抑圧される怒り
僕は、全てに対して怒っていた。
これと言った怒りの対象がある訳ではなく、ただ怒りがそこにあった。
その怒りは、表に出ることはなく、内側で留まり続け抑圧されていた。
抑圧された怒りは、その圧力を増し僕の魂を締め上げていく。
自分が何に対して怒っているのかは、全く理解していなかった。
今になって思えば、この怒りの1番の原因は、自我が目覚め始めたことだと思う。
深夜番組や立ち読みや、映画を見ることで、僕の知性が成熟化し、自意識を持つようになった。
自分と言う存在に気づくことで、自分がいかに不自然で理不尽な人生を送っているかに気づいた。
その事に気づきつつも、何もできない自分。
退屈な高校生活も、怒りの原因の一つだった。
高校の学力はかなり低くて、中学2年生くらいのレベル。
同級生も幼稚な人間が多く、僕は陰ながらバカにしていた。
退屈な日々。
唯一の出口は、文化的な方向だったが、それだけでは僕の魂は救えなかった。
ある朝、目が醒めると、とてつもない怒りが心を覆っていることに気づいた。
何かの夢でもみていたのだろうか、原因は分からないが大きな大きな怒り。
その日は、たまたま家に誰もいなかったので、半泣きになりながら枕を殴り続けた。
生まれて初めて怒りを外側に表現する。
16年間積み上げられてきた怒り。
原因のはっきりしない、やるせない怒り。
何に怒っているのかもよく分かっていなかったが、ただただ枕を殴り続けた。
これは、僕が怒りを放出させる前の最初の突起だったようだ。
阪神大震災
高一の冬休みが明けてすぐに、阪神大震災が起こった。
僕は2段ベッドの上段に寝ていたので、その揺れは凄まじかった。
家中の物が倒れて散らかり、結構な惨事。
テレビを点けると大地震のニュース。
学校も休みになったらしい。
家の外に出ると、建物にヒビが入っていたりした。
僕は、命が助かった喜びよりも、地震の恐怖よりも、その被害を心配するよりも、学校が休みになったことが心底嬉しかった。
それと同時に、自分が心底学校を嫌っている事に気づいてしまった。
僕が願ったのは、地震による被害が街や人々に出ないようにと言う事ではなく、地震で学校が潰れて行かなくていいようになる事だった。
だが不幸にも、地震は一度きりで世界を破壊してくれる事は無かった。
僕は自分が心底、高校に行きたくない事に気づきつつ高校に行き続けた。
自分の意思で辞めることができると言う事実も、辞めずに高校に行き続ける辛さを強調させていた。
数ヶ月後にサリン事件も起こるが、僕はただただ世界を破壊してくれと願うばかり。
何もまともに考えることができず、死んだ魚の目で日々をやり過ごしていた。
姉の結婚
ちょうどこの頃、姉はエホバの証人としてのスペイン語の勉強が進んでおり、その活動を通して知り合った、日本に働きにきていたペルー人の男性と結婚する事になった。
姉が、外国人と結婚すると言う一大事に親戚一同騒然となった。
こう言う時に本音が垣間見えるのだろうか、叔母はうちの家系に外国人の血を混ぜるとは穢れてしまうなどと、差別主義者全開の発言をして皆を驚かせた。
母は、大して気にしていないようだった。
旦那がエホバの証人で、今後も聖書の勉強を続けていくのなら、なんだって良いって考えのようだ。
旦那がエホバの証人で、今後も聖書の勉強を続けていくのなら、なんだって良いって考えのようだ。
僕も全く気にしておらず、正直なところどうでも良かった。
自分の人生のサバイバルに必死なだけだった。
姉は、かなり大変だったらしい。
当時は今よりも、圧倒的に外国人と日本人の関わりは薄く、似たような例は他にない。
僕たち家族にとっても未知の出来事だが当然、姉にとっても大冒険の選択だった。
だが、姉は恐れずに自分の信じることを貫き通した。
姉の外国との繋がりと、恐怖に打ち勝って行動する強さに、僕は無意識のうちに影響を受けていて、何年か経ってから、姉の影響を再確認する事になる。
ここが、僕の旅人生の流れの源泉だった。
つづく。。。