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チベット文化の高地ラダックの話7(自叙伝205)

 

ローカルバス

 

レーからマナリへの帰途はローカルバスに乗って旅をした。

 

マナリからの往路は旅行者向けの長距離バスだったので、多少の快適さがあったが、ローカルバスはインドの現実を象徴していた。

 

座席の幅は狭く、全体的に汚かったが、値段は圧倒的に安く、予約もいらず、途中で宿泊することもなかった。

バスは早朝に出発し、ろくに休憩もせずに一日中走り続けた。

 

外に流れる景色を見たかったが、バスの窓は小さくて曇っていて景色を楽しむようには出来ていない。

観光バスとローカルバスの違いだ。

 

僕は景色を見ることを諦めて、音楽を聴きながら眠りつ起きつを繰り返しているうちに最終駅までたどり着いた。

 

まだ乾燥高山側だが、マナリのすぐ近くのキーロンという街まで来ることが出来た。

ここからはマナリまで半日の距離だ。

往路は結果的に2泊3日かかったが、帰りはその半分の時間で帰れそうで少し安心した。

 

 

友人

 

キーロンの街ではヒッピー風の日本人カップルに出会い、直ぐに仲良くなり、彼らも宿を探している最中だったので一緒に宿を探すことにした。

 

彼らは沖縄に住んでいるらしく、沖縄暮らしの楽しい話をしてくれた。

 

沖縄は日本にして日本にあらずのようなところがあるみたいで、ずっと旅ばかりして日本に馴染めない日本人が流れ着いてくるらしい。

日本語が通じるアジアだと言っていた。

 

今度、日本に帰る時には沖縄に行ってみようという想いを固める。

こんな感じで、旅人は世界各地の話を聞き、終わらない旅に夢を馳せるのだ。

 

その日はすでに夜の遅い時間だったので、ほとんどの宿はすでに埋まっていて、結局見つかったのはドミトリー(共同部屋)のベッドが二つだけだった。

彼らはカップルだから一つのベッドで良いよと言ってくれ、狭いベッドに二人で抱き合って寝ていた。

シングルベッドで二人で抱き合う姿は羨ましくもあったが、あまりにも窮屈そうで、それを何気なく受け入れる二人の愛の偉大さを感じさせられた。

 

それを見ると、日本に残して来たガールフレンドのIちゃんのことを思い出したが、当時の僕には恋愛に心を割く余裕はなく、自分自身の目の前の冒険を楽しみきることしか頭に無かった。

連絡は取り合っていたが、日々の瞬間を生きる旅の興奮と比べると、どうしても重要度が薄れていた。

 

今になって思い返すと、薄情な男だなと思うが、二十歳前後の男子はそんなものなのかもしれない。

 
 
 

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