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祖父の死の話3(放浪記492)

 

不幸の連続

 

叔父の自殺の知らせと祖父の死とIちゃんとの別れは同じ時期にやってきた。

全てが一ヶ月以内に起こったのだ。

 

僕の頭の中にはIちゃんとのことが巡っていたが、それ以外の頭の中は、祖父の死と叔父の自殺だった。

 

別々にやってきていれば、まだ堪えることも簡単だっただろう。

だが、その全てが一度にやってきたことで、僕は完全に打ちのめされた。

 

 

理由

 

誰かを恨んで怒りをぶつけようにも、矛先が見つからなかった。

 

だが、落ち込む理由が必要だった僕は、Iちゃんが僕と別れる理由に対して嘘をついたことを標的にした。

 

何らかの許せない理由、何らかの絶対的に非難する理由が必要だったのだ。

落ち込んだ気分を正当化する標的が欲しかったのだ。

 

今となっては、当時のIちゃんが悩んだ末にとったベストの選択だということが理解できるが、当時の23際の僕には納得できるものではなかった。

 

 

葬式

 

そんなどん底の気分の状況で祖父の葬式が開かれた。

 

母の暮らす団地の部屋は、公民館の真前にあるので、葬式の手配は簡単だった。

距離にして20メートルも離れていないような場所を行ったり来たりして葬式の準備を進める。

 

祖父は生前には近所の掃き掃除などをしていたので、ご近所さんの評判も良く、多くの近隣住民が葬式へとやってきた。

 

だが、遠方から葬式にやってくる人はいなかったようだ。

そもそも母たちも古い知人へと連絡したのかどうかも疑わしい。

 

唯一遠方からやってきたのは、意外な人物だった。

遠方といっても車で20分ほどの距離だが、そこへやってきたのは僕の父だった。

おそらく、僕の兄が連絡したのだと思う。

 

一般的には離婚したといっても、元妻の父の葬式に元夫が顔を出すのはあまり変わったことではない。

 

だが、僕の家庭においては、母は父のことを絶対的に拒否していたので、父が母の前に顔を出すことなど想像できなかったのだ。

 

父と祖父は大阪のドヤ街で育ったので、元々お互いによく知った関係だった。

 

その後、義父の関係になり、自身の子供の祖父でもあるのだから、祖父の葬式に顔を出して当然だろう。

 

だが、母は離婚から20年近く経っているのに、まだ消化し切れていないらしく、父に対してそっぽをむき続けていた。

 

僕は、何とまあ、頑固な人間関係なのだろうかと驚かされることになった。

 

家族ドラマの底の深さを思い知らされる。

 

 
 
 

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