放浪記027

人生初の普通っぽい暮らしの話3(放浪記027)

儚い恋

 
 
 
ピザ屋のバイトに週2回くらいやってくる可愛い女子高生がいた。
 
 
 
その可愛らしさに見惚れていたが僕には何か行動する様な度胸もなく、バイト中にちょっとした会話をするくらいが関の山だった。
 
 
 
行動できなかった理由の一つは、ピザ屋でのバイトを始めるまでほとんど女の子と話したことがなく奥手だったというのが一つ。
 
 
 
もう一つはエホバの証人の母子家庭で育つという特殊な生い立ちゆえに、女性と親しくなるということに変なタブーやトラウマを感じていた。
 
タブー故に母の前では、性を感じさせるものは徹底して隠す様になっていた。
 
心に内在する大きな歪み。
 
 
 
平日昼間のバイトで、仲のいい映画好きの人妻や年上のバンドマンの女の子は、共に旦那や彼氏がいるので何とも思わずに仲良くできたが、年下の気になる女の子とは自意識過剰になって、うまく会話をすることができなかった。
 
 
 
ものすごく気になるのだが何の行動も起こせない。
 
『好きな気持ちを告白してみたい』という想いを持ちながらも、何もできず悶々とした日々を過ごしていた。
 
 
 
そんなある日、みんなから嫌われているのに新しく店長になった男の子が、その子と一緒に車でバイト先までやって来た。
 
 
 
それを見た僕は状況を理解し同時に自分には女性と親しくなる『心の準備』は、できていない事を理解した。
 
 
 
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自分を覆うトラウマやタブーは、実家で暮らしている限りは消えることはない。
 
母親から自立して自分の人生を始めることが先決だった。
 
 
 
 
 
 
 
 

誕生日

 
 
 
夏が来て僕は18歳になった。
 
 
 
社会的に色々な意味のある年齢だが、僕にとっては一人暮らしができる年齢という意味だった。
 
 
 
親の了承を得ずとも、社会的に行動することが許される年齢。
 
アパートを借りることができて仕事を選べる年齢。
 
 
 
記念すべき18歳の誕生日だったが、バイト仲間には誕生日のことは秘密にしていた。
 
 
 
エホバの証人の教義として神以外は祝わってはいけないというものがあり、それまで自分の誕生日を祝ったことが無かったし、誰かの誕生日会に行ったことも無かった。
 
なので、どうやって自分を祝ったり注目を浴びる中で喜んだりすればいいのか分からなかった。
 
 
 
18歳の誕生日は待ちに待ったものだったが、すぐに一人暮らしへの行動を移す準備は出来ていなかった。
 
『もう少しお金を貯めたいという』言い訳を用意して、居心地の良いピザ屋のバイトを続けた。
 
 
 
 
 
 
 
 

姉の帰国と家探し

 
 
 
秋になると、姉が日本へ帰って来た。
 
ペルーでの旦那の仕事が上手くいかないので、日本で態勢を立て直すのが目的の様だ。
 
 
 
姉の助けを借りて、一人暮らしするための家を探すことにした。
 
家の契約など、どうやれば良いか想像もつかないので姉が日本に帰って来たのは心強かった。
 
 
 
一人暮らしを始めたら、どういう事がしたいのか、ある程度の展望はあった。
 
その為には大阪の都心部で安い家賃で部屋を借りる事が重要。
 
 
 
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僕が狙いをつけたのは、大阪市西成区という街。
 
 
 
ここは放浪記第2話で書いた、父母の育ったドヤ街でもあるんだけど、今一緒に暮らしている祖父が数年前まで住んでいた街でもある。
 
 
 
祖父が、この街に住んでいた時は年に数回、長期休みのたびに遊びに来ていたので慣れ親しんだ街でもある。
 
 
 
僕は、この街の猥雑さや匂い立つ生活臭が好きだった。
 
僕の育った厳格な宗教的生活や郊外の集団住宅地にはない、下町特有の人間らしさがあった。
 
 
 
姉と一緒に不動産屋を周り、いくつかのアパートを見て周った。
 
 
 
祖父が住んでいた場所から、そう遠くない場所に手頃な値段のワンルームマンションを見つけたので、そこを新居にすることに決めた。
 
 
 
12月から新居での一人暮らしが始まる。
 
 
 
高校に行っていれば、高校3年生の2学期の終わり。
 
同級生よりも少しだけ早く社会に出て自由を得ることに興奮し、優越感を抱いていた。
 
 
 
 
 
 
 
つづく。。。
 

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