Gさんはミュージシャンだけあって音楽に詳しく、彼の最も得意とする分野が、ジャーマン・プログレやクラウト・ロックなどとも呼ばれる70年代ドイツのアンダーグラウンドなサイケデリック・ロック・シーンだった。
タイ旅行、特に南の島でのノンビリした時間を経験したことで、もう少しゆったりした暮らしをしたいと考えるようになる。
パンガン島で出会った旅人たちは肩の力を抜いて気楽に過ごしていた。
彼らみたいにノホホンと暮らしたい、パンクス的思想だった僕にヒッピー的思想が混じり込んできた。
3週間のタイ旅行も無事に終わり、西成の一人暮らしのワンルームマンションへ帰ってきた。
旅行は無事だったが、無事ではなかったのが貯金だった。
ピザ屋のバイトで貯めた貯金は引っ越しの準備やタイ旅行の資金に消えた。
ここに住んでいない3週間の間も、家賃は払い続けている。
この時にゲストハウスにいた日本人と仲良くなった。
人と気軽に話して友達になるなど、日本ではあり得なかったので、これまた驚きだが、これがタイの魔法だろう。
彼は金髪のガタイのいい東大生で、自称ストリップ研究家だという。
道端の砂利の上に横になってどれくらいが経ったのだろうか?
しばらくの間眠りに落ちていたようだ。
夜は明けかけていて、空は白み始め、ジャングル中の鳥たちが合唱している。
僕たちがパンガン島に来たのは、何もビーチでのバカンスだけを求めて来たのではなかった。
もちろん言うまでもなく、ビーチバカンスを最高に楽しんだのだが、島に来た一番の目的は毎月満月の夜に開催されると言うフルムーン・パーティーに参加するためだった。