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旅立ち Mくんのヒッチハイクは無事に進み、1週間もした頃には無事にドイツに着いたと言う連絡がメールを通して伝わってきた。 ビザの期限を超過したことは国境で問題になったらしいが、罰
Mくんの決心 Rさんの文無しの厄介さとOちゃんの文無しの力強さの両方を目の当たりにしたMくんには思うところがあったのだろう。 あるとき突然に、ドイツへ帰ろうと考えていると言い出し
二人の関係 RさんとCさんの関係が発展しようとしていた。 だが、恋心が成長するよりも先に、Rさんの共同生活においての厄介さがCさんの頭をもたげていたようだ。 既に色
共同生活での役割 皆で一緒に暮らすにあたって、それぞれがそれぞれの枠割を務める。 僕は重たい水瓶を毎日運んでいたし、人によっては料理したり、買い出しに行ったり、お金を出したり、地元の人との掛橋
恋愛関係 10人の共同生活において、僕とIちゃん以外は全員が独り身だった。 ガンドルフさんに至っては、つい先日に離婚したばかりだ。 それぞれが潜在意識的に恋愛関係へ
朝日 最高に楽しかったマジカル・フルムーン・エクリプス・パーティーは終わりに近づいていた。 夜が白み始め、朝日が登る時間が近づいてくる。 東の空が明るくなり始め、満月は西の空に沈
焚き火を囲んだ話2 色々な話があったが、一番衝撃的だったのはガンドルフさんの話だ。 彼はなんと、フェスティバルが始まる直前に離婚することになったんだという。 奥さんや娘がいるとい
焚き火を囲んだ話1 旅人が集まる場では、旅の話が一番盛り上がる。 誰もが興味があり、誰もが何らかの話を持っている。 僕が興味を持ったのは、DさんとEさんがこの後に向かう旅の話だ。
月蝕の終わり 月にかかった雲だと思っていたものは、実は皆既月蝕だった。 種明かしされても、驚きも感動も美しさも変わらない。 月は赤黒く光り、さっきまで満月の光のせいで見えなかった
月光 僕とIちゃんは焚き火から少し離れ、暗闇から美しい満月を眺めていた。 鋭くも暖かい月の光が何とも言えず心地よい。 心なしか通常の夜よりも暖かく感じる。 本で読ん
旅道具 DさんもEさんも相当に旅慣れているようだが、彼らが持って来ている装備は、旅人のそれではなかった。 Dさんは巨大で10キロくらいはありそうなジャンベ(アフリカ太鼓)を持ち、
ビザ Mくんの勢いは”いまここ”という瞬間に集約しており、日々を最大に生きることに注がれていた。 それは、逆にいうと長期的な予定を無視しているということにもつながる。
Mくんの流れ ドイツ人の若者Mくんは、変化の時を過ごしていた。 彼は思うところがあり、ドイツを飛び出してモロッコへとやって来た。 旅人には準備万端に貯金をして、装備をしっかりと整えた上で、満を
個性 今回のモロッコ旅行では色々と強力な個性を持つ人たちと出会ったが、Cさんもなかなかのものである。 一般的に田舎人のイメージというと野生的であったり、粗野、素朴、優しい、人が良
食事 みんなが起き出してきた頃に誰かが朝食を作る。 当番制とかではなく、お腹がすいた頃に誰かが作るといった感じだ。 だから誰も気が向かないと朝食の代わりに昼食になったりもするが、
水瓶の重さ 水瓶で水汲みをしたことのある人はそうは居ないとは思うが、はっきり言ってかなり重い。 水瓶一つで10キロくらいあり、そこに15リットルくらいの水を入れて運ぶのである。
生活のリズム ひたすらシンプルな砂漠の生活のゆえに、自然と日々の生活のリズムができてくる。 まず、朝になり日が上り始めると、瞬く間に暑くなる。 特に直射日光を浴びたテントというの
オアシスでの生活 日々の生活は単純だが充実したものだった。 僕とIちゃんは外に張ったテントで寝ていたので、プライバシーや個人の時間を確保できたので、その点に関しては他よりも楽だっ
多国籍共同生活 キリのいい10人という人数での共同生活が始まった。 その中で最多の30%を誇るのが、我らが日本人チーム、僕とIちゃんとYくん。 そして、2番目に人数が多いのが、モ
Oちゃんの武勇伝 オーストラリア人のOちゃんの旅の武勇伝は、聞いていて驚かされることが多い。 だが彼女のその見た目は、厳つい武勇伝とは反比例して、若くて美人の白人女性だ。 ジャニスさんのような
