山小屋での仕事 日々の仕事は順調に行った。 毎日覚えることはたくさんあり、新しいことだらけだったが、Jさんは新人に指導するのが上手かったので、無理なく仕事に慣れることができた。
体験談2 Sさんは蝶々の話に度肝を抜かれ鳥肌の立っていた僕たちに、立て続けに体験談を話してくれる。 ある時、山で猛吹雪が発生し、女性登山客が遭難した。 猛吹雪ゆえに二次遭難の恐れ
Sさんの仕事 Sさんは、山小屋の通常業務である、食事を作ったり布団を畳んだりなどということには関わらない。 山の専門家として、登山道の整備の他に緊急時のレスキューなどの素人では事
名物おじさん 山小屋で働いていると、山小屋関係の人脈が増えていく。 特に近隣の山小屋との関係は密接だ。 お互いに必要な時に助け合ったりもするし、必要に応じて寝床や食事も提供する。
昼寝 パイプが小屋にまで繋がるのには時間がかかる。 なんせ700メートルの距離を山を登りながら繋いでいくのだから簡単な作業ではない。 2時間ほどかかるというので、持ってきていたお
水源 僕たちはパイプの一部とパイプ接続のための道具を担いで崖を登っていく。 登りながらパイプを足元に垂らして行き、谷間へと水を届ける水路を確保する。 山から谷に降りるときは登山道
水あげ 水あげという言葉には色々な意味があり、船から荷物を下ろすことや、漁業の収穫高、生花の用語、芸妓の用語でもあるらしい。 山小屋では文字通り水を上げることを意味する。 昔は人
三人目 小屋開けから1週間ほどは僕と支配人のJさんの二人だけだったが、1週間ほど経ってついに三人目のKちゃんがやってくることになった。 Kちゃんは以前は山の麓にある同じ系列の温泉
プロ意識 Jさんのプロ意識は徹底していた。 それは料理人として本気で修行してきたことも関わっているし、彼本人の美意識からも来ていたようだ。 その美意識は山小屋の運営にも活かされて
包丁の話 料理の基礎となる包丁の話はまだ続く。 まな板の下には必ず布巾を挟むように教えられた。 そうすることで、余分な衝撃を吸い取り歯を痛めず、滑らずに安定して切り続けることが出
包丁の研ぎ方 Jさんは本当に基礎の基礎から教えてくれた。 役に立つ知識なのでいくつか紹介したい。 まず最初に教えてくれたのは、包丁の研ぎ方だった。 僕は、包丁を研ぐなどという考え
Jさんの経歴 彼はその経歴を生かし、最初から料理長として山小屋に就職した。 彼は料理家として優れていただけではなく、頭が良くてセンスがあったので、仕事をうまくこなし、社長の信頼を
支配人 これから僕の直属の上司になる、小さな山小屋の支配人Jさんは、かなり素敵なおじさんだった。 大きな小屋にいる時に少しづつ仲良くなっていったが、小さな山小屋に移って24時間一
山小屋だから 山小屋の不潔さや不便さは歴史的なところから来ていて、この辺りの事情は一般的なホテルとは事情が大きく異なる。 歴史的に山小屋とは、山頂近くで雨露をしのぎ、飢えないため
初日 この小さな山小屋はまだ稼働していない。 小屋開きの準備中だ。 全ては小屋中の大掃除から始まる。 八ヶ月もの間、手付かずに置かれた小屋には埃が積もっている。 そ
二人 小屋へとやってきたのは、僕と支配人の二人だけである。 3人目は数日後に徒歩でやってくる予定だ。 ここからは歩いて1時間ほどの距離に2件の山小屋があるが、それ以外は何もない。
飛行 僕たちの乗ったヘリコプターは、山の上空へと急上昇していき、またもやとんぼ返りのような操縦の元に山を離れていく。 今回のとんぼ返りは必要なかったようだが、どうやら新参者の僕を
荷物運び ヘリコプターは、荷物をヘリポートにおろして、次の荷物を取りに向かう。 次のヘリが戻ってくるまでは、時間にして10分から15分と言ったところ。 その空き時間内に、数百キロ
移動 大きな山小屋での仕事に慣れ始めた頃に、次の山小屋への移動の日がやってきた。 恋人のIちゃんと一緒に時間を過ごしながら働けるというのが目的で山小屋に働きにきたが、結果的にはあ
奇行 登山道が整備されたことと、初心者向けで登りやすいという宣伝効果が合わさったことで、登山慣れしていない年配の登山客が大勢やってくるようになった。 だが、それと同時に登山中の事故も増えていく
社長 その山人の個性の代表格とも言えるのが、山小屋の代表でもある社長だった。 以前の記事では、この3代目社長が経営の神様の信奉者になってしまい極端な経営理念を従業員に押し付けてい
Kくん 僕が仲良くなりやすかったのは、K君だった。 ほとんどのアルバイトは全国各地から来ていたが、彼は地元の長野出身だった。 彼の両親は元ヒッピーの旅人で、世界や日本を旅したのち
Rくんの本性 目つきが悪く無口なR君(二十歳)は徐々に仕事に慣れて行っていた。 慣れていくにつれて、彼のキャラクターが大きく変わっていく。 彼は無口なのではなく、実は物凄く極端に
山小屋の歴史 山小屋での日々がすぎるにつれて、他のバイトの人たちと仲良くなり、色々な話が漏れ聞こえてくる。 特に社長に関する噂話は奇妙なものが多かった。 この社長の祖父は、趣味の
