。

 

だが、こういったリスクを背負った上での自己管理と引き換えに自由を得ていたので、ゴアに来ている人たちは納得した上で楽しんでいた。

 
 
 

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