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日本へ帰国する話10(自叙伝166)

 

肉体

 

最初の日々こそしんどかったが、1週間をすぎる頃には僕の二十歳の肉体は簡単に順応した。

日々日々体が強く鍛えられて、より一層重たいものを担ぐ事ができるようになるのが嬉しく、社長や先輩と共同活動してものを作り上げて行くのも楽しかった。

 

旅に出るまでの僕の肉体は、週末にクラブで踊る以外の肉体活動を一切してこなかった。

自分は運動ができないと言う思い込みを信じ切っていたので、あらゆる運動から距離を置いて生きてきた。

運動音痴と向き合って運動の練習をするのではなく、運動が嫌いだと思い込む事で運動音痴の恥を晒すことから逃げることを選んでいた。

 

学生時代は帰宅部で、友人とトランプやテレビゲームをして遊ぶか、ゲームセンターに通うかのオタクな日々。

肉体が成長する機会は全くなかった。

 

それが、ここへ来て毎日8時間の過酷な肉体労働。

40キロの鉄筋を肩に担いで階段を上り下りする様な事が日常になっていて、体が急速に成長していた。

 

 

食費

 

肉体の成長に比例して食事の量も劇的に増した。

母が、”親の仇の様に食べる”と揶揄するほどの驚異的な食事量だった。

 

わかる人は牛丼を食べるキン肉マンを想像してほしい。

僕は自分でも驚くほどとにかく食べまくった。

 

それは肉体を形作るための栄養補給だが、7ヶ月半の旅の間に食べられなかった日本食に対する欲求でもあり、インドでサバイバル環境を生き延びた旅人の本能のなせる技でもあったのだろう。

旅の環境は移動のタイミングによっては食事をまともに取ることができなかったり、泥棒たちの間を塗って旅する様な神経をすり減らす過酷な環境で、ヒトとしての本能が目覚めたのだと思う。

 

この時期の食費は母の普段の食費の何倍にもなっていただろう。

仕事も安定して来てしっかりと稼げるようになったので、実家にお金を入れる事にした。

母が府営団地に払っている家賃は微々たるものだが、食費は僕のせいで大幅に増えている。

 

母親の元で暮らして家賃を払うなどとは考えもしなかったが、お金を入れる事で自立を確認したかった。

それは同時に、親離れの儀式でもあり、独立宣言でもあり、自分に対して全責任を負うと言う事でもあった。

そして何よりもトコトン自分勝手に自由気ままに生きることを決めた事への自分自身のケジメでもあった。

 

育ててくれて食事を作ってくれる母への感謝の気持ちを込めて、初任給以来、月々5万円づつ払う事にした。

給料の手取りが17万円だったので5万円払っても月々12万円づつ貯金できる。

 

働いていれば遊びに行く時間もないし、再びインドへ行くためならいくらでも我慢できる。

再びインドへ返り咲くことを夢見ながら、日々働きお金をコツコツと貯めていった。

 

 

 
 
 

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