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チベット文化の高地ラダックの話3(自叙伝201)

 

砂漠高原の宿

 

バスの行程の1日目は夜まで走り、最後の食事休憩をしたところで宿泊することになった。

 

レストラン兼宿泊所は高原の砂漠道のど真ん中にあり、周囲には村はおろか人工物すら見当たらない。

まさしく大自然のど真ん中。

 

マナリでは星空の美しさに驚いたが、ここはさらにもう一段上の星の数だ。

周囲の何十キロも街灯りはなく、漆黒の闇に包まれている。

そこに標高の高さによる空気の薄さや、乾燥した空気による水蒸気のなさが、目に入る星の数を倍増させていた。

 

宿泊所はホテルなどと言う立派なものではなく、大きな簡易テントの中に設置された20個ほど並ぶベッドのうちの一つだ。

布団は分厚くて重たく、少し臭い。

多分かなりの期間、あるいは一度も洗っていないのではないかと思う。

 

インドの山岳地帯ではベッドシーツという文化はなく、重たくてわたの詰まった布団を直接かぶる。

新しいものは綺麗で古いものは汚いという単純な図式にハマるが、こんな最果ての地まで来ていては、文句の言いようもない。

 

外の空気はキンと冷えていて高知の砂漠を体感させたが、布団の中で暖かく眠った。

寒さをしのげるだけで十分ありがたかった。

 

 

誕生日

 

朝早くに集合がかかり、朝ごはんを手取り早く食べてバスに乗り込む。

 

だが、早朝に出発したにも関わらず、バスは渋滞に巻き込まれて微動だにしない。

話によると、かなり先の方で道が崩れてしまい、少しづつしか車が移動できないようだ。

 

この日は僕の21歳の誕生日で、できることならレーの街で誕生日を祝いたかったが、不確かな旅の流れには手の加えようもない。

 

全く先へ進む気配がないので、バスから降りて周囲を散策する。

 

先にバスから降りていた友人たちが足元を見ながらなにやら騒いでいる。

地面には光るものがあり、よく見るとそれは水晶だった。

 

よく見ると大小様々な水晶がゴロゴロと転がっている。

大粒で透明な宝石のようなものはなかったが、小粒で透明なものや、それらが合わさって大きな結晶をなしているものなどがあった。

 

偶然/必然にも水晶を含んだ地層の所でバスが停車したようだ。

僕はこの偶然を天からの贈り物として受け取ることにした。

 

色々な水晶が転がっていて、どれを拾うか決めづらい。

欲を出していっぱい持って行きたいけど、そうすれば荷物が重くなり旅人として苦しくなる。

僕は物を持つことよりも、世界を体験することに重点を置いていたので、いくら誕生日とは言え、重たい石の塊をいくつも拾うのは本末転倒だった。

 

どうしようか悩んでいると、手のひらと同じくらいの大きさの、小粒で透明な水晶が集まって出来た塊が目に入った。

他と比べて特別美しい訳ではなかったが、直感でこれだなと理解して手に取った。

迷いはなかった。

 

大地から直接に、誰の手も介さずに水晶を受け取る。

地球との繋がりを感じられる、最高の誕生日プレゼントになった。

 
 
 

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