ゴアでの計画 ガールフレンドのIちゃんは旅人だが、劇団員としての女優業に集中していて夢を叶えようと奮闘していた。 僕はゴアでの経験が忘れられず、すぐにでもインドに戻りたい。 二人
とび職の日々 僕は週6日でとび職の仕事をし、貯金し続けた。 仕事では50キロの鉄の塊を担いで階段を上り下りする様になり、二十歳の若い身体は過酷な肉体労働で日々成長していた。 体重
トラウマ 初めてのガールフレンドとの時間は順調に進んだ。 だが時間が進むにつれて、自分の中にある矛盾とトラウマに気がつくことになる。 僕は、ガールフレンドとの恋愛関
手紙 とびの仕事を始めてすぐの頃に、インドのゴアで出会った女の子から手紙が来た。 当時はまだEメールなどが一般的ではない時代。 旅人同士が交換するのはメールアドレスやフェイスブックのアカウント
閉塞感 とびの仕事を始めて直ぐくらいから、閉塞感に苛まれ始めた。 日本に帰って来て直ぐの頃は、美味しい日本食を食べて、久しぶりの友人に会って、溜まっていた漫画を読んで楽しい日々を過ごしていたが、そうした享楽
肉体 最初の日々こそしんどかったが、1週間をすぎる頃には僕の二十歳の肉体は簡単に順応した。 日々日々体が強く鍛えられて、より一層重たいものを担ぐ事ができるようになるのが嬉しく、社長や先輩と共同
とび職 とび職の仕事は思っていたよりも上手くいった。 インドの土臭さに慣れた僕には肉体労働者特有のガサツさや乱暴さは逆に心地よかったし、同僚たちのヤンキー的なフレンドリーさは日本
仕事 旅に出る前は、この旅が一度きりの旅で、日本へ帰って来たら一人暮らしをせずに、実家に住みながら音楽制作に集中しようと考えていた。 だが、インドであまりにも衝撃な体験をしたゆえに、インドへ舞
日本行きのフライト いよいよ日本に帰る時が来た。 バンコクの空港から関空へと飛ぶ。 日本食をお腹いっぱい食べるのが待ち遠しく、日本にいない間に進んでいる漫画本の最新巻を読むのが待
飛行機 僕がゴアからバンコクへ飛行機で飛ばずに、わざわざコルカタまで列車でやって来た理由は、できるだけ陸路で移動したかったというのが一つ。 もう一つはコルカターバンコク間のチケットが他のインド
コルカタ ボンベイからコルカタへ向かう列車は無事に出発し、24時間もの長旅の末にコルカタへたどり着いた。 ゴアでは散々に活動的な日々を送っていたので、いい休憩になったが、流石に24時間も寝台車に横になってい
ボンベイ ゴアから夜行バスに乗り、インド最大の都市ボンベイへと向かう。 ボンベイに着いて列車を降りた途端、一気にインドの現実へと放り込まれる。 最初は荷物運び人たちによる客引きのラッシュ。 そ
ジャグリング 僕は、この時期にデビルスティックと言うジャグリングの一種に出会う。 これは両手に細長い棒を持ち、一本の棒を空中で打ちながら落とさずに回したりして遊ぶものだ。 htt
ヒッピーのおじさん 以前の記事でゴアに長年住むヒッピーのおじさんCさんの話をしたが、彼の押しの強い個性があちこちで問題を生んでいた。 日本人同士のちょっとした仲違いなどはあったの
不思議な旅人 ゴアでは変わり者との出会いが多くあったが、中でもBさんはある種の聖者的側面を持っていた。 彼は、僕がゴアへ来る前に滞在していたプーナのアシュラムで、1ヶ月ほどヨガや瞑想をして暮ら
ダウン症 僕たちは料理の美味しさに引き寄せられていたのはもちろんだが、その家庭的な雰囲気もまた魅力だった。 お父さんがシェフでお母さんがサポート、しっかり者の次男(当時9歳)が家に居るときは、
行きつけのレストラン 12月にはもう完全に乾季で、数週間前までの雨の面影は、もうどこにも無い。 季節としては真冬だが、昼間の日差しのもとにいると、暑くて倒れそうになる。 だが、意外にも夜はかな
自由の反面 ゴアの自由さは世界中から旅人達を惹きつけていたが、その反面、自由さと引き換えに色々と不都合なことも生み出していた。 警官の腐敗の話は既に書いたが、それと連動している問
バイクを借りる 交友関係が広がっていき、遊ぶ範囲が広がるに従って、徒歩やバスやタクシーでは不便になっていき、バイクをレンタルするようになった。 僕はあまりお金に余裕がなかったので
ゴアを旅する者達 インドで出会う旅人は面白い人たちが多かったが、ゴアで出会う人は個性が一段抜きんでていた。 それは恐らく、ゴアには60年代から社会から逸脱した人が集まって来ているので、その影響
ゴアの変人達 ゴアには変わり者を引き寄せる力があり、その変わり者の常識の枠を破壊して、変わり具合を加速させる力があった。 僕たちがゴアの妖怪三人組と呼ぶ、年季の入った日本人のおじ
楽しい日々 僕たちは毎日本当に楽しく笑いながら過ごした。 特にこれといって何をしたわけでもなく、街へ買い物に行って美味しいご飯を作ったり