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インドを旅する話1(放浪記086)

激しい雨

 
 
 
ネパールやインドの雨季は、なかなか激しい。
 
 
ダージリンでも一緒だった。
 
 
 
 
むしろ湖沿いのポカラよりも、山間部で標高の高いダージリンの方が雨は酷いかもしれない。
 
 
調べたところ、世界で最も雨が多い地域の一つだそうだ。
 
 
 
 
旅慣れた今の感覚からすると、雨季のない乾燥したチベットにビザを延長して9月終わり頃まで滞在し、雨季が終わりに近づいた頃にネパールへ向かうのが一番良いルートだと思う。
 
 
だが、当時の僕は雨季の存在すら知らず、雨季を避けて旅するなんて考えは思い浮かばなかった。
 
 
 
 
ダージリンの雨は激しくて僕は、ほとんどの時間を部屋の中で過ごした。
 
 
 
 
久しぶりに一人きりになり、過去2ヶ月間に渡るぶっ続けの旅を振り返り、これからのインドへの旅に思いを馳せた。
 
 
数多くの恥をかき捨てて来たが、その分人間的な成長や感性を磨くことに繋がっていると感じて、僕は大いに満足していた。
 
 

 

 

 

ダージリン

 
 
 
 
インドへ来る前に聞いていた、”インドは色々と凄い”と言う噂に対して必要以上に身構えていたのかも知れない。
 
 
気合を入れてやってきたインドはネパールと大差なく、これなら余裕だと自信を持つことができた。
 
 
 
 
 
ダージリンと言えば紅茶で、世界中に茶葉を輸出しているが、インド人的には有名な避暑地で、色々な観光名所がある。
 
 
 
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だが、それも暑季に限った話で、雨季のダージリンは活気がなく、観光客も旅人も出稼ぎ労働者も居なく閑散としていた。
 
 
そんな、ほとんど人が居ない中で出会った日本人の旅人と一緒に食事をしたりして過ごしたが、彼はすぐに次の土地へ向かい、またすぐに一人きりになった。
 
 
旅と退屈と言うのは僕にとって相性が悪く、数日もすればすぐに飽きてきて、次の目的地に向かうことにした。
 
 
 
 
 
 
 
 

カルカッタへの道

 
 
 
 
次に向かうのは、カルカッタだ。
 
 
 
 
別にカルカッタに対して、なんの興味も無いのだがダージリンから他の場所へ向かうのには、カルカッタを通らなければならない。
 
 
 
 
バスを乗り継ぎ、数時間かけてカルカッタヘ向かう。
 
 
インドのバスはネパールと同じく、最低レベルの快適さだ。
 
 
思い返せば中国のバスのほうが、まだマシだった。
 
 
 
 
 
狭い座席にギュウギュウ詰めに詰め込まれ、更にその上にもう一段押し込まれる。
 
 
場合によっては、鶏やヤギまで乗ってくる。
 
 
牛や馬が乗ってこないのは、せめてもの救いか。
 
 
 
 
バスの中は心なしか、ネパールよりもスパイスの匂いが強くなっている様に感じる。
 
 
 
 
 
ネパールでは”ダルバート”と言う比較的薄味のダル(豆)カレーを白米と共に食べるのが最も一般的だ。
 
 
ネパールではダルがメインだったが、インドではダルがサイドディッシュになり、サブジ(野菜のおかず)がメインになる。
 
 
その分、スパイスの強さや塩辛さが増す。
 
 
思い込みかも知れないが、塩辛さやスパイスの強さが、街全体やバスの中の匂いや人々に影響しているように感じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

旅のスタイル

 
 
 
 
カルカッタへバスが着くと、僕はガイドブックを頼りにして『パラゴン・ゲストハウス』と言う日本人が多く滞在していると言われる格安の宿へ向かった。
 
 
 
 
 
この宿の隣には『マリア・ゲストハウス』と言う、マザーテレサの施設で働くボランティアの人達が多く滞在していると言う。
 
 
 
 
 
ここでカトマンズの宿で拾った、ガイドブックが役に立った。
 
 
このガイドブックは、誰かが必要なところだけ切り取っていった物の残りで、色々な部分が欠けていたが、それでも僕にとってはそれで十分だった。
 
 
 
 
 
僕の旅は実質的には、ガイドブックに頼っているのだが、志としてはガイドブックを持たないつもりだった。
 
 
観光客ではなく、旅人でありたいと思っていたのだ。
 
 
 
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同じ理由で、カメラを持っていくことを拒否した。
 
 
自分でカメラは持っていなかったが、家族に借りることも出来た。
 
 
だが、カメラに映らない本当の体験をしたかったし、カメラを持たないことで輝く瞬間があると思っていた。
 
 
 
 
 
当時の僕の選択は正しかったと思う。
 
 
実際にカメラを持たないことで、荷物を盗まれる心配や、どんな写真を撮ろうかなどと頭を悩ませることなく旅に集中できたからだ。
 
 
当時、カメラを持つという選択をしていたら、今の僕の人生は今とは違ったものになっていただろう。
 
 
 
 
 
とは言うものの、あのときカメラを持っていれば、色々といい写真をこのブログで紹介できたのになぁ、などと思う今日このごろです。
 
 
 
 
 
 
 
 

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