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インドへ舞い戻る話3(放浪記175)

 

値段交渉2

 

僕は、呆れ顔の演技を崩さず、提示された半額のさらに半額を要求する。

まだ、軽く立ち去ろうとする姿勢は崩さない。

 

それを見た運転手は仕事を失うよりはマシだと、彼の提示した額と僕の要求する額の中間よりも少し上を提示する。

僕は少し下を要求し、彼はもう少し上、僕はもう少し下と、何度か同じやり取りを繰り返し、最終的には最初に提示された額の3分の1ほどで交渉が成立する。

 

僕はもちろんこの額が適正価格よりも高い事は分かっている。

それでも異国を旅する旅人としては3分の1の値段に値切れて嬉しい。

運転手としては適正価格の4分の1よりも多く取れて嬉しい。

 

知らぬが仏のウィン・ウィンの関係だ。

 

こういった交渉はかなり面倒臭く、1円単位で値切るのは非常に馬鹿らしいのだが、実はものすごく責任重大な行動でもあったりする。

 

旅人が値段交渉をを怠って、言い値を払っていると街の物価がうなぎ登りに上がっていき、旅人社会だけでは無く地元民の社会まで破壊していく。

旅人たちはしっかりと適正額に値切ることで、街の物価を正常の範囲に保っているのだ。

 

 

デリーの安宿街

 

僕は、交渉の成立したオートリクシャーに乗り込み、デリーでの旅人の中心地となるパハールガンジと言う通りへ向かう。

 

通りへたどり着き、オートリクシャーから降りるときにお金を払う。

小銭が無いので紙幣で同意した額よりも少し多めに払うと、予想していたとおりお釣りは無いと言う。

最後の最後まで押してくるところは、さすがインドだとしか言いようが無いが、彼の生きる情熱に敬意を払って、お釣りをチップとして差し上げる。

 

パハールガンジは安宿街だけあって、世界中からの旅人で溢れている。

 

同じ安宿街でもバンコクのカオサンロードと違うのは、観光客が居ないことだ。

当時のインドの観光業はタイほど発展していず、気軽な気持ちで観光できるほど安全な国でもない。

 

ここに居るのは混沌の国インドへ、覚悟を持ってバックパックひとつで飛び込んできた旅人たちばかりだ。

通りで見かけるどの旅人も、インドへ来るという色々なリスクを背負った上での自由を謳歌しており、目がイキイキと輝いている。

 

 

有機的不潔さ

 

日本の満員電車で見た、死んだ魚の目をした人達とは大きく違う。

清潔だがコンクリートに囲まれた、生命感の無い日本の街。

 

かたやデリーは、有機的な不潔さが溢れており、舗装されていない道路からは土埃が舞う。

通りには巨大な牛が闊歩し、野良犬たちと残飯の奪い合いをしている。

牛も犬も糞尿はそのまま路上にタレ流し。

それらが乾燥した物が空気中に舞っている埃の原料でもあり、僕が吸い込む空気の含有物だ。

 

 

 
 
 
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