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北アルプスの山小屋で働く話35(自叙伝475)

 

真の姿

 

生きるか死ぬかの状況に研ぎ澄まされた意識は、自然の真の姿を浮かび上がらせる。

 

もちろん、人間社会の埃をかぶっていない山は文字通り生命に満ちていただろう。

そこに研ぎ澄まされた精神が合わさることで、緑が輝きを増すのである。

 

おそらく僕の目はギラギラと輝いていたことだろう。

初めてのリアルな登山体験に興奮しきっていた。

 

登山においては、重い荷物を担いでしんどい思いをするものだが、既に何ヶ月も山小屋で働いた僕には、登山のしんどさは全く苦にならなかった。

 

ただ純粋に登山体験を楽しんでいた。

 

 

山小屋

 

何時間も歩き続けると、温泉へと導く道標が現れた。

直射日光と風雨にさらされて、道標はボロボロだったが、かろうじて意味を読み取ることができた。

 

窪地に降りきった先には、古びた山小屋があった。

その小屋は道標同様にボロボロで、冬季の雪の重みでへしゃげていた。

 

小屋の真ん中がアーチ状に凹んでいるのだ。

屋根も凹んでいるし、床も凹んでいる。

 

屋根も壁も塗装もボロボロで、廃屋といっても過言ではないほどに古びていた。

通常、日本では目にすることが出来ないほどの廃屋具合である。

 

その小屋へはあまり登山客が来ることもないので、資金が回らず床を貼り直すこともできないのだろう。

金回りの良いうちの小屋とは大きな違いだった。

 

だが、その小屋にはうちの小屋にはない奥深い愛情や、独特の個性が感じられた。

村の中心にある御神木のような、ある種の神々しささえ感じさせられた。

 

各地の山小屋の従業員どうしにはある種の慣例のようなものがあり、どの従業員がどの小屋へ行ってもタダで泊めてもらえるというものだ。

だが、これは暗黙の了解のようなルールで、確実な決め事ではない。

その裁量は各小屋の独自の判断だ。

 

僕はこの慣例を利用することを遠慮してしまった。

シャイに感じたのだ。

 

だが今になって思えば、是非とも利用するべきだったと感じている。

きっと素晴らしい出会いと経験があったはずだ。

 

 
 
 

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