労働環境 日本社会の中で働くと、色々な法律の規制がある。 それは、労働者を守るための規制でもあり、労働者を閉じ込めるための規制でもある。 守るための法律としては労働基準法や、労働
1日目 不気味な朝礼での唱和や、仏教修行のような環境整備が終わった後に、まともな仕事が始まった。 僕もIちゃんもR君も初日なので、仕事を始める前に仕事全体を知ることから始まった。
朝食 朝8時に起きて従業員の食堂へ向かう。 朝食の時間だ。 朝ごはんもしっかりとした物が出されて、一日中働くだけのエネルギーを与えられる。 食事は常に満足できるという話は本当のよ
バイト部屋 山小屋について直ぐにバイト部屋をあてがわれた。 僕たちはカップルとして到着したが、カップルに対する優遇はなく、別々の部屋になった。 とりあえず一休みできることに感謝し
中継小屋 中継小屋へ着くと、Mさんという口髭を蓄えた陽気なお兄さん/おじさんが出迎えてくれた。 満面に笑みを浮かべて、暖かく話しかけてくれる。 こんな感じの人なら一緒に働いてみたいと思わせるよ
脱出 5月の後半になり、待ちに待った山小屋バイトの日がやってきた。 僕はモロッコでの大自然の体験の後に大阪に住むことになったので、近代化されたコンクリートでの暮らしに辟易していた
オークション ロンドンでアルバイトをしていた時に革ジャンをもらった話は、以前にこちらの記事で紹介した。 なんかものすごく高そうな革ジャンだったので、日本のオークションで売るつもり
Iちゃんの公演 僕がチェーンレストランでうだつの上がらない日々を過ごしている間、恋人のIちゃんは日々劇団の練習に励み、輝きを増していた。 特に公演まえの1週間は、練習の激しさを増
ガストでの驚き ガストのバイトで驚いたことは他にもある。 ある日、たまたま店長が管理している商品原価の書類を目にすることがあった。 店長は毎日、原価と睨めっこして売り上げを増やそ
アルバイト 山小屋の仕事が決まったのはいいが、仕事が始まるまでまだ二ヶ月ほど期間がある。 Iちゃんは劇団の練習で忙しいが、僕は特にすることもなくぶらついている。 どちらにしろお金
Iちゃん モロッコを最後にして別れたIちゃんに再会する。 Iちゃんの実家は僕の実家からそう遠くはないので、気軽に会える。 僕としては、大きな別れの後に大きな流れの変
日本帰国 帰国の飛行機は何の問題もなく、関空へと辿り着いた。 1年7ヶ月ぶりに帰ってきた日本はどことなく違和感があった。 見慣れた感覚と懐かしい感じがすると同時に、
大転換 僕がロンドンについて1週間もしない頃に、大転換が訪れた。 日本からパソコンが届き、部屋と仕事を探し始めようかという頃だ。 祖父が緊急入院したというメールが母か
お別れ Iちゃんのフライトは僕よりも先だったので、日本へ旅立つお見送りをした。 お互いに納得ずみの別れなので、悲しみなどはない。 納得しあい、笑顔でお互いを見送ることができた。
最後の日々 僕たちは、ガンドルフさんやFさんに別れを告げて、モロッコを出る心構えをしていた。 この後は、僕はロンドンへ住み、Iちゃんは大阪で演劇の道に進む予定だ。
田舎 僕たちは、街を出て田舎へ向かう。 田舎といっても街から車で40分くらいの距離だが、たったの40分で雰囲気はガラリと変わる。 モロッコの街の都市生活から、地中海沿岸の乾燥した
Fさんとの再会 ガンドルフさんは田舎の方に住んでいるので、まずは街に住むFさんと再会してから、一緒にガンドルフさんに会いにいくことにした。 Fさんはオアシスにいた時から都会的な雰
湖 向こうには湖が見えている。 満月の下で泳ぎたいところだが、街の住民の飲み水になるものなので、ガンドルフさんから泳ぐことは禁止されている。 満月の明かりに照らし出
別れ、そして旅立ち ついに別れの時が来た。 Yくんとの別れであり、結果的に二ヶ月半ほど滞在することになった砂漠の街ワルザザードとの別れであり、フェスティバルからみの色々な思い出と
次のステージ 満月の日の次の日は、タープの下の木陰でゆったりと過ごした。 その日は日が暮れてすぐに眠りにつき、朝日が昇るまでの時間をしっかりと眠り、疲れをとった。
滝、湖、満月 僕たちは、滝の上側にある少し盛り上がった岩場に座り、夕陽を見ていた。 夕陽が沈むと、満月が地平線から昇ってくる。 砂漠においては、家の天井もなければ、
日本人同士 Yくんは英語がペラペラだし、Iちゃんもモロッコに来て以来、英語がどんどんと上達して行っていて、みんなと会話を楽しんでいた。 僕も、モロッコに来て以来、ものすごい英語の
Yくんの服 まず最初に驚いたのが、Yくんが来ていた服だ。 ただのトレーナーのようなものかと思いきや、特殊素材でできており、薄くて軽くて頑丈で、何よりも相当に暖かい。 僕はそんな知
山男 Yくんは日本で暮らしていたときに、カナダ時代の親友と共同生活していた。 その時の同居人が登山道具関係の会社で働いていたことから、登山関係者と深い繋がりがある。 年末の忙しい時期には、バー
滝 トラックを見送った後は、自分たちの旅をする番だ。 僕たちは、それぞれのバックパックと共同生活の残り物の食材を背負い、湖のそばにある滝へと歩き始めた。 30分ほど