ガンドルフさんの願い 誰一人として実際に何が起こっているのか分からないまま共同生活が始まった。 おそらく誰一人としてこれと言った目標はなかっただろう。 だが、今になって思うとガン
道具 ガンドルフさんが運んできたのは、人だけでなく、数多くの道具類も一緒だった。 米や小麦や野菜類などの食料、フェスティバルで使われたカーペットやクッション類、調理器具や大工道具などだ。 &n
キャンプ 現在集まっているのは、僕とIちゃんのカップルと、日本人の友人のY君。 そしてガンドルフさんと、付き人のAくんだ。 明日になると残りのメンバーが集まってくるという。 &n
小屋 僕たちはホテルで待ち合わせをして、皆で乗合タクシーに乗り、オアシスにある小屋へと向かう。 とりあえず、僕たちが一番乗りで、後から何人かが参加してきて、最終的には10人ほどで
アフターアフターパーティー 最高に面白いアフターパーティーが終わり、日本人の友人のY君と如何にこのパーティーがスゴかったかについて熱弁を交わしているところへ、ガンドルフさんがやってきた。 いつ
ジャニスさんのパーティー 実はジャニスさんの10トントラックにはお供がいて、キャンピングカーで旅するカップルが連れ添っていた。 彼らはジャニスさんとワイルドな彼氏のような野生的な個性ではなく、
新世紀 最高に気分の良い状態で新世紀を迎えることができた。 それは僕にとっては最高にご機嫌な100年が待っているという兆しだったし、そのためにはるばるサハラ砂漠までやってきたのだ。  
遺跡 僕たちは暗闇の中を光と音のする方向へ向かって歩いた。 ダンスフロアが近づいてくると、ステージの後ろにある遺跡/廃墟のようなものがスポットライトで照らされているのが見えてくる
砂漠気候 昼間に砂漠の日差しの下で半裸で踊るが、日差しのない夜は一気に冷え込む。 それは砂漠特有の気候なのだが、実際に経験してみると驚くほどのものだ。 街中や森の中では、建物や湿
トラック そんな彼女たちは、黒塗りの巨大な10トントラックを運転して、ヨーロッパ中とアフリカ中を旅して暮らしている。 トラックがそのまま家になっていると同時に、フェスティバルを開
ジャニス・ジョプリンの子供達 僕がジャニス・ジョプリンを超えると評するその女性は、4人の子供たちを引き連れていた。 年は3歳から11歳の女子たちである。 嘘か本当かは知らないが、
砂漠の朝 砂漠に降り注ぐ熱い日差しの下ではテントの中で寝続けることはできなかった。 テントの外に出ると、自分たちのいる島と周りを取り囲む湖が見渡せる。 僕たちはとにかく美しい絶景
フェスティバル初日 フェスティバル会場についてキャンプを始めたものの、フェスティバルの開始は遅れていて待てども待てども何も始まらない。 たった数日前に全ての建築物が全壊したことを
フェスティバル開催 とうとう待ちに待ったフェスティバル開催の日がやってきた。 20世紀の2000年12月30日に始まり、21世紀の2001年1月2日に終わる世紀超えフェスティバルだ。 &nbs
奇跡の裏側 砂漠へ降る4年ぶりの雨に人々は歓喜していたが、この天候の軌跡がもたらしたものは喜びだけではなかった。 雨の量は大したものではなかったが、それでも真冬の砂漠の気温を下げ
ラマダーン つい先日にクリスマスを超えたところだが、イスラム教徒の国であるモロッコでは、クリスマスには何の意味もない。 彼らにとって重要なのは、一ヶ月ほど前から始まった長期断食の儀式だ。 &n
フェスティバルの混乱 フェスティバルの開催日が近づくにつれて、オーガナイザーチームの混乱が増して行っていた。 順調に進んでいる部分もあれば、滞っている部分もある。 通常では大きな
ホテル フェスティバルが始まる前の1週間ほどは、目まぐるしく過ぎていった。 ホテルに集まってくる旅人はどんどんと増えていき、全ての部屋は満室になり、ホテル側は臨時の部屋や臨時の布
人との繋がり フェスティバルの日が近づくにつれて、僕たちの滞在しているホテルも旅人たちで賑わい始めた。 もちろん、このようなイベントがこの砂漠の街で行われることなど初めてのことだ
日本庭園 ある日突然に、砂漠のオアシスに浮かぶ島の真ん中に日本庭園を作ることになった。 今の時代なら、スマホで日本庭園を検索してなんらかのイメージやアイデアを得られるのだろうが、